Novel | ナノ
Novel



voyage 1



今私は、別れを告げた彼氏……いや、元彼によってマンションの五階のベランダに追い詰められている。
「別れるなんて嫌や!俺は絶対認めへん!」
「無理だから!ほんと無理だから!」
じりじりと詰められる距離、彼が握っているのは包丁。
「ソレ!ソレやめて!犯罪者になるつもり?!」
「お前殺して俺も死ぬんやぁ!」
ベタなセリフを吐いた彼はそのままこちらに向かってきた。
「や、やめて!!誰か助け……」
そう言って、エアコンの室外機の上に登ったが、腹部に嫌な痛みを感じてバランスを崩し、そのままベランダを越えて、落ちていく。
私死ぬんだ……こんな間抜けな男のせいで……
おかあさん、おとうさん、ごめん…▽あなたの名前▽は先行きます…
親不孝を許してください……




ユーリは箒星の階段を降り、女将さんに昼ごはんを作ってもらおうと箒星の一階へ向かっていた。

いい天気だなあと、口笛でも吹きたい気分だ。



ドアに手をかけようとした瞬間、背後でドサリと音がして振り返った。
目に入ってきたのは、倒れている若い女性で、栗色の髪がくるくると巻かれていて、柔らかそうだ。

長さは肩くらいで、あまり見慣れない格好をしている。

「なんだぁ?」

ユーリは首を傾げ、女性に声をかけた。

「あんた、大丈夫か?」

うっすら目を開けた彼女は、ユーリと同じ目の色をしていた。

「い…いきてる?っていったぁ!!なんなのこれ!いやぁ!私死ぬんだぁ!」

彼女が腹部を押さえた。
血がじんわりと滲んでいる。

「なっ!大丈夫か!?とりあえず中に入れ!医者呼ぶ!」

ユーリは彼女を抱き上げ、箒星に入った。

「女将さん!悪りぃ!医者呼んでくるから、こいつたのむ!」

ユーリは彼女を座らせ、また外へと駆け出した。


「あんた!大丈夫かい!?」

女将さんはタオルを奥から持ってきて、彼女の腹部を押さえた。

「うう…痛い…めっちゃ痛い…死ぬなんて嫌あ…」

彼女はぼろぼろと泣きながら、腹部を押さえる。

「しっかりしな!ユーリが医者を連れてくるからね!」



かなり動揺しているようで、彼女はひたすら泣いていた。



ユーリはすぐに医者を連れて戻って来て、泣きじゃくる彼女の腹部をめくった。

「刺し傷か…大丈夫だ、浅いし、これくらいなら命に別状はない」


「え?ほんとに?」


医者の言葉を聞いて、彼女は途端に泣きんだ。


「なんだ!アイツ!殺す〜とか言って、全然度胸ないし!やっぱ最後までケツの穴の小さい男だったわね!ふんっ!」


ケラケラと笑う彼女にユーリは目を見開いた。
先ほどまでとは、別人のようだ。

「でも、何針か縫うし、傷が完全に塞がるまでは、安静にね」

医者も呆れた様子で言った。




きちんと手当をしてもらい、一先ず落ちついたので、ユーリと彼女は箒星でご飯を頂く事となった。

「いやあ、ほんとに!通りすがりなのにありがとう!冷たい世の中だと思ってたけど、まだまだ捨てたもんじゃないわ〜」

彼女は勢いよく頭を下げた。


「無事で何よりだよ。でもあんた見かけない顔だな?どっから来たんだ?」


「私?どっからって地元は関東の方だけど」

「かんとう…?帝都じゃねえよな?服も変わってっし、結界の外からきたのか?」

「……?結界?なにそれ、お兄さん東京の人?標準語聞くの久々で、なんか懐かしい〜」

「とうきょう?ひょうじゅんご?」

「……………え?」

話が噛み合わず、お互いに首を捻った。



「よくわかんねえけど、ここは帝都ザーフィアスの下町だ」

「帝都?下町?外国?ここ日本でしょ?」

「にほん?なんだそれ?さっきからあんたが言う事、全くわからねえ」

「え……でも言葉通じてるし……外国じゃないでしょ?それに、淀川のマンションに居たのに、ありえないって」

「……とりあえず、名前は?オレはユーリ・ローウェル」

「……ユーリが名前だよね?」

「そうだけど?」
「やっぱ外国…?」
「で、おまえは?」

「あ、ああ!▽あなたの名前▽です!」

「▽あなたの名前▽ね。で、どういう経緯で腹刺されたんだ?」


「あ!それ!彼氏にさ、別れ話したら逆上されて!ほんで包丁持ち出してきて〜!君を殺して僕も死ぬ〜!とか言われて!私もビビっちゃってさあ、ベランダに逃げたんだけど、刺されてマンションから落ちたの!五階だよ!五階!もお死んだと思た〜」


