暗緑の灯火 | ナノ
暗緑の灯火



それぞれの雨



次の日、ラナが相変わらず天気の悪い街をふらついていると、路地裏にピンクの髪が入って行くのを見た。

「来たか…?」

ラナは路地裏へと走る。
宿屋の方にモルディオらしき後ろ姿を見かけた気がする。
おそらくリゾマータの公式とやらがらみで、エステリーゼ様の力に目をつけたのだろう。

気のせいでないなら、路地裏に向かった人物はエステリーゼ様。

あまり人の寄り付かなそうな角を曲がり、路地裏に入る。


そこで目にしたのは、フレンにひしっと抱きつくエステリーゼ様と、呆気にとられるユーリの姿。

「エステリーゼ様、冒険はいかがですか?」

ラナがいたずらっぽく声をかけると、エステリーゼは、ばっとこちらを振り向いた。

「ラナ!!どうしてここに?!」

エステリーゼは驚いた様子で口を覆った。

「ご安心を。連れ戻しに来たわけではありません。フレンの巡礼に同行しております」

恭しく首を垂れたラナは、顔をあげるとにっこりと微笑んだ。

「そうだったんですか……」

エステリーゼがそう言った矢先、フレンが彼女の手を取って走り出す。

「え?あ……フレン……わたしお話が……!」

そのままエステリーゼは引っ張られるようにして、フレンと共に路地裏をあとにした。




「で?賞金首様はご機嫌いかが?」


くるりとユーリに向き直り言ったラナは、ものすごく楽しそうだ。

「副団長様がなんでフレンの巡礼にくっついてくんだよ」

ユーリは反対に不満そうにこちらを見つめ返した。

「別に?私が巡礼に同行するのはよくある事だ」

にやりと笑って見せたラナは、随分と意地悪に見える。

「しかもお前この前から全然帝都に居ねえし」

「そうだっけ?そーいや最近、宿かテントで寝てばっかだわ」

ラナは、うーんと首を傾けた。

「で、フレンに添い寝したってか?」

ユーリはごく自然に、ラナの頬を触った。

「……断られたよ」

ラナはくすりと笑う。

「はぁ?」

ユーリは眉を寄せた。そのしかめっ面は、ますます不満そうだ。

「ユーリが居るだろって言われた」

ラナはするりとユーリの胸にすり寄った。
妖艶に微笑む彼女にごくりと喉がなる。

「フレンがまともだし、ほっとしたけどなんかムカつく。お前も誘ってんじゃねえよ」

「だってユーリは騎士団に居ないからさ」

「……お前はなんでそんななわけ?」

ユーリはラナを引き離すと、大きくため息をついた。

「なにが」

「……自覚ねえのかよ」

「ユーリこそ、エステリーゼ様に手ぇだすなよ?あの方は皇帝候補だ」

「出すわけねえだろ……って……皇帝候補?」

ユーリは思わず目を見開いた。

「そうそう。ただの皇族ってわけじゃないから、しっかり護衛頼むよ、下町の騎士様」

ラナは、ユーリの肩をポンポンと叩いてそう言った。

「押し付けんな。それにエステルはフレンに会えたんだから、もう帝都に戻るんだろ?」


「私としてはそうしたいんだけど、そこは成り行きに任せるわ」


「……まだなんかあるって事か」

「ユーリは勘がいいな」

楽しそうにラナは笑っているが、やっぱりユーリは不機嫌そうだ。

「まあ、後で宿に来てくれ。この街で起きている事はユーリの目的にも絡むからな」

そう言ってラナは立ち去ろうとしたが、ユーリに腕を掴まれ、足を止めた。


「どうした?」


ユーリは何も答える事なく彼女を引き寄せると、唇を重ねた。
不意をつかれ、さすがにラナでもドクリと心臓が騒ぐ。
ユーリはそのまま舌を割りいれると、絡めながらラナの口内を侵していく。

