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成長痛(1)

節々の痛みが気がかりで寝つけず迎えた朝、まだ誰もいない校門をくぐり音楽室へ向かった。早朝の校舎は多くの窓が閉まったままで、もったりとした空気が淀んでいる。廊下の向こうから、そんな空気を震わせるようなエレキギターの音が聞こえてきた。音楽室に居たのはいつもと同じ表情の女の子だった。

「おはようみどり」
「……」
「ん、どうしたの?」
「なんか……」
「え?」

みどりはつま先から頭までしげしげと僕を眺めたあと、ふいに立ち上がりつかつかと寄ってきた。みどりの真顔はときどき怒っているときのそれと見分けがつかない。怒られるのか殴られるのか、思わず身構えるとみどりは僕と肩を並べて立ち、自分の頭の上にてのひらを載せた。

「なんか、背伸びた?」

みどりの頭の上にある手は平行に動き、僕の耳の上あたりにこつんとあたった。出会ったばかりのころ、みどりは僕よりも背が高かった。

「あ……そうかも」
「気のせいかもしれないけど、すごい速さで伸びてない? 先週より高くなってる気がする」
「そうかな……? あ、でも最近ひざが痛くてあんまり眠れないんだよね」
「ああ、じゃあやっぱり気のせいじゃないんだ」

みどりは再び定位置にもどり、ギターを抱え直して言った。みどりも、以前よりずいぶんギターを抱える姿が様になっている。

「成長痛だね」

成長、と言うと聞こえがいいけれどそれは、同じ場所に留まってはいたくないのにどちらへ進むにも動けなくなるようなうんざりする痛みだ。

自分のものではないような身体をぎこちなく動かし、みどりのとなりに腰かけようとしたとき僕たちふたりのどちらが立てたでもない物音と、埋もれるような微かな声が聞こえた。

「……ぅう……」

思わず顔をあげる。辺りを見回すが当然誰の影もない。みどりは特別な反応を示さず、うつむいて弦を弾いている。

「なんか今、声聞こえなかった?」
「あー……うん」
「どこからしたんだろ、となりの準備室かな?」
「やめたほうがいいよ」

いつになく強い口調のみどりは、しかし我関せずといった姿勢を崩さない。

「え、なんで?」
「そんなもの、わざわざ確認しなくていいじゃない」
「でも怖くない? なんの声かわかんないし、学校の怪談とかそういうやつかな」
「……気になるなら見に行きなよ」
「みどりも行く?」
「わたしは行きたくない」
「こわいの?」
「……」

みどりは頑固とした態度を示し、しかしそれ以上僕を止めることもしなかった。意外にも幽霊が怖いのだろうか、かわいいところもある。その時僕はそんな平和な思い込みに浸れるくらいには、視界が暗かったのだ。

足音を立てないように廊下に出て、そっととなりの音楽準備室へ近付く。閉められたドアの向こうで、何か物音がしている。誰もいないはずの準備室から、物音と声――僕は息を飲み、静かにドアの隙間から中を覗きこんだ。

「あっ、だめ、きもちっ……!」
「ん、俺も……俺も気持ちいいよ……!」

誰もいないはずの準備室の隅、ぽつんと置かれた机に手をついて男女が重なりあっていた。かびくさい準備室に充満する嬌声と蒸した空気は、霊的なものを想像していた分余計に生々しく、喉がつまるような感じがした。


「だから言ったでしょ」

音楽室へ戻ってきた俺の顔色を見て、みどりは呆れたようにためいきをつく。きっとみどりは、もっと早い段階から気づいていたのだろう。それでも正しい距離を越えず、ひたすら新しいフレーズを練習していたのだ。いやむしろ、あえてエレキギターを響かせることだけが唯一の抵抗だったのかもしれない。

「お、おかしいよ」
「なにが?」
「だ、だって、男の方体育の森先生だった!」

森先生は大学を出たての、精悍な顔をした若い教師だ。肌は活発な性格を表すようにこんがりと焼け、いつでも豪快に笑う。倫理と道徳を切々と説く年長者に比べると不真面目に見えるほど遊びの多い人で、それがかえって女生徒の憧れを煽る。だからこそ、最低ラインを越えてしまっている現状を目の当たりにして思わず声も荒くなった。みどりはすかさず唇に人差し指をかざし、僕も思わず口もとに手を当てた。

