暗緑の灯火 | ナノ
暗緑の灯火



帝国の担い手



二度目となる執政官邸の中は、やけに静かで気味が悪い。
無駄に広い屋敷は、どこへ向かえばいいのかわからないのだが、ひと気がないのでとりあえず奥へと進む。

階段をあがり、長い廊下を進むと、風がある方向に流れて行くのに気がついた。

辺りに気を配りながらその先へ行くと、信じられないくらい大きな魔導器が目に飛び込んできた。


ごうごうと音をあげながら、空をかき回しているように見える。

「どういう仕組みだよ……」

ラナが居るのはちょうど二階で、魔導器を取り囲むようにぐるりと通路が伸びている。



「この魔導器が例のブツ?」



下から少年の声が響いた。

「ストリムにレイトス、ロクラーにフレック……複数の魔導器をツギハギにして組み合わせている……」

リタの声が後に続いた。ストリムやレイトス、と言うのは魔核の術式の名前。
違う属性を持つ魔導器を組み合わせ、天候を変えているようだ。
ヘルメス式でも、そんな魔導器は初めて見る。


強行突破の犯人はやっぱりユーリ達のようで、彼らは一階でなにやら話しているが、こちらには気がついていないようだ。

どうやら有事とやらを起こして、フレンを呼ぶ手筈らしい。
柵に寄りかかって下を覗き込めば、彼らはぎゃあぎゃあと騒ぎたてて、リタお得意のファイヤーボールであたりはあっ、というに火の海。