「んっ……」

身じろぎしても、容赦なくユーリはねっとりと舌を動かし、ラナをそのまま抱きしめる。

ユーリの手は冷たいのに、抱きしめられる感覚も、舌も熱い。

フレンと違うキス。


ユーリが唇を離すと、ラナの名残惜しさを示すように、2人の間を糸が繋いだ。

「……きもちい」

熱っぽい瞳でラナが見つめながら言えば、ユーリは大きなため息をついた。

「なあ……お前別に任務とかじゃねえんだろ?オレと来いよ」

「指名手配犯と旅をしろってか?」

ラナは小馬鹿にしたようにそう言った。

「別にいいだろ?オレは脱獄しかしてねえ」

「開き直るな、情けない」

「で、どうなんだ?」

「任務ではないが、今は無理です」

ラナはユーリを押しのけると、再び路地裏をはなれようと歩き出した。

「今はってことは今じゃなきゃいいんだな?」

ユーリがそう声を張り上げると、彼女はちらりと振り返り手を振った。
わずかにその表情が、不敵に笑っていた気がして、ユーリは思わず笑みをこぼした。






ラナが宿に戻ると、エステリーゼから一連の騒ぎをフレンが聞き終わっているところだった。
部屋中に立ち込めるダージリンの香りが、ラナを酷く辟易とさせる。

「エステリーゼ様に今事情を聞いたよ。ラナにも後で話すよ」

フレンが言った。

「いや、私はいい。大体わかってる。それよりエステリーゼ様、治癒術はどの程度使われていますか?」

ラナが優しく笑ってそう言うと、エステリーゼはハッとした様子でこちらを見つめ返した。


「……そのご様子ではかなり多用されているようですね」


「は…はい……まずかったでしょうか…?」


エステリーゼは申し訳なさそうに俯いた。

「結界の外を旅しておられるのですから、無理はないでしょう。しかし、バレるのも時間の問題ですよ」

ラナの言葉に、エステリーゼはさらにしょんぼりとしてしまった。


その時、ノックの音が響き、少し重くなった部屋の空気が変わる。
どうぞ、とエステリーゼの返事を待たずに入って来たのはユーリ。
ノックをしただけでもマシだろう。

続いてモルディオと、小気味良い髪型の少年が入って来た。

「モルディオ、ユーリにくっついてくと思ったぞ」

ラナがにやりと笑うと、リタも少し口角を上げた。

「知り合いだったなんてね」

リタはそう言って腕を組んだ。
恐らく魔核ドロボウ呼ばわりされたのだろう。

「用事は済んだのか?」

ユーリが言った。
フレンはコクリと頷く。

「そっちのヒミツのお話も?」

嫌味っぽくユーリが言ったが、フレンはさして気にとめず話を始める。

「事情は聞いた。なぜ賞金首になったかもね。まずは礼を言っておく。彼女を守ってくれてありがとう」

「あ、ありがとうございました」

エステリーゼがそう言って頭を下げた。

「ついでだよ。魔核ドロボウ探しのな」

「問題はそっちの方だな」

フレンはユーリに厳しい目線向けたので、彼がうん?と返事をした。

「事情はどうあれ、帝国の法は公務の妨害、脱獄、不法侵入を認めていない。それ相応の処罰を受けてもらうが、いいね?」

「フレン!?」

エステリーゼが焦った様子で声をあげた。

「別に構わねえけど、ちょっと待ってくんない?」

ユーリが言った。

「下町の魔核を取り戻すのが先ってんだろ?ユーリ、そんな生き方じゃ、自分が損するぞ」

ラナがくすりと笑った。

「ほっとけ」

ユーリはシッシと手を振る。
すると、今度はノックもなしにウィチルとソディアが飛び込んで来た。

「フレン様、新しい情報が……って!なぜ、リタがいるんですか!!」

ウィチルがリタをおもいきり睨んだ。

「あなた、帝国の協力要請を断ったんでしょう?帝国直属の魔導士が、義務づけられている仕事を放棄していいんですか?」

彼はそうまくし立てたが、リタ本人は首を傾げる。

「……だれだっけ?」

思いも寄らないリタの言葉に、ウィチルは少しショックを受けたように見えた。

「……ふん、いいですけどね。僕もあなたになんて全然まったく興味ありませんし」

そう言ったウィチルだが、言葉尻にも悔しさがにじみ出ている。



「紹介する。僕……私の部下のソディアと、アスピオの魔導士で同行を頼んだウィチル」

フレンが2人を紹介すると、今度はソディア達に向けて言う。



「彼は私の……「こいつ……!賞金首のっ!!」



フレンが紹介する前に、ソディアは剣を抜いて、ユーリを睨んだ。

「ソディア!待て……!彼は私の友人だ」

フレンがなだめるように言ったが、ソディアの行動に驚いたのは彼だけではない。


「賞金首ですよ!」


ソディアは、フレンの言葉でさらに取り乱したようだ。

「事情は今、確認した。確かに軽い罪は犯したが、手配書を出されたのは濡れ衣だ。後日、私が帝都に連れ帰り申し開きをし、受けるべき罰は受けてもらう」



「し……失礼しました」

ソディアは少しばかり納得がいっていないようだったが、剣を鞘に収めた。

「……それでウィチル、魔導器の事はわかったのか?」

ラナは壁にもたれかかり、言った。


「はい。連続した雨や暴風の原因は、副団長の仰った通り、魔導器の可能性が高いです。執政官の屋敷に、それらしき魔導器が運び込まれたという目撃情報もありますし、季節柄、荒れやすい時期ですが船を出すたびに、天候が悪化するのは説明がつきません」


