暗緑の灯火
動き出した物語
世界は平和に見える
その実、常に本質は隠されているが
目の前の大地は穏やかで
人は当たり前に生きている
人魔戦争
そこに隠されたのは
世界の真実のひとつ
「君には、予定通り巡礼に出てもらう」
アレクセイは、執務室の机越しにお手本のように姿勢をただして立つフレンに言った。
「はい!」
フレンの返事には淀みがない。
「といっても、厳密に巡礼というのは建前で、秘密裏にヨーデル殿下を捜してもらいたい」
アレクセイは物々しく机の上で手を組んだが、その視線がフレンを見ることはなく、書類の文字をひたすら追っている。
「殿下を……了解しました!必ず殿下をお救いいたします!」
フレンはびしっと騎士の敬礼をした。
「くれぐれも、頼む……」
「やっほ!フレン!」
廊下を歩いていたフレンを呼び止めたのは、ラナ。
栗色の長い髪を、高い位置で一つに束ねている。
聡明さを感じさせる緑がかった瞳は、強い意思が宿っていて、フレンの隊服とは違い、黒と緑を基調としたものを着ている。
「やあ。なんだか久しぶりだね」
「おう。しばらく帝都に居なかったからさ」
「そうだったのか。君を見かけなかったわけだね」
フレンは優しく笑った。
「それで、フレンの巡礼、一緒に行くのに戻って来ました」
ラナはニッっと笑う。
「え?ラナが?じゃあ、例の話も…」
「聞いてますとも」
ラナはこくりと頷いた。
彼女は騎士団、副団長でもあり、隊にも所属のない、いわばフリーのような存在で、シュヴァーンと並び、アレクセイの懐刀。
副団長という肩書きはあるものの、アレクセイの副官と言うわけでもなく、彼女は彼女の意思で動くことができる、唯一の存在だ。
隊をもつシュヴァーンとは違い、異質なポジションで、評議会には煙たがられているのはもちろんの事、シュヴァーンの為に隊長首席という階級を作っただけでなく、長らく不在だった副団長、という肩書きに若い女性がおさまったことでも評議会にはよく思われていない。
騎士団内でも、孤高の騎士、となどと言われているが、実際の彼女は人懐っこく、気さくな女性だ。
よく顔を合わせる隊長格や、小隊長格には彼女は非常に印象がいい。誰にでも柔軟に合わせるような、不思議な空気を持っているから。
「出発は明日だろ?今日はしっかり休め!巡礼の形式通り、市民街から出るんでよろしく」
ラナはひらりと手を振ると、結わえた髪を揺らしながら、フレンが来た方に歩いて行った。
翌朝、馬に乗り、フレンを先頭に隊を引き連れ、市民街から帝都を出る。
これは巡礼の正式な出立で、評議会を欺くためのパフォーマンスでもある。
「まずはデイドン砦で一息ついて、それからハルルに向かう」
フレン達は馬に跨りながら草原を進む。
「あの、ラナ副団長…」
ソディアがおずおずと声をかける。
「はいはい?」
「今回の件はどうして同行なさるのですか?」
「ん?殿下の捜索を兼ねてる事、聞いてないのか?」
「承知しております、ですがあなた様が動かれるとなれば、あまりに……その……」
「ソディアは評議会に感づかれないか心配なんだね」
フレンが優しく声をかけた。
「申し訳ありません!出すぎた事かとは思うのですが…」
「はは、上官に意見を言うのは正しいことだから、別にいいんじゃないか?私は半年に一度、視察に回るから、巡礼に同行しても不自然じゃないな。過去にも巡礼に同行したことがあるんでね」
ラナは楽しそうに笑った。
「そうでしたか。申し訳ありません」
「あやまることないぞ〜ソディアが疑念を抱いたままじゃ、任務がはかどらない」
ラナは人懐っこく言った。