「ユーリ、楽しそー」



ラナはクスリと笑った。

「うわぁっ!リタ!やりすぎだよ!」
「こんくらいしてやんないと、騎士団が来にくいでしょっ!」
「でも、これはちょっとまずいのでは……」



「なに、悪人にお灸を据えるにはちょうどいいくらいなのじゃ」



明るい声に、ラナはびくりと体を震わせた。
思わず声の主を探す。
が、ここからはちょうど死角になっていて見えない。

下に降りようか迷った所で、しわがれた叫び声が響いた。


「人の屋敷でなんたる暴挙です!」


ラゴウが紅の絆傭兵団を数名引き連れて現れたようだ。
リタがすぐにファイヤーボールを飛ばしたので、彼らとユーリ達の間には、炎の壁ができた。

熱気にラゴウは少し後ずさりした。
チリリと部屋の空気が乾燥していくのを肌で感じる。



「執政官、何事かは存じませんが、事態の対処に協力致します」



そこに飛び込んできたのはフレン隊。
ちょうどラナの真下。

ユーリ達が騒いでいる間に、突然ガラスの割れる音が響いた。
バリーンッと音をたてた後、ガラスの破片がバラバラと落ちる。

そこに現れたのは、真っ白い変わった鎧を全身にまとい、槍を持った人物と、その人物が跨るのは、青と白の毛を靡かせて泳ぐように宙を舞っている、始祖の隷長。

ラナはあれのどこがミツバチなんだ?と首をかしげた。

彼女を知っているクライヴは、そう呼んでいたから。
そのままミチバチの彼女は、槍を構え直し、勢いよく魔核めがけてつきたてた。

途端に魔導器は、大きな音とともに煙をあげて、停止した。



魔導器を壊され、リタはものすごい勢いで怒鳴っていたが、壊した本人はまたすぐに窓から出て行った。

邪魔する者も居ない彼女の仕事は、無事に終了したようだ。



「船の用意を!」



ラゴウがそう言って奥へと走って行く。

「ちっ、逃がすかっ!!」

ユーリが追いかけたので、リタやエステル達も後を追って走って行く。



「ウィチル!水の魔術使えるか!?」


ラナは手すりから身を乗り出して叫んだ。

「副団長!?」

「火を消せ!モルディオは加減を知らない!」

「はっ!はいっ!」

ウィチルは慌てて背中の杖を構え、術式を展開すると、火を消し始めた。

「フレン!殿下を探せ!」


ラナは手すりを乗り越えて、一階に飛び降りる。


「わっ!」


フレンは思わずラナを抱きとめた。

「うわっ!……あほか、下敷きになったらどうする」

彼女は呆れた様子でフレンを見た。

「ご、ごめん…なんでか体が先に動いて…」

フレンは自分でも驚いたようで、ラナをぎゅっと抱きとめたままだ。


ゴホンッ


ソディアの咳払いに、フレンは慌ててラナをおろす。



「ラナー!ひょろ殿下ならホクロじじいの船ん中!」



上からひょこっと顔を出して叫んだのはクライヴで、ひらひらとこちらに手を振っている。
彼は人間の名前を呼ぶ気はまったく無いらしい。

「何者だ!」

ソディアが警戒心をむき出しにして、そう言ったがクライヴは見向きもしない。

「おう!わかった!ありがと!フレン、船を出す。港に騎士団の船が停泊していた。それを使うぞ」

「彼は……?」

フレンはクライヴを見つめたが、ラナはそれは今はいい、とフレンをひっぱった。

「副団長!あの少年は何者ですか!」

ソディアが声を上げる。
ウィチルのお陰で火は消えたようだが、独特の焦げ臭さが漂う。



「信頼に足る者だ。お前が剣を向けたユーリ並にな。行くぞ、時間がない」


ラナは嫌味を含んだようにソディアに言って、フレンと共に走り出した。

それを見てソディアも弾かれたように走り出し、ウィチルと他の隊員も続いた。



誰も居なくなったはずのその部屋で、クライヴはちらりと柱の影を見た。
不満そうに目を細めると、くるりと踵を返し、部屋を出ていく。

物陰に隠れていたレイヴンは、すっかり静かになったその部屋を見渡し、大きくため息をついた。





「総員、配置につけ!」

船に乗り込み、ソディアの指示で、隊員達は素早く自身のやるべき事を始めた。
よく訓練されている、素晴らしい小隊だ。
アレクセイが重要な任務を任せたのも頷ける。


ノール港の空はすっかり晴れ渡っていて、久しぶりに気持ちのいい潮風が吹き抜ける。

ラナは船首付近で腕を組んで佇んでいた。

フレンはその後ろ姿を見つめる。
こんな非常事態にも関わらず、先ほど抱きとめた時の彼女の体温を思い出している自分には呆れた。

聞きたい事は色々あったが、どこか聞くのが怖くて、何も言えずに見守るしかなかった。




「見えました!あの船です!」


逃げたラゴウの船を探していた騎士が、声を張り上げた。
彼の指差す方角には、燃え盛る船が浮かんでいる。
時折爆発音も響くが、まだ船は少し遠い。

「小舟があの船から離れていきます!」

双眼鏡を覗いたまま、騎士の1人がフレンに言った。

ラナもじっと目を凝らしたが、誰が乗っているのかまでは見えない。

「恐らくラゴウだ。一先ずはいい……あんな船ではトリムに向かうしかない…」

ラナが言った。

「それより殿下が乗っているかどうかだ……船の様子はわかるか?」

フレンは見張りの騎士に言ったが、煙が上がっているせいでよく見えないのか、騎士は首を振った。

「沈むな、あの船……」

ラナは眉を寄せる。
もしも殿下が中に居るのであれば、自力で脱出が出来る状況にあるとは思えない。

しかしこれだけ騎士が大勢いる前で、クライヴの力を借りるのは無理だ。どう考えても八方塞がり。

自分で自分の頭を殴りたくなる。



「全速であの船に向かうんだ!」



フレンがそう言うと、隊員達はハルルに向かう時に聞いたように、気合たっぷりな声を上げる。

隊長が隊長なら、隊員も隊員。本当にいい小隊だ。
祈るような気持ちで燃え盛る船を見つめた。

船はその間にみるみる沈んでいき、ラナの中で絶望がよぎる。


次の帝国の担い手は殿下でしかありえない。


もしもの事があったら、と悠長に構えていた自分を責めるが、船はわずかながれきを残し沈んでしまった。

ラナは身を乗り出し海を見つめる。その表情には珍しく余裕がないので、フレンも心配そうに隣に並んだ。



水面には数人の姿が見えたので、ラナはぎゅっと船のへりを掴む。



「助かった、船だよ!おぉい!おぉい!!」




少年が叫ぶ。
彼の立派なリーゼントは濡れてぺたりとしょげてしまっている。

「どうやら、平気みたいだな」

フレンはほっと息を吐いた。




「殿下!!」



ラナが声を上げる。
そこには確かにユーリに抱えられたヨーデルが見えた。
ぐったりとしていて、目は塞がれているようだ。


「なっ!…今、引き上げます。ソディア、手伝ってくれ」


フレンが驚きに目を見開き、ソディアに指示を送った。








ソディアが引き上げるべくロープを繋いだままの小舟をおろしたので、ユーリ達はそこに乗り込んだ。

「ご無事ですか?」

心配そうにラナはヨーデルを覗き込む。
はい、とにっこり笑ってみせた彼に、ラナは胸をなでおろした。

「オレの心配は」

ユーリがジッとラナを見つめたので、彼女は困ったように笑って、彼の額をぺちんと叩いた。

「ありがとな」

そう言ってラナは笑ったので、ユーリもゆるく笑った。
カロルとエステルは不思議そうにそれを見つめていたが、甲板に出たので小舟をおりた。

ラピードがぶるぶると体を揺らし、さんざん水を撒き散らしてから、ワフゥ、と犬らしからぬため息をつく。

ラナはヨーデルを船室へと案内をして、扉を閉めると片膝をついて言った。



「申し訳ありません殿下!一ヶ月も救出が遅れた上に、御身を危険に晒してしまいました!このラナ・トルーテはいかなる処罰も受ける所存です」


そう言って俯いたままの彼女に、ヨーデルは優しく笑うと、顔をあげて、と声をかけた。

「副団長であるラナを処分するなら、アレクセイにも処分を下さなければならないでしょう。それに、私は無事だった。船を回してくれたあなたのお陰だ。感謝しているよ」

「もったいないお言葉です……」

ラナは自分の不甲斐なさを痛感し、拳を握った。



「それに、裁くべきは他に居るのでは?」



ヨーデルの言葉に彼女はこくりと頷く。

「殿下はラゴウの顔を見ましたか?」

「………」

ヨーデルは黙って首を振った。


「……そうですか……用意周到ですね…」

ラナは目を伏せた。







再び甲板へとラナが出た時には、トリム港の波止場がもうすぐそこに迫っていた。

「副団長!ラゴウの捕獲に辺りを捜索します」

ソディアはラナに駆け寄ると敬礼をした。


「え!?副団長!?」


カロルが髪を直しながら声をあげた。

「すまないが、証拠が揃わない。一応事情を聞く、と言う事で丁重に頼む」

ラナの表情に事情を察したのか、こくりと頷いた。

「あの女の人、副団長なの?」

カロルはユーリに耳打ちした。

「あ?ああ……」

ユーリが言った。

「あんた、知らなかったの?」

リタがふんと鼻をならす。

「え?リタ知り合い?」

「別に」

リタはふいっと顔をそらした。

「知り合いなんだね……」

カロルは、ははっと笑った。


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