ウィチルは言い終わると、くいっとメガネを上げた。

「天候を制御できるような魔導器の話なんて聞いたことないわ……でも……下町の水道魔導器に遺跡の盗掘……まさか……」

リタは途端にこめかみを抑え、自分の世界に入ってしまった。


「悪天候を理由に港を封鎖し出航する船があれば、法令違反で攻撃を受けたとか」

ソディアそう言ったのでユーリはため息をついた。

「執政官様が魔導器使って、天候を自由にしてるってわけか。それじゃ、トリム港に渡れねえな……」

「執政官の悪いうわさはそれだけではない。リブガロという魔物を野に放って税金を払えない住人たちと戦わせて遊んでいるんだ。捕まえてくれば、税を免除すると言ってね」

「そんな、ひどい……」

フレンの言葉にエステリーゼは口を覆った。

「そういえば、子どもが……」

「子どもがどうかしたのかい?」

カロルの言葉に、フレンが返した。


「なんでもねえよ。疲れたし、オレらこのまま宿屋で休ませてもらうわ」


ユーリは誤魔化すようにそう言って、部屋を出て行ったので、リタとカロルも続いた。

「それと……例の『探し物』の件ですが……」

ソディアが言いかけた言葉に、エステリーゼが少し振り返り、すぐに部屋を出て行った。



「……まて、ソディア」


ラナは厳しい目線をソディアに向ける。
彼女はそれにびくりと姿勢を正した。

「指名手配犯に素早く反応したのは素晴らしい事だ」

「……はい」

「だがな、この部屋には同時にエステリーゼ様が居られた。自分の取るべき行動は?」

全て見透かすようなラナの瞳に、ソディアはじとりと嫌な汗をかく。



「………まず、エステリーゼ様をお守りすべきでした……指名手配犯がエステリーゼ様を人質にしないように…」



「そうだな。この狭い部屋で、いきなり剣を構えてもまともに戦えない。むしろ要人に危害が及ぶ可能性がある」

「申し訳ありませんでした……」

「ソディアは感情的になる事が多いな。それは欠点だ。気をつけろよ。いつかフレンの足を引っ張る事になるぞ」

「ラナ、これは僕の至らなさだよ。あんまり責めないであげてくれ」

フレンがそう言って眉を下げた。

「以後……気をつけます」

ソディアはぎゅっと拳を握った。
悔しいのか、フレンに庇われて恥ずかしいのかは、ラナにはわからなかったが。

「フレン、私は少し外す。執政官の件、やれるとこまで頼むぞ」

ラナはふうっと小さく息を吐いて、部屋を出た。




探し物、つまり聖核。
ヨーデル殿下の救出が済んだら、一度オヤジに会わないとな、とラナは考えた。

そして今度は、港へと向かう。
雨が降り続いていて、港には人が居ない。
出港も出来ずに停泊したままの船が、何隻か見えるだけで、閑散としている。


波止場の向こうに、紫色の羽織を見かけた。

そのだらしのない猫背は、シュヴァーン・オルトレインである時とは違い、海に突き落としたくなる。

わざと足音を鳴らして近づけば、レイヴンはこちらを振り返る。

「まだ居たのか。聖核なんか見つからないだろ」

ラナがそう言うと、彼は肩を竦めた。

「そうは言ってもねえ…俺様、探せって言われちゃったから」

「んな事言って、海みて黄昏てるだけだろ」

ラナもレイヴンの隣に並び、向こう岸にぼんやりと見えるトリム港を見つめた。



「……人魔戦争ってさ、結局なんだったのかね?」



ぼそりと放たれた言葉に、ラナはレイヴンを見つめた。

「何故戦いになったかと言う話?」

そう問いかけたが、彼は首を振った。
続く言葉を待ったが、レイヴンは何も言わなかった。




「嫌ならやめろ。ダミュロン」




ダミュロン、と呼ばれ、レイヴンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに戯けた表情を見せ、だから俺様はレイヴン、と笑った。

その名を知っているのは、今となってはアレクセイとラナの2人だけ。その名を今でも音にするのは、ラナだけ。
今ではその名には違和感しか感じないが、悪くはない。


「10年前は子供だったのにねえ」

「だまれおっさん」

「怖いね、副団長様は」


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