お姫様のいない世界 | ナノ
お姫様のいない世界



それでも私は動じない



その夜、私は寝苦しさに何度も寝返りを打った。

寝入る前にもんもんと考え事をしていると、たいがい眠れずにいろんな事を考えてしまうものだ。

こういう時は、一旦ベッドから起きるに限る。


むくりと体を起こした私は、スリッパを履いて窓辺の椅子に座った。

月明かりが部屋を照らし、明るすぎるくらいで、結界の光輪も、案の定かなりの明度だった。
昼間でもしっかりと認識できるその術式の輪は、夜になれば街灯代わりに街を照らす。
さすがに今夜の満月には、負けていたけれど。

評議会の人間は、私には接触してこない。
たぶん、アレクセイが遠ざけているんだろう。
部屋の前の見張りも、そういうつもりで置いているのであって、エステルを護衛しているわけではない。


「おなかすいたなあ……」


夜更かしして明日起きられなくても、会社に行く必要がないから問題ない。

思えば小さい頃から、物語の中の世界に憧れていた。
この文字の世界に、この絵の中に、この画面の中に、何度も行ってみたいと思っていた。

かといって、自分の世界でうまくいっていなかった、ってわけではないけどね。

友達は居たし、学校も楽しかった。
強いて言うなら、魔法や超能力がない事が不満ではあったけれど、いたって平和な世界に、全力で生きていたと思う。

白ばっかり無くなる絵の具。

匂いのついた消しゴム。

リコーダーを吹きながら帰ったり、かくれんぼ、なわとび……

たまに念動力でも使えないかと、えんぴつに向けて浮け!なんて念じたりもした。
ハ○ーポッターを見たら、箒にまたがって飛び上がって、小枝を振り回す。
魔○宅でもやったな。お母さんに、竹ぼうきをホームセンターで買ってもらった。

今思えば、それでよかった。
よかったんだと思う。

特別不思議な事なんか起きなくっても、いろんな事があったし、飽きなかった。

そのまま普通に大人になって、就職して、そしたらそのうち結婚して、子供を産んで…
それで、よかったんだけどね。


私はそう思っていた。
けれど。
今はこの魔導器とエアルの世界を楽しみたい!


今、足がついている世界を全力で楽しむ!
だって、楽しいもん!!

私は勢いよく窓を開けた。


引っ掻き回してやろう!この世界を!


テルカ・リュミレースが帰ってくれと頼み込んできても、私とエステルを入れ替えたやつが、居ても居なくても!

そして、何階か知らんが窓に足をかけた。
満月の夜に飛び込むなんて、なんかかっこいいー!

「いってきまーす」

私はかるーく、広い部屋の入口を見張る騎士に向かって言った。
もちろん聞こえるわっきゃない。

そして、ぐいーんと身を乗り出してみたところで、気がつく。
向かいに木があり、そこから1人の男が現れた事に。

金髪の彼は、なんと真面目で有名なフレン小隊長だった。


ばっちり彼と目が合う。

何この人、まさかの夜這いか!?

フレン!?なぁんて大きな声を出したりしませんよ、私は。
だって誰かにバレるとマズイ状況なのは、とってもとってもよくわかるので。

フレンは私に下がって下がって、と合図した。

どうやら、窓から退いて欲しいらしい。
私は渋々それに従った。
今から出かけるところだったのに、それを邪魔されたんだから。
彼らはいつもタイミングが悪くて、暇してる時には絶対こない。

何かアクションを起こしたときに、別の誰かからのアクションがあるのは、RPGでの常識だけど、まさかそういう事なの?
私はプレーヤーで、主人公か?

フレンはぴょんっと窓から中へ入って来た。
鎧も外しているようで、身軽さに磨きがかかっている。


「こんばんは、エステリーゼ様」


悪びれる様子もなく、にっこりと笑って挨拶してきたフレン。
そういうキャラだっけ?
エステルに対して、というかそもそも、こういうイレギュラーな事するのかなあ?

「こんばんは」

色々突っ込みたかったけれど、一言だけ挨拶を返した。

「実は、ヨーデル殿下が何者かにさらわれました」

「……は!?昼間気をつけてって言ったのに!」

思わず私は声を荒げた。
それはまったくもってエステルではなかっただろうね、ええ。

けど昼話して、夜にはさらわれてるってどういう事よ。
ハラ立つわあ…

「エ、エステリーゼ様…落ち着いて下さい…」

「失礼しました。で、行方はわかっていますか?」

「はい。私はこれから騎士の巡礼に出ます。そして、殿下を無事に帝都へお送りする事を約束します」

「……巡礼に?表向きにと言う事ですね?わかりました、私も口外しません。どうかお気をつけて……ヨーデルを頼みます」



「姫様」


フレンは急に膝まづいた。
なんか瞳が潤んだようにも見える感じで、こちらを見つめてくる。

なに?これ?
笑いたい。



「この状況で、あなた様を1人にする事が、心配でなりません」



うるうる。
と文字が見えそうなくらいに、フレンは熱い瞳でこちらを見つめ続ける。
セリフも甘ったるいものだった。

え?え?2人の恋の展開ってありましたっけ?


「どうか、ご無事で……」


「はい、フレンも」

うるうると、この流れに乗ってみる。


「エステリーゼ……様…」

フレンはそっと私を抱き寄せた。
突然すぎてびっくり!な、私は完全に体が強張り、一歩も動けなかった。

騎士フレン。
皇女エステリーゼを抱きしめる。

んな事あるのか?


いやぁ……おかしいでしょ。


「エステリーゼ様、どうかこの無礼をお許し下さい。今はただあなたの体温を感じていたいのです」


………うそやん。
フレンってこんな甘ったるい感じで、おまけにルール違反なんかする?
エステリーゼ様はあくまで敬う存在で、仕える側のフレンにはそんなことより、やりたい事があって上を目指しているんじゃないの?


じっと棒のように立ちながら、ちょっとラッキーとも思った。
イケメンに抱きしめられちゃってるよ。

ユーリじゃないのが残念だ、なんてフレンには言えない。

生々しい男の匂いだ。
柔らかいいい香りだけど、男の匂い。
こんな風に抱きしめられるのなんて、とんでもなく久しぶりで、そうそうある事でもないね。

「フレン、なにか心配事があるのですか?」

私は歳上らしく、余裕の雰囲気を発射した。
けれどまぁ、今は歳下なんですよね。

「いえ、あなた様の事が心配で……最近はさまざまな新しい事に挑戦しておいでですから……」

「大丈夫、そのせいで何かあっても、フレンが力になってくれるでしょう?」

「もちろんです。この身にかえてお護りします」

ぱっと体を離して、フレンは私に敬礼した。
凛とした姿で、青い瞳はこちらに向いたままだ。
私は急に、どうしようもない焦燥感に煽られた。

変えられない、変えることのできない、それらへの気持ち悪さ。

一瞬でもここで自分の世界を思い出した事が、すごく悔しくなる。

今は、ここにいるんだ。
テルカ・リュミレースに。


「では、エステリーゼ様。行って参ります」


フレンは、何事もなかったかのように、窓から木へ飛び移った。

手を振る間もなく、彼の姿は闇夜に溶け、シーンとした部屋の静けさに、外では木々が擦れる音、それらが占領する夜に戻った。



やっぱりそのまま寝付けるわけもなくて、会社でのやりかけの仕事が気になった。
気になりだしたら最後、あれもこれも、とくだらない事まで。

もういいのに…

いやいや、果たして本当にもういいのか、わからないんだけど。



にしても、さっきのフレンは何だったのか。

「……悪いもんでも食べたかな」


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