いま夏に溺れる | ナノ



第四話

ベルトのバックルが外れた。静かな倉庫に響く金属のかちゃかちゃという音は、あまりにも秘密めいていた。

榎本の白い指先が、下着のゴムを引っ張った。

「えっ、えっちゃん!」

榎本の手を掴む。思わず力が入ってしまう。手首をとられた榎本は驚いた顔で俺を見上げている。榎本の手首が、石灰で白く汚れた。なにか大変な意味が隠されている気がした。

「えっちゃん、だめだよ、なにしてるの、やめて」

俺は、興奮していたのだと思う。緊張と興奮が喉をつきあげて、声は荒っぽく、言葉ははねのけるように、小さな密室を震わせた。しかし榎本は冷静だった。

「ねぇやの」
「な、なに」
「高校入ったら矢野はすぐにいっぱい友達できたね」
「え? いやそんなことないと思うけど……。それならえっちゃんこそ」
「とられたくないって思うの、俺だけ? 俺気持ち悪い?」

冷静な榎本の声がすこしぶれて、俺はあせった。それから焦った理由はもうひとつ、俺の近頃の妙な感情を説明するのに、榎本のことばがぴったりだったから。

「全然きもちわるくないよ、俺、えっちゃんのこと、すき、だし……」

呟くと榎本が顔を上げた。あ、そうか今の告白だった。はっとした。けれど訂正はしなかった。むしろ清々しいことだった。なんとなく認めてはいけないような気がしていたけれど、意識して見ればそれ意外の正解なんてない。

「好き、だよ、うん」

目を見て言うのは初めてだった。きっと俺も、榎本も、お互いのことは間違いなく好きだっただろう。昔から、ずっとだ。分かり切ったことだった。

「でも、ほら、学校だし、こういうとこでするのはちがうっていうか……」

煮え切らない俺の言葉の切れ端が、蒸し暑い空気を泳いでいる。榎本は俯いたまま黙っていたけれど、やがて慎重に頷いた。納得したのだろう。

中庭と廊下に、雑踏が戻って来た。

「終わったのかな」
「そうみたいだね」
「行こっか、えっちゃん立てる?」
「ん」

先に立ち上がり、榎本に手を貸してやって、外に出た。新鮮な空気が細胞の隙間に染み込んでいく気がした。ぐう、と伸びをして肩を回していると榎本に呼び止められた。

「矢野」
「うん?」
「今日、お母さんいる?」
「あー、今日は午後出勤だから帰るの遅いと思うよ」
「じゃあ、家行くね」
「うん分かった」

うちは母子家庭で、母は日勤と夜勤を繰り返している。夜勤の時は学校から帰る俺と入れ違いになる。高校生にもなれば、親の不在を不便に思うこともない。なんとなく寂しい夜は、榎本を誘って一緒に宿題をやったり、ゲームをやったりして夜を明かす。


今日、榎本の目的は宿題でも遊びでもないのだと、授業が終わって榎本を自転車の後ろに乗せてからやっと気付いた。


「えっちゃん……? どした?」
「んー、眠い。六限数学ってやだよね、寝ちゃうよ」
「ああ、そうだね」

坂道は夕暮れを反射してオレンジ色に輝いていた。一人だったら加速して一気に滑りおりる。けれど今日は、微かな段差の大袈裟な揺れを考慮して、ゆっくりゆっくり降りて行く。

榎本は喋らない。この後のことを考えているのだと気付いてから、俺も無理に話さない。坂道は永遠に続く気がした。海辺の街の風は、深く吸い込みたくなる、やわらかな匂いがする。

「おじゃましまーす」
「はいはい」

自宅に到着すると、何度も遊びに来ている榎本は知った足取りで二階の俺の部屋に上がって行った。俺はキッチンの冷蔵庫から、ジュースの缶を二本持ち出した。

部屋のドアを開けようとすると、内側からドアが開き部屋を出ようとする榎本と鉢合わせた。

「あ、矢野」
「トイレ?」
「ううん、あのさ、汗かいちゃったからシャワー浴びていい?」
「えっ」
「タオルっていつものとこに入ってるやつ使っていいの?」
「あ、いや、う、うん、いいけど」
「じゃ、借りるね」

榎本は何度も家に来ているし、シャワーもトイレも、何回も使っている。タオルの位置も知っているし、二つ並んだシャンプーの、どちらが母用でどちらが俺のものなのかも知っている。


けれど今使用するそのシャワーには、あまりにも沢山の意味がこめられすぎている。


榎本のいない部屋で座っていられなくて立ち上がったけれどそれでもやることがないのでまた座る。このあいだになにか準備すべきか準備ってなにをするのか。混乱してるのに、同時に勃起もしている正直な自分がいやだ。





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