デイドン砦に入り、フレン達は馬を騎士団の馬小屋に入れた。
「変わりは無いみたいだなー」
ラナは辺りを見回す。
「平原の主もまだ時期ではないし、少し様子を見たら出発しよう」
「わっかんないぞ、ピンチは日常に転がってるもんよ」
「はは、確かにそうだね。後で砦を一回りしてくるよ」
フレンはそう言って詰所へと歩き出したので、ラナも詰所へと向かう。
ソディアは怪訝そうに2人の様子を見ていた。
それもそのはずで、目上の人間には堅苦しいほどの態度で接するフレンが、ラナに対しては敬語を使わないし、呼び捨てにさえしている。
ソディアには異様な光景としか思えない。
ラナは若い女性でありながら、副団長で、隊を持たない特殊な立場であるからこそとも言えるが、団内で唯一、単独で動くことのできる人物でもある。
小隊長のフレンよりも遥かに騎士団のトップに近い。というより、立場上はナンバー2なのだ。
ソディアにとってはフレンがそんな人物に気さくに話すなど、考えられないような出来事だった。
「ラナ副団長!お疲れ様です!」
詰所にいた騎士は、胸に拳を当てる敬礼をした。
「最近どう?変なことはないか?」
「はい!問題はありません!」
「ほんと?」
ラナはずいっと騎士に詰め寄った。
「は、はい!」
「大丈夫みたいだな」
ラナは詰所の椅子に腰掛けると、テーブルに置かれたリンゴをかじった。
「隊長、すぐに立たれますか?」
ソディアはフレンに向き直り言った。
「そうだね、少し砦を回ってくるから、終わったら行こうか」
「ご一緒いたします」
ソディアとフレンは詰所を出て行く。
「もうすぐ平原の主が来る季節だが、備えは大丈夫なのか?」
ラナはシャリシャリとリンゴを頬張りながら、騎士に言った。
「はい!砦の補強も終わっていますし、訓練も万全です。食糧の備蓄も既に整っています」
「そっか、よかった。ひとつ、お使いを頼んでもいい?」
「わ、私にですか?」
騎士は首を傾げる。
「おう」
「はい、できることであれば……」
「会えたらでいいんだけど、レイヴンって言う紫色の羽織りを着た、ざんばら髪なおじさんがここを通ったら伝えて欲しい事がある」
「ギルドものですか?なんでしょう?」
「うん、多分見たらわかる。「文箱は双子岬の雨」って言っといて」
「はい。必ず伝えます」
「あーいいのいいの、会えたらで。あなたがもし忘れても、咎めやしないよ」
それからすぐにデイドン砦を後にして、ハルルへと向かう。
「そろそろ満開の頃だな〜素敵なんだよ!舞い散る花びらが」
ラナはうっとりと目を細める。
「へえ、でも満開が近付くと、結界が弱まるって聞いたよ」
「毎年傭兵を雇ってるみたいだから大丈夫だろ。それに結界が完全に無くなるわけじゃない」
結界の外も、魔物が居なければ穏やかなものだ。
しかし、不意にその平穏を破るような匂いが漂ってくる。
フレンの小隊の隊員たちも、慣れない巡礼なのだし、ペースは乱したくはないが、ラナは先ほどから感じる、血の匂いにただならぬ不安を抱いていた。
「フレン、ちょっと急ぐ」
「うん、僕も気になっていたんだ」
「何かあっても、この巡礼の隊長はあなた。指揮は任せます」
ラナは射抜くように視線をフレンに向けた。
コクリと頷いた彼は迷いがない。
ハルルへ向けて馬を走らせる。
血の匂いは段々と濃くなってきていて、気分が悪い。
「見えた!」
ラナが声をあげる。
視線の先にはハルルの大きな樹。
ただ、やはり様子がおかしい。
「魔物に襲われている!」
フレンが言った。
魔物は街の中にまで入り込んでいるようで、結界も不安定な時期特有に、展開しては消えてを繰り返していて、魔物は次々に街へ入り込んでいるようだ。