「聞こえちゃうかもしれないでしょ」
「……ごめん」
「仕方ないよ、それは」
「でも、こういうのって問題になるんじゃないの……?」

グラウンドの方から女の子の笑い声が聞こえた。何人かの生徒が一日の予感に笑いだしながら門をくぐるころ、となりにセックスの気配を感じながら、みどりは表情を少しも変えず、どこか諦めるように言った。


「本人たちが納得してるなら、何を言っても仕方ないよ」


未成年だからとか生徒だからとか場所が学校だからとか、問題点はいくつもいくつも思い浮かぶ。しかしそれらは全てひとつの問いに収束してしまうのだ。「僕は自分を棚にあげて、倫理性を訴えられるのだろうか?」俺はその問いの前で、声を大きくすることはできない。


実兄に焦がれるなんて不健全だ変態だ気持ち悪い最低だ、と詰め寄られたら、僕はなんて返すのだろう。


「洋二郎?」
「……ん?」

机に向かったままぼんやりしているとノックの音が響いた。振り返ると、涼一が廊下から伺うように僕の部屋を覗きこんでいる。心配そうな表情から逃れたくなり、机に広げたまま手をつけていなかった英語の宿題を見おろした。

「洋二郎、ごはんできてるよ。食べないの?」
「ん……今日はいいや」
「どうして?」
「んー……、お腹すいてないから」
「またそんなことばっかり言って」

涼一がドアを開けて部屋に入ってきたのが、気配で分かった。足音はひたりひたりと忍びより、僕の背後でぴたりと止まる。

「だから痩せちゃうんだよ洋二郎は」
「そんなこと……」
「ほら、肩も腰もこんなに細い」

冷えた掌がシャツ越しに肩に触れたのは唐突で、思わず声を漏らしそうになった。すんでのところで飲みこみ、さらに深くうつむく僕に気がついているのかいないのか、涼一はするするとてのひらを滑らせていく。

はじめのうち、涼一に触られるのはくすぐったくて思わず笑いがこみあげるような、冗談の延長にあるものだった。しかしこの頃、接触は決して平和で悠長なものでない。触れられると息がつまり、呼吸しようとすると間違えて声が漏れてしまう。それは恥ずかしくて情けなくて仕方が無いことなのに涼一のうれしそうな顔を見るとそれでもいいのではないかと勘違いする。

涼一の指先がわきばらの一番弱いところをなぞったとき、心臓か内蔵かよく分からない部分がひどく膨張して、勉強机の下から見知らぬ魔物が顔を出した。忍び寄る様々な気配が恐ろしくて思わず、涼一の手を払ってしまった。

「やめて……」
「え?」

そんな対応は想像もしていなかったのだろう、涼一は目を丸くしている。

「どうしたの、洋二郎」
「あ、いや。どうもしてないけど……」
「本当? じゃあこっち向いて?」

乳飲み子に語りかけるような優しい口調なのに、涼一の声にはなぜかいつも逆らえず時には自分の都合以上に優先してしまう。顔をあげ涼一を見上げるとすぐ、油断していたくちびるに吸いつかれた。涼一の味がした。

「ん……っ」
「好きだよ、洋二郎」
「うん……」
「洋二郎は俺のことやだ?」
「嫌じゃない……好き」
「ありがとう。もう一回してもいい?」
「……うん」

毎日身体が成長して、その度に自分のことが嫌いになって、それでもやっぱり涼一に抱きしめられキスされると気持ちよくて何も考えられなくなる。もっともっと涼一に触れたくなって、自分の身体の半分が涼一のものになってしまえばいいのにとさえ思う。

キスしている最中、机の下の魔物がささやくのが聞こえた。なあ、お前は、実兄に抱かれる日を待ち焦がれているのだろう――まさかそんなはずはないのに、唇を塞がれているから否定するのを忘れてしまった。





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