▽ 八月の向き合い方
「いやーおかしいと思うんだよな色々…ニサカが一番最後とか特に…」
「なにぶつぶつ言ってんだあんた」
「きもいんでやめてくだせー」
俺の後ろで恨めしそうにぼやくニサカ。そんなニサカの隣でスイレンが冷たい眼差しを向けた。
「ニサカさっきジェットコースター一番乗りだったじゃん。順番だよ順番!」
「分かってるよ! 別に今並んでる空中ブランコは一番最後だけどそれはまぁいいんだ! 問題はなあんでレンと一緒なのかっていう…うう…」
俺の隣でニサカを諭すエンギだが、ニサカはあからさまに嘘泣きを始めた。エンギは反応に困ったように苦笑している。
「さも自分が被害者だとでも言いたげな態度やめてもらえねーですか? こっちだって我慢してるんです」
「だってジェッカスとかいう陰キャが隣にいたら立ち回りが移るし?」
「…」
「待って! 暴力反対! ニサカは無害!」
スイレンが背に下げたリュックタイプのブキケースに手を掛けると察したニサカが慌てたように後退った。そんなニサカの様子を見て気が済んだのか、ふんと鼻を鳴らした。
落ち着きのない二人に俺は溜め息を吐く。というか園内はブキ持ち込み禁止だろ。なにしれっと持ってきてるんだスイレンは。
今俺達は先日エリュやナノと予定を話し合っていたあの娯楽施設に来ていた。娯楽施設とはいっても前にチームクロメとナノだけで来た時とはまた別の場所で、ハイカラシティから出ているバスに一時間程乗ったところにあるかなり大きめの施設だ。一応開園時間まで余裕くらいの時間に来たはずなのだが、着いた時には門の前には既に大勢のインクリングでいっぱいだった。多少は覚悟していたが、まさかこれほどまでに並ぶものなのか。娯楽施設というものをなめていた俺は面食らってしまった。ちなみにここまで客が多いのは珍しいらしく、カザカミが調べた情報によるとどうやら本日限定のパレードがあるらしく、それ目当てでこんなに集まっているのだろう、とのことだった。こんな偶然もあるのね、とケイが笑っていたのを覚えてる。娯楽施設へ遊びに行く日程はあの時俺を含めて四人で話し合ったが、最終日程案はケイが決めてたな、と他人事のように思い出していたものだ。
入園後エンギのリクエストでまずジェットコースターに乗ることになった。カザカミと、カザカミに付き添う形でナノは辞退していたが。しかしまあ最初は絶叫系を乗る、なんてエンギと同じことを考えているやつは結構いたらしく、ジェットコースターでさえかなり並んだ。人数の関係上半分に別れて乗ることになり、こういうのはじめてだからと目を輝かせたニサカが同じく娯楽施設はじめてのエリュを引っ張って先に乗っていったのだ。最初こそは興味津々に乗っていった二人だが、余裕ぶっていたもののすっかり顔面蒼白になって帰ってきたのは知らないふりをしておこう。
最初こそ気まずそうにしていたスイレンだが、エンギやナノのお陰で今ではすっかり落ち着いたようだ。ただひたすらうるさいエンギが、今回ばかりはありがたかった。今回だけは頭ぐしゃぐしゃの刑はなしにしてやる。
それで今並んでいる空中ブランコは、ジェットコースターと同じく二人一組になって一列に乗る乗り物なのだが…。お互いのチームがわだかまりもなくなってきた頃にこれだ。
「そんなにスイレンと乗るのが嫌なら変わろうか?」
「えっ」
「えっ!?」
「さっすがトリさん! とてもいい考えだと思います」
俺の案に驚きの声を上げるニサカとエンギを余所にスイレンが俺の腕を絡んできた。スイレンがそんな風にスキンシップを取ってくるとは思わなかったので声には出さないものの若干引いてしまった。えっ、なにそのキャラ…、とニサカがぼそっと呟いたのが聞こえる。分かる。というかあんたがそう思うんなら俺が平常でいろというのも無理な話である。
ぽかーんとしていたニサカだが、はっとなると勢いよく首を振った。
「い、いや〜ニサカやっぱスイレンと乗りたいかも。うん。スイレンと乗りたい!」
