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成長痛(2)

晴れている恐ろしく晴れている。大学の友人たちはこういう日、大人しく講義棟に閉じ込められることができないのか、皆声のトーンが違う。

「涼一、今日学部飲みあるんだけど行く?」
「いや、俺は帰るよ」
「彼女と約束?」
「まあ……そうだね」
「へー、彼女どんな感じ? かわいい?」

授業が終わり、ざわめく教室を出たところで馴染みの友人に声をかけられた。彼らはいつでも角からひょっと現れては、俺を華やかな世界へ誘ってくれる。

しかし授業終了の鐘と共に最も大切なものの元へ駆けたくなるのはあいにく俺も同じだった。

「うん、世界一かわいいよ」

俺には他の何にも変えられないようなかわいいかわいい存在があり、特に最近では他のどんなものにも時間が割けなくなっていた。俺が今までぼんやりと無駄に消化してきた一分や一秒を、全部まとめて洋二郎に費やさせたらいいのに。天気が良い日は現実を生きていないように錯覚し、自宅への道すがらそんなことを考えていた。


玄関ドアは空いており、短縮日課だかなんだかで洋二郎もすでに帰ってきていたようだ。嬉しくなって洋二郎の部屋をノックし、ただいまおかえりと交わしたあと今日のことをぽつぽつ報告しあう。たまにベッドに腰かけたり、洋二郎を捕まえてシーツにくるまってまどろんだり。

自宅に持ち帰った話題の種を消化したら、ベッドの上でこちらに背を向けて横になっている洋二郎を後ろからぎゅっと抱きしめて、そのふかふか柔らかい抱き枕に顔をうずめる。

「洋二郎いいにおいするね、なんで?」
「いいにおいなんかしないよ、今日体育あったし、汗かいてるし……」
「ううん、すっごいいい」
「えー……やだあ……」

息を吸い込みながら首筋にくちびるを寄せると、洋二郎は困ったように身をよじる。そんな仕草に煽られ、シャツの下の腹にじかに触れた。熱と質感を指の先で感じただけで、頭が溶けそうなほど興奮した。

「よーじろー……」
「なに?」

この下衆な行為に、きっと洋二郎だって少しずつ慣れてきているだろう。俺の手がシャツの中にもぐりこみ、少し湿った発音で名前を呼べば次の展開だって予想できるだろうに、洋二郎はこわごわと俺を見上げて「なに?」と尋ねる。その仕草が愛おしさを助長し、すべすべの肌を撫でるてのひらを徐々に降下させていく。

「りょ、いち」
「ん……?」
「や、やだ」

下腹部に触れようとした手を、強い力でつかまれた。照れた洋二郎がやだ、と弱々しく呟くことはよくあるが、今回は少し毛色が違う。振りほどくように身をよじったあと洋二郎は身体を起こしてしまい、そのまま俺に背を向け座った。

「……嫌? どうしたの?」
「いや……ただなんとなく、今日はそういう気分じゃないっていうか……」

洋二郎は最近、確かに少し気分が落ちているようだ。にこにこ笑って周囲の空気そのものを変えてしまう特質が薄れ、常に緊張した気配がまとわりついている。しかし俺だって数年前にそういう時期を経験しているし、悩みなくすんなり生き抜いてしまうことに比べればそれ自体はむしろ健康だ。

俺も身体を起こし、ベッドに腰かける洋二郎の背中にそっと触れながら尋ねる。

「悩みでもあるの? 友達とまたけんかしちゃった?」
「いや……けんかはしてないけど」
「ってことは、悩みはあるんだ」

中学生のころ、家に帰ると真っ暗な部屋だけが俺の帰りを待っていて、クラスメイトとけんかしたことも部活の先輩がむかつくことも誰にも言えずずいぶん苦しい思いをした。と同時に、洋二郎に同じ思いだけはさせたくないと強く思ったのだ。

「なに? どうしたの?」
「いや……大丈夫」
「遠慮しないで話してよ」
「ほんとに大丈夫だから」
「どうして、口にするだけでも楽になるよ」

うつむいて座る洋二郎の首すじにキスをした。洋二郎の首や肩や腰や、そういう大切な部分はいつも無防備すぎるのだ。洋二郎は首を回して俺を振り返ると、視線を落として口を開いた。


「言いたくないって言ってるだろ」


口調はきつすぎず、例えばここが突然洋二郎の部屋でなく居酒屋にすり替わって酔っ払った友人たちの戯言に混ざれば、きっと聞き逃してしまうと思えるほど密やかなものだった。しかしここは馴染んだ洋二郎の部屋で、洋二郎の目は拒絶していた。受け流す、避ける、そんな生易しいものではなく、確実に俺を拒絶していた。

