リクエスト | ナノ



高岡さんと伊勢ちゃんと香水

「伊勢ちゃーん、俺もう行くけどー」

気づいていた。数分前から通学に使っているかばんをごそごそやっていたし、自宅じゃ下着だけの姿もめずらしくないのにしぶしぶといった様子で服に袖を通しはじめたので、あー外に出るのだなあとぼんやり気づいていた。

しかし玄関に立った高岡さんは、靴をはいた状態のままなかなか出発しない。

「伊勢ちゃーん? 聞こえてるー?」
「はーい、いってらっしゃい」
「はーいじゃないよ、来いよ」
「はあー?」

だらけたモードで布団に寝転がっていた俺は、離れた場所でだだをこねはじめた人のためゆっくり立ち上がる。

「なんすかもー」
「なんすかじゃないよ。俺もう行くよ?」
「いや聞いてましたよ。だからいってらっしゃいって言ったじゃないですか。高岡さん授業なんですよね、俺は今日授業ないから行かないですよ?」
「そうじゃなくてえ。彼氏がでかけちゃうんだよ? さみしくないの伊勢ちゃん」
「学校行くだけでしょ」
「そうだけど、毎日ちゃんとお見送りしてよ」

スニーカーを履いた高岡さんは、手を広げ、甘えるような目を向けてくる。仕方がないのでその腕の中に導かれると、強く強く抱きしめられた。

「はいはいいってらっしゃーい」
「あー伊勢ちゃんいい匂い……なんで俺と同じシャンプー使ってボディソープ使って同じ洗剤で洗濯してんのにこんないい匂いすんの」
「知らないです、どんな匂いですか?」
「わかんない。フェロモンの匂い? あーやばいこの匂いかいでるとすげー興奮しちゃう。勃起しそうになる」
「やめろや。さっさと行ってください」

身をよじって身体を引き剥がすと、高岡さんは全然足りていないのだと顔いっぱいで語りながら、名残惜しそうにつぶやいた。

「……帰ってきたらいっぱい触らせて、匂い嗅がせてね」
「……わ、わかったからいってらっしゃい!」

一度ドアを開けて外に出てからまた戻ってきたり、ドアが閉まる直前に隙間からこちらへ向かってくちびるを突き出してみたり、やたらと名残惜しそうにしていた高岡さんが手を振りながらようやく去っていくと、やっと部屋が静かになった。たかだか学校へ行くだけなのに、毎日これほど時間をかけていたらたまったものではない。平日の朝から時間がいくらあっても足りなくなってしまうのだが、それでもやっぱり高岡さんは皮膚も視覚も嗅覚も使って別れの時間を堪能する。本当に、堪能する、としか言いようがないくらいにじっくり、その時間を味わうのだ。

思い出したらふいに腰もとがじくっと震えた。首もとに鼻をうずめて深く深く深呼吸する高岡さんの熱い吐息や、甘えるように頭や頬をすりつけられるときの感じ。学校で見かける高岡さんは、友人に話しかけられてもいつも簡素な対応に終始しなんならうっとおしいですという雰囲気さえ醸しているので、いまだにそのギャップには新鮮に驚いてしまうのだ。布団にもどり惰眠の続きを貪ろうとしていたのに、高岡さんの熱を思い出すと眠気が飛んでいってしまう。腕の強さや表情のまるさ、それから「勃起しそう」と言ったときの、言い方こそ冗談めいていたけれど、決して冗談ではすまなそうな圧力。思わずつぶやいてしまう。


「……いい匂いはあんたの方だろ」


高岡さんはいつも同じ香水をつけていて、それはこういう関係がはじまるずっと前から変わらない。高岡さんと廊下ですれ違ったとき、目より脳より先に鼻が高岡さんをつかまえて声をかけることさえあったくらいだ。

付き合う前、いつものように他愛ない用事で高岡さんの家に遊びに来たとき、チェストの上に雑に置かれた小瓶を見つけて「高岡さんがいつもつけてるやつってこれですか?」と聞いたことがある。