「は? きも」
「こんなクイボばっかり投げてくる陰湿な奴やっぱニサカくらいしか相手いないからなぁ。だからフチドリはエンギと乗って! な、な?」
「い、いや、あんたが別にいいならいいけど…」
ニサカは安心したようにほっと胸を撫で下ろした。その視線がちらちらとエンギの方を見ている気がするのは気のせいだろうか。
「ニサカさんがよかったら俺も代われるけど…」
エンギの前で並んでいたナノがひょこっと顔を出した。
「却下。僕が無理」
が、ナノの隣にいるカザカミが即否定した。その目はニサカのことをじっと睨んでいる。ニサカもなにやら心当たりがあるのか、ひきつった笑みをこぼすだけだった。
「お前達。せっかくの親睦会なんだ。もう少し落ち着かないか」
「ふふ、みんな楽しそうでなによりだわ」
俺達の一番前に並んでいたエリュとケイが俺達の方に振り向く。場違いな笑みを浮かべていたケイだが、係員の呼び声が聞こえると、楽しみね、とエリュに微笑み掛けた。
どうやらカザカミとナノの列までがこれから乗れるらしい。つまり俺達は綺麗に二手に別れたわけだ。
「ナノ、大丈夫か?」
「え、ええっ! えーっと、なにが?」
「いや、ジェットコースター程速くはねぇけど怖がってねぇかなって…」
普通に話し掛けただけなのにあまりのナノの慌てっぷりに俺まで挙動不審になってしまった。
「う、うん。大丈夫だよ多分。カザカミ君もいるし」
「そこで僕をあてにしないでよ」
「あはは、ごめんごめん」
「お前達、もう出番だぞ」
エリュの掛け声に、ナノは、行ってくるね、と手を振ってエリュ達と一緒に先に進んでいった。それと同時に俺とエンギの前にチェーンが掛けられ、終わるまでお待ちくださいね、とチェーンを掛けた係員に笑い掛けられる。
「…?」
ナノって結構怖がりなんだね、とブランコに乗るエリュ達を見ながら興味深そうに呟いた。それに俺は、そうだな、と上の空で生返事をした。
「なんなんだあれは…なんなんだ…」
ぶるぶると震えながらエリュはベンチに座った。隣ではケイが苦笑しながらエリュの背中を撫でている。
「リーダー、高いとこ苦手だったんだね…」
気付かなくてごめんね、とナノは胸の前で両手を合わせた。
「高いところなんてステージでもあるじゃん。今までどうやって生きてきたの」
「前にチームで対決した時もたしかタチウオだったよね」
「そういえばニサカ見たことあるぜ。バトル前、リーダーが隠れて手のひらにかぼちゃ書いて飲んでたの」
カザカミ、エンギ、ニサカが口々に言う。その度にエリュの口から、うっ、と苦しそうな声が漏れた。そろそろかわいそうになってきたからやめてやれ。
「ステージはまぁまぁ大丈夫なんだ…」
「え? かぼちゃ…」
「まぁかぼちゃも飲んだかもしれない。飲んだかもしれないが、ステージなら落ちてもまた再生するからまだ平気なんだ。だがなんだここは! リス地もないのに浮きまくる! 私を殺すつもりなのか? ここは地獄なのか!?」
エリュは頭を抱えて俯いた。本当に怖かったのだろう。震え方が尋常じゃない。
「じゃあ次からは浮かない乗り物にしましょう。きっとエリュも楽しめるわ」
「ほ、本当か?」
「ええ。だから落ち着いて。次をまた楽しみましょう」
子どもを安心させるような優しい笑みをエリュに向けるケイ。ケイの言葉に安心したのか、エリュは深呼吸をして気持ちを整えていた。
もう大丈夫そうだな。そう思った時、ふいにどこからかすくすくと笑い声が聞こえてきた。不審に思って振り返ると、その笑い声の主はナノだった。
「どうしたんだナノ」
「えっ? あ、えっとごめんね」
「いや、別に謝らなくても」
「頭打ったの?」
「ち、違うよカザカミ君…」
カザカミの意地悪そうな笑みにナノは苦笑いした。