「……最後はよくわかんねえけど、わかった」

「んで、ここどこ?大阪じゃないの?」



「何度も言うようだけど、ここは帝都ザーフィアスの下町だ」



「それどこかわかんないし!携帯も財布もカバンごと置いてきてるし、どうしよ〜困るわ〜せめて地図とかない?」

「地図ねえ……女将さん、地図ある?」

ユーリは立ち上がり、食事を作っている女将さんの所へ歩いて行った。


「ああ、それならこないだ来た旅の人の忘れ物がカウンターに置いてあるよ」


女将さんに言われ、ユーリは地図を手に取り、▽あなたの名前▽の待つテーブルの上に広げた。




「帝都はココ」



ユーリが指差した所を▽あなたの名前▽は覗き込む。
彼女の表情はみるみるうちに真っ青になっていく。

「あ、ありえないって……これ世界地図なのよね?」


「そうだけど?」

「じゃあ私、ほんとは死んで、天国にでも来ちゃった?」

「少なくとも、ここは天国じゃねえな」

「……まったく状況が飲み込めない……私が居たのは地球で、日本で、大阪!」

「……ここはテルカ・リュミレース。国は帝国一つしかない」

「全然わかんない……どこここ……私家帰れない感じ?」

ユーリに問うても仕方ないのだが、▽あなたの名前▽は不安そうに彼を覗き込んだ。


「はい!おまたせ!ごはんだよ!」


女将さんが皿を持ってきたので、ユーリは地図を片付けた。


「まあ、飯食ってから考えようぜ。腹減ってるとロクな事考えられねえからな」




その後、箒星をでて、街をまわってみる事にした。



「あのでっかい輪っかなに?ビームでも出るの?てかお城ある!お姫様とか居る?」

「居るんじゃね?あれが結界だよ。魔物から人を護ってる」

「魔物?エイリアンみたいな?こわっ!そんなの居るの?」

「結界を出なきゃ問題ねえよ」

「ねねっ、ユーリ剣持ってるけど、それこの国では認められてるわけ?」

「ん?なにいってんだ?武器くらいどこでも買えるぜ?」

「まじで〜?こっわ〜!治安とか大丈夫?」

「まぁ、別に裏通り行かなきゃ悪くねえよ?」

「色々わかんない……ここってなんかパラレルワールドとか?私、絶対家帰れないよね」

「金も持ってねえしな、とりあえずどーすっかな……」

ユーリもすっかり困ってしまい、ため息をついた。


「なにからなにまで、迷惑かけてすみません……」


▽あなたの名前▽はしゅんと俯いた。

「気にすんな、とりあえず、オレの部屋行くか」




ユーリの部屋は箒星の二階、▽あなたの名前▽が息子なのかと聞いてきたので、居候してるだけだと、返した。


「めっちゃ申し訳ないんだけど、今晩泊めて?」

「男の部屋に泊まる気か?」

「そこはしゃあない。なんつって。でも、寝て起きたら帰れる気がしなくもないのよ」

「よくわからねえ理屈だな……」

「ほんとに頼む!ユーリしか、頼れる人いない!」

▽あなたの名前▽は、ばちんと両手を合わせた。


「しゃあねえな……」

「うっわ!ありがとう!まじでありがとう!ユーリが居なかったら、ホームレス!こんなピチピチギャルがホームレスとか、笑えない〜」

▽あなたの名前▽が嬉しそうに笑ったので、ユーリも眉を下げた。
彼女の正体はよくわからないが、見知らぬ土地で心細いだろう、笑っていてくれると、まだホッとする。




その夜ユーリが床で寝るといったが、▽あなたの名前▽は自分が床で寝ると譲らなかった。

お邪魔してるのはこっちなんだと、ラピードと一緒に丸くなった。






翌朝ユーリが目を覚ますと、窓辺に▽あなたの名前▽の姿があった。

「おはようさん、眠れたか?」

ユーリの言葉に返事はない。

よくみると、窓枠にかけられた手がわずかに震えている。



「おい……大丈夫か?」


ユーリが覗き込むと、大粒の涙を流して彼女は唇を噛んでいた。



「戻ってなかった……夢でもない……私……ほんとに知らないとこ来てた……ここ知らない世界だし……友達も家族も居ないし……なんにもわかんない………」



▽あなたの名前▽はどうやら本当に、ここではない所から、突然ここに現れたのだ。