「これより魔物の殲滅を行う!住民を守れ!」
フレンの言葉に、小隊の騎士達は気合い十分な声をあげた。
「フレン、どう?」
「だめだね………僕にはさっぱりだ」
ラナとフレンは樹を見上げた。
枯れかけているような状態で、今は結界も消えてしまっている。
先ほどここで魔物を退けたのだが、どうやら樹がやられてしまったようだ。
「アスピオに行って、魔導士を連れてくるしかないね」
フレンは、はあ、とため息をついた。
厄介なことが舞い込んできたが、フレンはそれを見過ごせるような性格でもない。
「ほんじゃ、すぐにでも出た方がいい。もうすぐギルドが来るだろうしね。どうせ魔狩りの剣だ。あいつらウザいから」
ラナはフレンの肩をぽんと叩いた。
「あの、騎士様!ありがとうございました。せめてお名前だけでも」
ハルルの長が慌てた様子で走ってくる。
先ほどお礼をと、渡されかけたお金を騎士の当然の仕事だ、と拒んだからだろう。
「フレン・シーフォです。今から結界を直すために、魔導士を連れて戻ってきますので、それまでお待ちいただけますか?」
フレンは優しく言った。
「いやはやそれはまた……なんとお礼を言っていいものか……」
「それは、結界が無事に直ってからにしてもらえない?」
ラナはくすりと笑った。
本当は護衛に隊を残して行きたかったが、ギルドが来るとなればそうもいかず、フレンは隊を引き連れてアスピオへと向かった。
アスピオは許可証が無ければ、たとえ騎士でも入ることは出来ない。
騎士団長と副騎士団長以外は。
まったく便利な事で、難なくアスピオの門くぐる事が許可された。
広場まで歩いて来たフレンがラナに振り返る。
「それで、誰に協力を仰ぐんだい?」
「リタ・モルディオ」
ラナがそう言うと、周りにいたアスピオの魔導士たちがビクリと体を硬くした。
読んでいた本を落とした者までいる。
「………副団長、正気ですか?」
フレン隊の1人が言う。
「変人だけど、腕は確かなんだわ」
ラナはクスクスと笑った。
「副団長!フレン隊長!少しよろしいでしょうか?」
伝令係りの騎士がビシッと敬礼する。
「なんだ?話せ」
ラナは副団長の顔で、鋭い視線を向ける。
「はっ!シャイコス遺跡に盗賊団が現れたとの事!」
「盗賊団………ねえ?」
ラナはうーんと首を捻る。
「対処しよう。ちょうどいい、魔導士に案内を頼む」
フレンが言った。
「おう。ま、それはどっちでもいい……が、まだなんかあんだろ?」
ラナがそう言うと、伝令の騎士は小声で言った。
「エステリーゼ様が、この男に連れ去られ、帝都を離れたようです」
騎士は一枚の手配書を差し出した。
そこには、黒髪の男の凶悪そうな似顔絵と、ユーリ・ローウェルとかかれている。
「ユーリ!?」
フレンが驚きに目を見開く。
「おいどーなってんだ?よりによってユーリとは……」
ラナは困ったように眉を下げた。
「懸賞金がかかってる……一体どうなって…?」
フレンは手配書を確かめる。
「ったくあいつなにやってんだか……にしてもこの男とエステリーゼ様が一緒なのは間違いない?」
「はい、そのようです。シュヴァーン隊でも追いかけてるようですが、騎士団長から副団長のお耳に入れておくように、と」
「………オヤジめ、シュヴァーン隊なんて本当にエステリーゼ様連れ戻す気あんのか?どー考えても無理だろ。相手ユーリなのに」
「でも、ユーリと一緒なら、エステリーゼ様も安全だろう」
フレンが言った。
「まあ、そらそうだ………モルディオんとこ行くぞ。おーい、ソディア、手配書持っててくれ」
ラナはソディアに声をかけた。