今日を通して気付いたが、ナノとカザカミは結構仲が良いみたいだ。そういえば以前からなにかとカザカミがナノと連絡を取り合っているような話をしていたことを思い出す。俺達と出会ったばかりの頃程ではないが今でも他人にそうそう心を開かないカザカミがこうもあっさり攻略出来るのはナノの人柄故か。仲良くなるのは喜ばしいことなのだが、なんだろう。空中ブランコに乗る前から頭の中で浮かんでいた違和感がどんどん大きくなっていく。
「なんかケイちゃん、お姉さんみたいだなーって思って」
ナノはケイとエリュを見ながらそう微笑んだ。
たしかに、そう見えなくもないね。なんて笑いながらみんながケイ達を見る。が、その瞬間空気が固まってしまった。
「…!」
みんながぎょっとしているなんて見なくても分かる。それもそうだろう。いつも笑顔を崩さず、むしろそれ以外の表情を滅多に見せないケイが、これでもかというくらい顔を赤くさせているのだ。
俺も一瞬思考が止まってしまったが、すぐに察した。そうだ。ケイは羞恥のツボがどこかおかしいんだった。
「や、やだわそんな。お姉さんだなんて」
ケイは包み込むように両手を頬に当てた。そして勢いよく立ち上がったかと思うと、そのまま猛スピードでどこかへ走っていってしまった。
「っておい! 待て! どこに行く気だ!」
俺の叫びに似た呼び声も虚しく、ケイの姿はそのまま消えていった。
そこに残された俺達はしばらくその場で立ち尽くすことしか出来なかったが、やがて正気を取り戻したニサカが乾いた笑みを漏らした。
「け、ケイってあんな面もあったんだな…」
「わたしもびっくりした! ケイっていつもその、フチドリに対しては結構大胆なのに」
エンギが深く頷く。
「とりあえず早く呼び戻しに行こう。このままはぐれてしまえば探すのにもひとくろ…う…」
エリュは立ち上がって少し先を歩くが、向こうの方を見るなり固まってしまった。
なんだかなんだと不審に思った俺達もエリュの向いている方を見る。するとみんなエリュと同じく目を点にして固まってしまった。
俺達が見ているその先には、なんと端から端まで埋まるくらい大勢のインクリングがこちらに向かって走ってきているのだ。
「なななななにあれ!?」
ぎゃー、とエンギはその場で手足をじたばたさせる。ナノなんか身長的に見合ってないカザカミの後ろに隠れてその肩に必死にしがみついている。
「ま、まさかニサカ達のファン? なーんちゃって…」
「馬鹿! そんな冗談を言っている場合か!」
「もしかしてこれ、例のパレードの場所に向かってるインクリング達なんじゃない?」
「と、とにかくみんな端に避けるぞ!」
「そんな隙間ないよチドリー!」
俺達が慌てている間にもこちらに向かって走ってくる大勢のインクリング達との距離は縮まっていき、とうとう俺達はその波に飲まれてしまった。
物凄い勢いだ。立っていられる自分を褒めてやりたいくらいに。ただやはりその勢いに抗う術はなく、みんな散り散りに、俺はインクリング達の走っていく方向へ一緒に流されていくことになった。
このままではみんなと離ればなれになる。こんな広い敷地内で迷子にでもなれば今日一日でちゃんとみんなと合流出来るか怪しいくらいだ。
俺はなんとか見覚えのある姿を見つけ、離れないようにと必死にその腕を掴んだ。とにかく遠くまで流されないよう踏ん張らなければ。流されていく道中少しずつ端へ寄りながら、俺は大勢のインクリング達の中を歩いた。
それからどれくらいの時間が経っただろうか。何時間も経ったんじゃないかと思ってしまうがさすがにそれはないだろう。何時間もあんな中に飲み込まれていたら普通に死ぬ。
みんな無事にパレードが開催される場所へと辿り着いたのか、大勢のインクリング達がいなくなった後は一変して誰一人としてこの場にいなかった。
いるとすれば俺と、あと。
「なんでよりにもよってあんたなんだ…」
「ひっどーい! わたし友達だよ? もっと喜んでよ!」
俺とあと一人、エンギくらいしかいなかった。
あの時必死に掴んだ腕の正体はエンギだったようだ。とにかく助けられた連れの一人がエンギだと分かってがっかりしている俺に、エンギは両腕を上下にぶんぶんと振りながらぷりぷりと怒っている。