「あー、そうだよ」
「ですよね。高岡さんいつもこれの匂いしますよね」
「え、ごめん匂いキツかった?」
「いやいやそういう意味じゃなくって。ってかそういう風にとらえるんすかまじネガティブですね」
「いやー……だって匂いって結構好き嫌いあんじゃん。気になるだろ」
「俺は好きですよ」
「……」
「高岡さん?」
「あ、ごめん。聞いてなかった。何?」
「まじすか? そんなピンポイントで聞き逃すことあります?」
「ごめんごめんぼーっとしてて。で、なんだっけ? もっかい言って?」
「だから、俺は好きですよ。この匂い」
「……そっか。うん。ありがと」
「お礼言われることじゃないと思いますけど……」
「……はー……ありがとうございます。よかったらコレつけていってください」
「え? あーありがとうございます。……うん、やっぱいい匂いですねこれ」
「……好き?」
「好きっすねー。飽きないですよねこの匂い」
「……ありがとう……」
「謎お礼シリーズやめてくださいよ」
「よかったらコレあげます持って帰って伊勢ちゃん使ってください」
「え? まじすか? 高岡さん明日からどうすんすか?」
「……もう一個同じのあるからそれつける」
「ストック持ってるんですか?」
「うん。同じの五百個持ってる」
「うそつけーい」


付き合ってから改めて聞いてみたら、やっぱり嘘だったらしい。


「ストックなんかねえよ。あのとき伊勢ちゃんが帰ったあと秒で買いなおしたんだよ。アマゾンプライム会員ナメんな」
「いやそんな特殊なナメ方しないですけど……やっぱりそうだったんですね。高岡さん完全にノリで言ってたっぽかったから、あんなにあっさりもらっちゃってよかったのかなーと思ってて」
「いやでももらってほしかったのはガチ。っていうかもらってもらえなかったら凹んでた」
「そうなんですか? 太っ腹〜」
「だって俺と同じ匂いの伊勢ちゃんとか超興奮すんじゃん」
「あ、そういう……」
「今はシャンプーとか洗剤とか同じもんも使ってるけど、あのときは伊勢ちゃんと同じ匂いなんて夢のまた夢だったから」
「表現まじ大袈裟〜」
「いや事実まじで興奮すっからね。コレが伊勢ちゃんの身体からしてる匂いか〜って考えたらいつも使ってる香水でも十分オナれる」
「ぎええガチの変態じゃないですか!」
「は? このレベルで変態とかお前まじで俺のことナメてんな」
「いやだからナメるとかナメないとかじゃないんですよ」


で、だ。

それで、この有様だ。


「……っ、ふ……」


高岡さんが出て行ってからたった数分。さっきまで起き上がることすらかったるかったというのに、もうすっかりそういうモードになってしまった。傍らに放り出されていた高岡さんの服にあの香水の匂いとほんのり汗の匂いが残っていたので、それに顔をうずめて、夢中になって自身をしごいて俺は本当に何をしているのだろう。万が一高岡さんが突然帰ってきたら本当に言い逃れができない。ああでもそうしたら、残り物をかき集めるような真似をしなくても欲しいものが手に入るのだからそれはそれでいいのかもしれない。もう頭が働かない。色っぽくて甘くてでもしっかり男の人の匂いだ、好きな人の匂いだ、興奮する。

「………っ、ん……」

目を閉じると内側に高岡さんの顔や声や身体やすべてが浮かぶ。性器をしごく手は間違いなく自分の手なのに、頭の中で都合よく変換する。俺は今高岡さんに正面から抱きしめられていて、高岡さんの肩のあたりに顔をうずめて額や鼻の先で骨のかたさを確かめながら、高岡さんに性器を触られている。正面から相手の性器をしごくのは結構難しいのだけど、高岡さんには関係ない。いつも的確に俺を気持ちよくしてくれる。耳元で「かわいい」「イく? イッちゃう?」「イくときの顔みたいな」とかなんとかつぶやきながら。

細部まで詳細に想像していたから、最高潮に到達するのに時間はかからなかった。


「……っあ!」


やばい、声が出た。嗅覚だけを頼りにして、今ここにいない人を想像して声まで出してしまった。びく、びくと余韻でかすかに震えている身体が落ち着いていくと、わきに置いていた羞恥心が一気によみがえった。


「……まじで変態かよ」


弁明のように一人ごちてみるが、本当に一人きりの空間ではその言い訳を聞く人さえいない。


「……はやく帰ってきてくださいよ」


たかだか学校へ行くだけ、なのになぜこれほどむなしいのだろう。空中に取り残された本音をみつめながら、もう一度手元の衣服を強く握り締めた。



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