魔導器も知らないなんて、ありえない。

ユーリは震える彼女を、思わず抱き寄せていた。



「大丈夫だ、帰れる方法がわかるまで、ここに居ていいから」

「ユーリ……そんな優しくしないで…私ほんとにダメんなる」


抱き寄せた彼女は震えていて、体も冷えている。

「心配すんな」


ユーリは優しく笑って、▽あなたの名前▽の頭を撫でた。
彼女は嗚咽を漏らしながら、涙を流した。








「うぉりゃぁぁああ〜!」

爽やかな朝に、▽あなたの名前▽の気合が入った叫び声が響く。

「……またかよ」

ユーリは眠い目をこする。

「うわわわわ!ひゃ〜!」



ドサッ



「ったくよくやるよ…」

ユーリは窓辺まで歩いて行き、下を覗き込んだ。



「生きてるか〜?」


窓の下では、▽あなたの名前▽がぺたりと座っていた。


「………うわーん!やっぱむり〜!?」

▽あなたの名前▽はキョロキョロと辺りを見回し、がっくりと肩を落とした。


「いい加減迷惑だからやめろ」


ユーリは窓から飛び降りた。
▽あなたの名前▽はここのところ、窓から飛び降りてばかりだ。

どうもこちらにきた時に、高いところから落ちたらしい。
同じことをすれば戻れるかもしれない、という作戦らしいが、毎日失敗ばかりだ。



「しっかし、どうすりゃいいのか……」


ユーリは頭を掻いた。

「……そのうち帰れるかも」

▽あなたの名前▽はたち上がって、服の砂を払った。
ユーリのシャツとズボンを貸してあるのだが、ぶかぶかで、みっともないことこの上ない。

「……服、買いに行くか」


「ユーリの?私が見たてしたげる!こう見えて仕事はスタイリストなの!卵だけどっ」


「ばか、お前のだよ」






朝食を済ませてから、市民街へと買い物へ出かければ、▽あなたの名前▽は嬉しそうにキョロキョロと街並みを見渡していた。


「ほんと、外国みたい〜!」
「おい!迷子になったら帰れねえだろ」


ユーリはふらふらと歩いて行く▽あなたの名前▽の手を引いた。

「……それ!地理も勉強しないと、なにかあったとき困る!」

手をつなぐ、というより、ユーリは手首を掴んでいるだけなのだが、▽あなたの名前▽は嬉しそうに手を握り返した。

2人の姿は恋人同士そのものだ。

ユーリは少し高めの服を進めたが、▽あなたの名前▽はワゴンセールの品ばかり選んでいた。



買い物を終えた2人は、箒星で夕食をとる。


「こんだけ邪魔しといてなんだけど、ユーリ彼女とか居るっしょ?男前だし」

「いねえよ」

「またまた、女食いまくってる顔してる!」

▽あなたの名前▽はニヤリと笑った。


「お前、恩人に随分な態度じゃねえか、あ?」


ユーリも楽しそうに言った。

「いやいや、ありがとう、ほんとに。服もご飯も寝床も提供ユーリなんだし」

▽あなたの名前▽は、美味しそうにマーボーカレーを頬張る。

「でも〜さすがに悪い。でも、こんな生活も悪くない!」

「明日からは働け」

ユーリの今日のメニューもマーボーカレーだ。


「うっわ…そうきたか!」
「心配すんな、オレの手伝いだよ」


「ユーリって仕事してるの?そういう概念ある?」


「うっせ、オレは下町の雑用だよ」



「てかさ、結界?の外って何があるの?」

「……ずーっといきゃ他にも街があるけど、魔物が居んだよ。普通は外には出ねえよ」

「ふーん。その魔物って普通の動物と違う?」

「全然ちげーよ。凶暴だし、襲ってくる」

「へえ、それで、武器持ってるんだ」

「……まあ、そんなとこ」



「▽あなたの名前▽!もう怪我はいいの?」



箒星の息子、テッドが▽あなたの名前▽のそばにかけてくる。

「平気!抜糸もすんだし、傷は残るみたいだけど」

「女の子なのに、災難だったね」

女将さんが言った。

「いいのいいの、目立たないとこだし!それより女将さん!いっつも美味しいご飯ありがとう!」



すっかり下町に馴染みつつある▽あなたの名前▽。
ここへ来て二週間が過ぎていた。



▽つづく


[←前]| [次→]
しおりを挟む