いや、別にいいことなんだ。エンギだってどうせ最終的には探さないといけない一人だし。ただカザカミとかだったらすぐにこの状況を打破する術を考えてくれそうだったので少し落胆してしまう。
「フチドリ、わたしのこと馬鹿にしてるでしょ」
「ああ」
「でもわたしだって…って返事早っ! もっと渋ってよ!」
「あーあーうるせぇ。じゃあわたしだってなんなんだ」
「これだよ! じゃん!」
大袈裟に言ってエンギが取り出した物は、もはや持ってないインクリングなんていないだろうと思えるくらい普及しているイカ型端末だった。
「みんなに連絡してどこかで待ち合わせしよう!」
「ケイとカザカミならともかくエリュ達の連絡先知ってんのかよ」
「あ」
自信満々な態度から一変。エンギはぽかーんとした表情で固まってしまった。
イカ型端末はフレンド登録と共に相手のメールアドレスや電話番号を得ることができ、逆にフレンド登録なしで連絡先を交換することは出来ない。情報漏洩の危機を全くと言っていい程持たないハイカラシティの住人達は特に気にせずフレンド登録をどんどん行っているが、一部ではやはり気にしてしまう奴もいる訳で。俺は小さい頃ナノの母親に耳が痛くなるくらい個人情報の大切さを説かれたことがあるのでフレンド登録は本当に最小限にしているため、不便なんだか便利なんだかよく分からないな、と何度思ったことか。俺に積極的に登録をしたがるインクリングがいるかどうかはこの際置いておこう。そういえば、俺以上に個人情報の大切さを教えられてそうなナノは特に気にせずフレンド登録をしていた
な、と思い出していたところで考えるのをやめた。思い出に浸っている場合ではない。とにかく今はこの状況を打破せねば。
「…いや、待てよ。ナノやスイレンならエリュ達の連絡先を知ってるか。多分」
「えっ、フチドリ二人の連絡先知ってるの?」
「一応フレンドだからな。多分ケイもエリュとフレンド登録してるだろ」
「そ、それを早く言ってよ! 本当にびっくりしたじゃん!」
生気を取り戻したエンギが隣で喚きだした。鬱陶しくてとりあえず頭をぐしゃぐしゃにしてやると、あーだのうーだのとされるがままになっていた。大人しくなった隙に周りを見渡すと、コーヒーカップの乗り物が目についた。この辺りで目印になりそうなものはあれしかなさそうだ。
「あのコーヒーカップを目印にしよう。とにかくエンギはケイとカザカミにメール送ってくれ。俺はナノとスイレンに送るから、そこからエリュ達にまた連絡を入れてもらえるよう頼んでみる」
「わ、分かった!」
俺がエンギの頭から手を離すと、エンギは慌ててイカ型端末に向き合った。かなりの指の速さだ。俺がナノ達にメールを送り終えた頃には既に手持ち無沙汰になっていた。
それから俺達はコーヒーカップの入場口から少し離れた場所に移動した。とくになにをするでもなくコーヒーカップの方に目をやる。コーヒーカップは動いていないどころかどこを見ても入場客が見当たらない。係員が暇そうにイカ型端末をいじっているのが見えるくらいだ。恐らくみんなパレードを見に行ってしまったのだろう。ただの踊りになんの面白さがあるというのか。そう心の中で毒づいた。
「あ、あのさフチドリ」
突然らしくもなくうじうじとした様子でエンギが話し掛けてきた。俺は不思議に思いながらもエンギの方を見た。
「わたし、コーヒーカップ乗りたいなぁ…なんて」
「あとでな。今はここにいねぇとみんなと行き違いになるかもしれねぇし」
「えっと、じゃあさ、フチドリも一緒に乗ってくれる?」
「は? 俺?」
「う、うん!」
「ニサカの方がいいんじゃねぇか?」
「えっ」
ありえない、とでも言うように俯き濁った声を出すエンギに、俺は首を傾げた。
「なんでニサカ…?」
「なんでって、あんたら仲良さそうだったし」