自己主張をするようになった末子のことを淋しいと思うのは家族の性だろう。きっと誰だって経験するものだ。しかし、それならばどうして、つらさを健やかに解消する術を誰も教えてくれないのだろう。


「わかった。じゃあなにかあったら、いつでも頼っていいからね。俺はもう寝るよ。明日も早いし」


ベッドから立ち上がりドアへ行くまでのあいだで、洋二郎が早く引きとめてくれればくれればくれればと願っていた。洋二郎に引きとめられたら、「涼一ちがうの行かないで」と泣きつかれたら、すぐに戻ってそっと寄り添い、続く言葉を何時間でも待とう。洋二郎の心の奥にそっと耳を澄まそう。だから洋二郎、意地を張らずにちゃんと俺を呼び止めるんだよ。

「涼一」
「うん?」
「……ごめん、でも……」

でも、に続く言葉を待ってしまえば、きっと洋二郎が俺を拒絶した正当な理由を知ってしまうだろう。俺はドアノブに手をかけた。

「おやすみ」

振りかえって、今できる一番気持ちのいい笑顔で微笑みかけたあと部屋を出た。そして自室に戻るとすぐこらえきれなかった感情がこぽこぽ込み上げ、俺は自分のベッドに倒れこみ服を脱いで性器に触れた。


興奮してるからとか、ヤりたいからではなくて、感情を消化できないから自慰をする。


「は……っ、ん……」

もやもやを吐き出すためには精液を出すのが一番楽だと気づいてから生きるのがすごく楽になった。クラスメイトや先輩との不服な出来事も感情がけば立つような怒りも、がんがんするような自慰で自分自身に刻み込み、頂点にたどり着いた時全部吐き出せば余韻しか残らない。その後の憂鬱が怖ければ、けだるさに身を任せたまま眠ってしまえばいい。


俺がそんな方法を知ったのは丁度、今の洋二郎くらいの年齢だ。しかし洋二郎には間違っても、そんな不健全なやり方覚えてほしくない。頭に洋二郎の顔が浮かんだら、性器がもっと硬くなった。


洋二郎がどこにもいかず、俺の視野の中だけで笑ったり泣いたり、小さな変化を繰り返してくれればいい。もちろんそんな夢物語は存在せず、やがてやって来る嘆くようなときのために、あらかじめ理想の形を修正しておかなければいけない。

「ふ、っ……あ……」

あーでもねやっぱり洋二郎はかわいいすっごくかわいいと思うんだよ。誰よりも優しいし健気で、同じクラスにあんな子がいたら同級生は勉強なんかろくに手につかないんじゃないかな。

だからいつかのようにクラスメイトにちょっかいをかけられるんだな。洋二郎は素直だからそういうとき真面目に立ち止まりすぎてしまって、そんなところも魅力ではあるけれどでもやっぱり可哀想だから、あんまり外敵に構わずまっすぐ帰ってくればいいのにと思う。

洋二郎みたいな子の無防備な姿を日がな眺めていたら中学生なんてすぐいかがわしい想像に結び付けてしまうだろうし自分の世界にこもりすぎている奴なんて現実との境目があやふやでなにかの拍子に行動に出てしまうかもしれない。人のいないところに呼び出されたら、優しすぎる洋二郎はきっと重要な相談が始まるのだろうとでも思ってついていってしまうだろう。

そうしたら俺はすかさず駆けつけて相手をボコボコにして洋二郎を連れて家に帰ろう。震えている洋二郎をしっかり抱きしめて落ち着くまで待っていよう。涙を浮かべた目で洋二郎が俺を見上げて、ありがと、と呟いて、俺は首を振りながら洋二郎の頬を伝う涙を舐めて。

「んあ、ようじろ……っ!」

その瞬間には思わずうめいてしまった。こういう日に限ってたくさん出てしまった精液が、受け止めた反対の手を汚し、内に秘めたる欲望の量を目の当たりにしてしまう。

洋二郎に、健やかに成長してほしい。しかし俺の視野外で活動しないでほしい。洋二郎が多くの文化に触れて逞しくなってくれたらいい、でも外の世界はすごくこわいからなるべく室内に居てほしい。

相反するふたつの欲求を持て余しているとき、達したあとの脱力感は恐ろしい。気が付いたらドアの内側に魔物が立っていた。きっとこのままでは、あの魔物が醜い僕を頭からバリバリ食ってしまうだろうがもはや抵抗もできない。分かっている、一番成長しなければならないのは他の誰でもない俺自身だ。





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