いま夏に溺れる | ナノ



第五話

脱衣所のドアが開く音がした。階段を上る足音が近づいてきている。重要なものが忍び寄る気配は、いつでも胸を裂こうとするのだ。

部屋のドアが開いた。

「ありがとー」

榎本は、下着姿で肩にバスタオルを羽織っていた。ぎょっとした。真っ白な肌が、赤く熱を発していた。

「……ふ、服は?」
「せっかくシャワー浴びたのに制服着るの面倒でさあ。制服汗かいてるし。下に置いてきちゃった」
「そ、そっか」

榎本は無防備に、ベッドに腰を下ろした。俺は離れた壁に背中をつけたまま、俯いて缶ジュースを飲んでいる。オレンジジュースの酸っぱさが喉にくっつくので、何度もむせる。咳は俺の情けなさを誇張するように、空々しく響いた。

俺はこんなところでちびちびジュースなんか飲んでる場合じゃないんだよな。えっと、何すればいいんだろ。とりあえずえっちゃんの隣に座って。ああでもいきなりそんなのって変か。あ、それより俺もシャワー行かなきゃいけないのかな?

「……こっち来てよ」

顔を上げると榎本は俯いて、バスタオルで顔を覆っていた。顔を拭いているように装って、表情を隠したいのがばればれだ。俺は缶を置いて立ち上がった。西の窓が開け放されていた。榎本の顔の左側が、夕日の橙に犯されていた。

「え、っちゃん」

榎本が顔を上げる。ベッドに腰をかけた榎本の肩に触れて、顔を寄せる。唇に、静かにキスをした。

実はキスをするのは初めてではない。人の居ない我が家で、ふざけて何度か交わしたことがあった。けれどそれは、子供のじゃれ合いみたいなものだ。大人の先行きはなかった。

ふいに榎本が、俺の首に腕を回した。中腰だった俺は簡単にバランスを崩した。

「っわ、」

ベッドに仰向けになる下着姿の榎本。そして俺は、頬の横に手をついて、覆いかぶさっている。

慌てるべき場面だ。今母が唐突に帰ってきて部屋のドアを開けたら、言い逃れる術などない。童貞の俺が尻ごみ、やっぱり辞めようと言い出すことすら許されない。きんと張り詰めた状況。

なのに、仰向けの榎本が、なぜだかちょっとだけ涙目で、それなのに笑っていた。かわいかった。もうほんとどうしようもないくらいかわいかった。

二人とも緊張しているのに、俺は次の手すら浮かんでいないのに慌てているはずなのに、えっちゃんがめちゃくちゃかわいくってもうそのことしか考えられない。唇を噛みしめていた。

「矢野、こっち寝て?」
「え?」

ふいに榎本がベッドをぽんぽんと叩いた。ベッドに横になるのはされる側だと思いこんでいた俺は混乱した。けれど榎本が、やっぱりかわいすぎる顔で「はやく」と急かすので、俺は混乱したままベッドに寝転んだ。

「目、閉じてて」

言われたままに瞼を閉じると、窓から差し込む夕日に侵されて視界が血潮の赤色に染まった。しばらくするとカチャカチャと金属音が響いて、ベルトが外され制服のスラックスがずらされた。心臓がばくはつするかと思った。

「っ、わ!」

次に感じたのは、ぬちゃ、とした生温かい感触だった。驚いて目を開けると夕日に眼を焼かれた。それからすぐ、まだ開けての合図がないことを思い出して、慌ててもう一度つぶった。

「っふ、ん」
「えっ……ちょっ……、えっ、えっっちゃ……?」
「んぅ……む、ん……」

太股の内側を、さらさらとくすぐるのは榎本の伸びすぎた髪だろうか。そう気付くのと、端的なその単語を思い出すのは同時だった。

おれえっちゃんにフェラチオされちゃってる。

榎本は銜えながら、鼻で息をする。その声がいやらしくて、せりあがる舌先の柔らかさと相まって腰が浮きそうになる。

「ご、ごめん汗くさくない? きたなくない?」
「んっう……ふ……」
「え、えっちゃ、いいよ、いいよそんなことしなくて」
「ひいのお……」

いいのお、と言ったのだろう。真っ赤な視界に響く、輪郭のぼやけた言葉は止めることを止めた。でもだって、俺風呂にだって入ってないし、なんていうか、恥ずかしいっていうか、申し訳ないっていうか。そんな思いを巡らせていたら先端を、じゅう、と吸われた。

あ、やばい。

思ったのと同時に、目を開けた。足の間にうつぶせになった榎本と眼が合った。真っ赤な唇がまるの形になっていて、隆起した俺を飲み込んでいた。瞳は潤んでいて、眉は感情的な波を描いていた。

「っ、ぅあ!」

気付けば、榎本の温かな口内に、俺は欲を吐き出していた。

「っあ! ご、ごめん!」
「…………んぅ……」
「ご、ごめんごめんごめん! ごめんなさい! だ、出して!」

体を起こした榎本の前にお椀型にした掌を差し出す。けれど榎本は顔をしかめながら、ごくんと喉を鳴らした。

ごくんと喉を鳴らした。

「……っえ?」
「…………はあ……」
「え!? え、えっちゃん!? ぺってしてよ!」
「え? もう飲んじゃったよ」
「飲んじゃったの!?」

お弁当のミニトマトを避ける唇が、ラーメンを食べるともたれる胃が、俺の精液を受け止めた。自分でもちょっときもちわるかった。けれど榎本はそれをしてくれたのだ。

「ご、ごめん! ごめんごめんほんっとごめん! だ、出すつもりなかったんだよ、だけど、つい……ごめん……」
「いいよ別に、思ったよりまずくなかったし」
「ごめん……本当にごめんなさい……」
「そんなに謝んなくていいのに」
「だって……ぜったい苦かったでしょ、気持ち悪かったでしょ」
「大丈夫だってば」

榎本は笑う。けれどやっぱり涙目だ。その涙はどこから溢れるものなの。感情を伴うの、それとも身体の異変に反応して溢れるの? 俺のせいなの?

考えるほどに、自分がお遊び的に始めてしまった行為がとてつもない意味を持っていることを自覚する。高校生の背中には背負えないのではないだろうかと思ってしまう。この行為の行き先に何が在るのか、俺は分からないままベッドに上がってしまった。

ふいに、榎本の手が俺の首に回った。

「ね、矢野」
「ん……? な、なに……?」
「そんなに後悔するんだったら、責任とって続きしてよ」

ねぇなんで君はそんなに可愛い顔が出来てしまうの? ちょっと憎く思えてしまうほど。

立ち止まることも引き返すことも許されない。俺はおそるおそる、榎本の細い腰を抱き寄せた。







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