今日の出来事を思い返す。何度かエンギとニサカが目配せしていたような気がするし、そういえばまだノワールの様子を探っていた頃、エンギは俺達の知らないところでニサカになにやら助けられていたらしいのだ。あの頃のノワールのことを考えると助けたのもニサカの計算の内に過ぎないのだろうが、今は二人とも仲良さそうに一緒にはしゃいでいるのをよく見る。
だからこその提案だったのだが、エンギは俯いたまま顔を上げない。どうしたんだ、と声を掛けると、エンギの体がぷるぷると震えだした。そして、勢いよく顔を上げる。
「バカ! フチドリのバカ! バカバカのバカー!」
「はぁ!?」
突然の大声、しかも罵声に俺は苛立ちを隠せなかった。かなり睨んだ自覚があるのだが、それでもエンギは引かなかった。それどころか、うっすらと涙を浮かべている。それに気付いた俺は少し弱気になってしまう。
「ほんっとなにも分かってないんだから! その鈍感頭、わたしのホクサイで叩いて治してあげてもいいんだよ!?」
「なんの話なんだ! 全く見えてこねぇよ!」
「だから! だからわたしは、フチドリのこと──!」
「トリさぁーん!」
その時だった。突然腰辺りに強い衝撃を覚える。
前に倒れてしまいそうだったのを必死に右足で踏ん張り、なんとかその衝撃に耐える。一言文句を言ってやろうと上半身だけ振り返ると、俺の腰にスイレンが抱き付いていた。
「やっと見付けましたトリさん! ずっと探してたんですよ!」
「す、スイレン!? なんだ、メール見たんだな」
「メール? いえ、自分はトリさんを感じる方向へ歩いてただけですよ」
「は、はぁ…」
相変わらずぶっとんだことを言うスイレンに俺は呆れた返事をすることしか出来なかった。
いやだって、空中ブランコに並んでた時も思ったけど、あんなにつんつんしてたスイレンがケイ並みに馴れ馴れしいキャラに豹変してんだぞ。俺よりもスイレンと一緒にいたはずのニサカがあんなに驚いていたんだ。恐らく今までこんなにキャラが変わることなんてなかったんだろう。ニサカがああなるなら俺も引かない訳がなかった。
「…す…」
もはや声に出ていたのかも怪しいくらいのかすれ声に、はっとなって俺は前を見る。そういえばエンギの話の途中だったのだ。
しかしエンギはというと、ぽかーんとこちらを見ているだけで、先程までの迫力が全くない。まるで白く燃え尽きているようだ。
エンギ、と声を掛けても反応がない。どうしたものか。考えあぐねていると、エンギは急に顔を真っ赤に染めた。
「す、スイレンさんの、バカー!!」
エンギは叫びにも似た声を上げるとそのままどこかへ走っていった。
「おい待て! これ以上迷子を増やしてどうすんだー!」
俺の叫びも虚しくエンギの姿は見えなくなってしまった。
何故今日に限ってみんなどこかへ行ってしまうんだ。ここがどれだけ広いか分からないでもあるまいに。お陰でこっちは大迷惑だ。
俺が肩を落としていると、スイレンは、まぁまぁ、と俺の肩を撫でた。あんたはもう少しスキンシップを控えてくれ。
ここを集合場所に選んだんだから俺がエンギを追い掛けて移動する訳にもいかず、俺達は大人しくここで待つことにした。まぁエンギもほとぼりが冷めれば戻ってくるだろう。
「とりあえずエリュとニサカにメール送ってくれねぇか。俺、二人の連絡先知らねぇんだ」
「分かりました。リーダーには連絡します」
「ニサカもだぞ」
「…」
イカ型端末を手にしたスイレンだが、俺がニサカの名前を出すなりかなり嫌そうな表情で睨んできた。一応、ナノがメールをまだ見てない可能性があるから、と説得を試みるが、依然として表情は変わらない。それどころか、溜め息を吐くとイカ型端末を懐にしまった。
「ナノなら来たメールを見逃すはずありません。ここは仕方ねーからナノに任せます。リーダーには申し訳ねーですが背に腹は変えられねーです」
「どんだけ嫌なんだ」
「当たり前ですよ! あんな文字も読めるか怪しい奴の為に全部平仮名で送れとかめんどくせーにも程があります」
