日常がはじまっていく 1 | ナノ



03

「高岡って伊勢にだけ甘いよな」

俺の先輩であり、高岡さんの友人である人が、話の流れでぽつりと呟いたことがあった。その日は誰かの家に集まっていて、高岡さんは早々に床で眠り込んでいた。俺は眠りこける人をちらりと見て、もう一度先輩を見る。

「……そうですか?」
「そうだろどう見ても。今日だって高岡が家まで迎えに来たんだろ?」
「そうですね。優しい人だとはいつも思ってますけど……誰に対してもそうでしょ」
「いやそんなことないだろ。俺とかすごい扱い雑だぞ」
「それはナメられてんじゃないすか」
「ざけんなてめー。……そうじゃなくてさ、女の子とかに対しても割と冷たいんだよあいつ」
「え? そうなんですか?」
「お前見たことない? 女の子が『車乗せてよー』とか言うと平気で『やだよ』『一人で行け』とか言うぞ。しかも結構ガチっぽい感じで。笑えない感じで」
「ええ……」

想像がつかなかった。その日の集まりだって、俺は歩いていくつもりでいた。しかし校内ですれ違った高岡さんが、半ば強制的に「危ないから、家まで向かえに行く」と言ったのだ。

はじめの頃こそ「危ないから」ってなんだよ、小学生じゃないんだから、と思っていたのだが、高岡さんはその言い回しを多様する。何かにつけて危ないから迎えに行く、危ないから送っていく――その言葉には本当に危険を恐れているのだと伝わってくるような強い意識が常に添えられていた。俺が悪いからと断っても、まるで効かないのだ。俺は、高岡さんはそういう人なのだと結論づけ、甘えさせてもらっていた。

だからこそ、女子に対して口にしたという台詞はにわかには信じがたい。

「なんか用事あったとかじゃないんですか」
「いや。別にその時のその子だけじゃなくて、割とどの女の子に対してもそんなんだし」
「あー……まあ、女の子に関心なさそうな感じはありますよね」
「俺さあ、高岡ってゲイなんじゃねーかなって思ってるんだけど」
「いやいや、まじ偏見ですよそれ」
「でもさあ、ぽくない? あいつ結構モテてんだし、それならむしろ納得するんだけど」
「えー……」
「どうする、伊勢がもし高岡に告白されたら」


その時、自分が何と答えたのか覚えてない。今になって思う。あのとき高岡さんは、本当は起きていたのではないだろうか。


「好きだ」

あの日「納得する」と言っていた先輩は、切羽詰った表情で自身に覆いかぶさる高岡さんを見ても同じように言うのだろうか。冷静に、ああやっぱりそうだったんだなあ、と思うのだろうか。そんなはずない。今の俺のように混乱するに決まっている。

「伊勢ちゃん、好きだ。ごめん。好きだよ。きもちいい? 伊勢ちゃん好き、かわいい。ごめんね」

高岡さんは半分泣きながら、鈍くてデリカシーのない俺にも刺さるくらいにセンシティブな言葉を繰り返す。だからこそ高岡さんが同時に俺のチンコを握っているという状況がシュールに思えてしまう。ついさっきまで飲み会の場で、ふざけて笑ってイカれていた俺にとって、高岡さんの繊細さを受け止めるのは容易なことでなかった。分からなくなってしまった。

「ははっ、高岡さん、酔っ払ってんすか?」

冗談にしようとしたこと、これが飲み会の悪ノリの延長戦にある下世話な冗談だったらそれはそれは平和でいいな、と思ってしまったこと、もし告白が高岡さんの本心であれば事態は一変するので、してしまうので、そうでなければいいなと思ったこと。

俺のそうした下衆な考えが、十分に滲んでいた言葉だったのだと思う。


その瞬間高岡さんは、目を見開いてひどい絶望の底に落っこちていった。


「……帰るわ、ごめんな」


高岡さんは数秒静止したあと強引に笑って、引きつった唇のままふらりとベッドから下りた。そして何度目かのごめんを最後に、そそくさと身支度を整え部屋を出て行った。

残された俺はひとり、ほぼ全裸で、たくしあげられたTシャツ一枚だけの情けない姿だ。まだアルコールが残っているためか不思議と寒くない。そんな風に麻痺しているせいで、大切なことにも気付けない。


普段めったに感情を吐き出さない高岡さんの震えた告白を、酔っ払いの戯言と疑うのがどれほど残酷なことか、このときの俺はまだ気付けなかったのだ。




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