「さすがに捏造が過ぎるだろ。そろそろやめてやれ」
「…?」
「え? 嘘だろ? 嘘なんだよな?」
なにを言ってるんだこいつ、とでも言いたげに訝しげに首を傾げるスイレンに、俺は度肝を抜かれた。
いや、だって、いやいや。そりゃ生き方はインクリングそれぞれだしそれを否定する気も権利もないけど、さすがに一般教養だよな。それともそんな考え自体がおかしいのか。俺にはもう分からない。
「親が放置主義で常識的なものをほとんど教わらなかったそーです」
ぽつりとスイレンが呟いた。
「だからタグマとか、対抗戦とか、まーそういう外部でいつも勉強してるよーです。コミュ力だけは高い奴ですから誰かからあれこれ聞くの得意なんでしょーね。全く。いっつもいっつも教えてやってる自分に深く感謝してほしいくらいですよ」
どこか気に掛けているように話始めたと思えば、最後は完全に嫌味のそれだった。でも喋り方ではうんざり、といった感じだが、その表情は別段嫌そうでもなくて。あー、なるほど。なんて察してしまった。
「…あんたら、仲良いな」
「はぁ!? どこをどー見たらそー見えるんです!? たとえトリさんでも許さねーですよ」
「いや思っただけだ! 思っただけだからジェッカスこっちに向けんな!」
勢いで言ってしまったところではっとなってスイレンの背後を見る。少し離れた場所にあるコーヒーカップのアトラクションの出入口付近で立っていた暇そうな従業員を見やる。本来ならばブキの持ち込みが禁止なのに今ここで出したところを見られれば出禁にされる可能性がある。これからも親睦会等でお世話になるかもしれないのにそれだけは避けたい。と思っていた矢先、ばっちり従業員と目が合った。しかしすぐに目をそらされ、殺人現場にも似たこのシーンを見て見ぬふりしやがった。くそ。自分の命は惜しいってか。出禁の可能性は免れたものの見捨てられたことに関しては腑に落ちなかった。
スイレンはジェッカスを下ろすと、次はないと思え、とでも言うように黒い目でぎらりと睨んできた。なかなかの迫力。
にしても今日は何度もこういう気持ちにさせられるな、とひとりでに思った。こういう気持ち、というのは、ナノとカザカミだったり、エンギとニサカだったり、とにかく、仲が良いんだなぁ、と思わされるのだ。決してその仲の良さに嫉妬をしている訳ではなく、なんというか、微笑ましい気持ちになる。過去にチーム同士でいざこざがあったことも起因しているのだろう。改めて仲直りしたことを思い知らされるいい機会なのだが、なんだか自分が歳を取ったみたいでなんとも言えない気持ちにもなる。この前誕生日を迎えたばかりなのに洒落にならんな。もうこんな考え事やめよう。
考えを散らすように必死に首を横に振り、スイレンに向き直る。とにかくなにか別のことを話そう。特に話題が思い付いた訳でもなく口を開いた、その時。
「フッチー!」
俺を呼ぶ大声が聞こえたと共に、視界ががくんと揺れた。
あまりの突然の出来事に反応しきれず、俺は目をぱちぱちさせていた。良かった、無事で、と背後から聞き慣れた声が聞こえる。振り向くとそこにはケイがいて、俺の左手を握っていた。どうやらケイが思い切り俺を引っ張ったらしい。警戒していなかったからとはいえここまで俺を動かすとは。なんつー腕力。
「さ、フッチー。少しここを離れましょう。危ないわ」
「は? 危ないってなにが」
「だってスイレンさんがいるじゃない」
いつもと変わらない笑顔でさらっと言うものだから、反応に遅れた。
「…いや、全然危なくねぇだろ。つーかここ合流地点なんだから離れたらみんなと入れ違うじゃねぇか」
「少し離れるくらいならすぐに見付けられるわ。平気よ。そんなことより私はあなたが心配なの」
「だからそれがおかしいじゃねぇか。なにも心配いらねぇ。スイレンだってなんも危なくないだろ」
「なにを言っているのフッチー」
ケイの俺の腕を握る力が強くなる。あまりの強さに俺は顔をしかめた。文句の一つでも言いたいところだが、俺はなにも言えなかった。先程まで笑顔だったケイは無表情で、驚くくらい虚ろな目をしているのだ。
「危ないでしょう。危なくない訳ないわ。だってあの子はあなたを刺したのよ?」
「それは…もう済んだ話だろ」
「済んでなんかない。私は今だって、あの時のこと覚えてる」
「…トリさん。別に庇わなくてもいーですよ。事実ですし。なんなら自分が少し離れた場所まで移動します」
「いや、よくねぇよ。そもそもなんの為の親睦会で」
「どうしてその子を庇うの?」
ケイが俺の言葉を遮った。
もう俺はケイがなにを言っているのか分からなかった。こんなにも虚ろな目で、こんなにも必死で、ケイは一体なにに焦っているのだ。確かにスイレンは俺を刺したかもしれない。でもそれはお互い話し合って完全に終わった話だ。それにケイだって、スイレン相手に愛想くらいは振り撒けるって言ってたじゃねぇか。なのに、なんでこんな。
「私知ってるわよ。あなた、カザカミが対抗戦に行ってる時スイレンさんと会ってたんでしょう? あなたとスイレンさんが仲良くなり始めたのもその頃からよね? なにかたぶらかされでもしたのかしら。ねぇ。どうして。どうしてなの。どうしてそんなにもその子を庇うの」
「お、おい。ちょっと落ち着けって」
「なんでいつもあの子なの…。いつも周りに迷惑を掛けて、私の大切なものまで奪おうとして、それを当たり前のように受け入れて。なんで、なんで、いつも私があの子の為に我慢しなくちゃいけないの…?」
最後の方は完全に声が震えていた。泣きそうな声ではなく、真面目になにかを怖がっているような、震え方。そのままケイは俯き、なにも言わなくなってしまった。俺の腕を強く握っていた手も、するりと俺から離れていく。
先程までの迫力も今は完全になくなり、誰もが黙りこんでしまった。周りに誰もいないお陰で余計静かだ。誰も乗らないのならば動かないアトラクションも、こんな時に音を撒き散らさないのが恨めしく思えてくるくらい。
スイレンがどうというよりも、今のケイを他の奴らに見られるのはいけない気がする。スイレンには申し訳なが、ケイを落ち着かせる為にも今は離れるべきか。
そう思ってスイレンの方を振り向いたところで、俺はなにも言えなくなってしまった。
スイレンは俯いていた。俯いて、肩を震わせて──泣いている。
「…そーいうことだったんですか」
ぽつり。涙声も隠そうとせず、スイレンは絞るように声を出した。
「ずっとずっと、そー思って自分のことを育ててくれたんですか。だから自分のこと、捨てたんですか」
お姉ちゃんのこと、大好きだったのに。
えっ、とケイが驚いた声を上げたのが後ろから聞こえた。
だがスイレンは顔を上げ、酷く涙で濡れた黒い瞳をこちらに向けると、振り返って走り去っていってしまった。そんなスイレンを俺達は追い掛けることも出来ず、スイレンの後ろ姿はすぐに見えなくなった。
「…し、知らない。私、知らないわよ。だって私、この街で生まれてから、ずっと…」
この街で生まれてから。
記憶を作り替える、この街で、生まれてから。
俺はこの時、酷く後悔した。
なんとなく、どこかで気付いていたことだった。緑のカラーに黒い目。サザエ杯ではじめて見た時も、ケイの違和感のある反応も、この街のことを知った後ならば、いくらでも予想出来ることだったはずだ。
ケイとスイレンが、姉弟だったなんて。
──でも記憶の中身までは完璧に同じに合わせられないんじゃないかな。そもそもこの街に来たら記憶が入れ替わることさえ不可解なことなんだし。ハイカラシティも万能じゃないんだよ。
──そこまでは僕も分からないよ。でも君はナノのことを忘れたまま、ナノだけが君のことを覚えてるんじゃないかな。
カザカミの言っていたことを思い出す。俺は、頭を抱えることしか出来なかった。
どうすればいい。俺になにが出来る。この街のおかしな仕組みのお陰で拗れ、すれ違ってしまった二人に。俺は。
2018/08/06