リクエスト | ナノ



短編「路地裏の宇宙」続きの続き

今日は渋谷で朝10時。

『橋本くん? どこにいるの?』
「え、えーっとぉ……あの、なんか、雑貨屋さんの前」
『んー雑貨屋さんかあ……センター街?』
「え、ここ、センター街なの?」
『いや分かんない。看板ある? 渋谷センター街、って書いてある看板、見える?』
「え、え? 看板? わかんない、オレンジの看板はある。あっこれ居酒屋さんか……」
『あ、分かったかも。そこ動かないで』

一方的に切られてしまった通話は不安を煽る。大丈夫だろうか、俺はこのままどうなってしまうのだろうかと思いながら、律儀に突っ立っているとふいに、着ていたパーカーのフードを引っ張られた。

「つかまえた」

振り返ると、文字通り俺をつかまえた横森くんが笑っていた。白いスキニーパンツにVネックのニット、どちらも俺にはあまりにハードルの高いアイテムだが、横森くんが身につければそれは従来持ち合わせた洗練性を惹きたてるものになる。

「か、かっこいいねっ!」
「はは、どうしたの急に」
「いや、横森くんはいっつもかっこいいんだけど、今日は特別かっこいいって言うか……! いつもよりかっこいい!」
「なにそれ、くどいてるの?」

そんなつもりは毛頭なかったけれど、俺は横森くんのことが好きで、「くどく」というのは好きな相手に思いを伝えるということだと思うから、そう言われればそうなのかもしれない。俺の稚拙な恋愛経験では判断がつかないけれど。

「くど……っ、いてる、のかな?」
「俺に聞くの?」
「あ、そうか、んー……」
「どっちでもいいよ、橋本くんもいつもよりかわいいね。じゃ、行こっか」

ごく当たり前のように手をつないで歩き出す横森くんはもうかっこいいなんてレベルの話ではなくて、やっぱり俺とは別の生き物なのだと実感した。真っ直ぐ歩くのも難しい街の真ん中で俺を見つけ出して、つかまえて手を引っ張ってくれる横森くん。


どんなときもかっこよくてスーパーヒーローみたいな、俺の横森くん。


「……横森くん、大丈夫?」
「んー……」

そんな横森くんにも弱点があるらしい。丸一日、映画を見て、カフェでお茶して、買い物をして、俺に服を選んでくれたかっこいい横森くんは、街が深い色に沈み出すと「ご飯にしようか」と言った。ファミレスやファーストフードを予想していた俺が連れていかれたのは、雑居ビルの地下にある薄暗いバルで、ああやっぱり横森くんは別の生き物なんだなあと再確認した。しかし1杯目のグラスがあいたあたりからどんどん横森くんの顔色がくもり、気づいたときにはテーブルに突っ伏していたのだった。

「大丈夫? 気持ち悪い?」
「ん……へーき……もうちょっと休めば多分、よくなるから……」

どうやらアルコールが苦手だったらしい。ここまで、俺なんかでは歯も立たないほどの完璧なエスコートだったのに今となっては。薄ぺらな人生経験ではこういうときどうすべきか分からず悩んでいると、横森くんがふいに立ち上がった。

「ちょっと……トイレ」
「ついていくよ?」
「だいじょうぶ……情けないところ、見せたくないから」

そんな強がりは必要ないのに、かっこいい横森くんのかわいい側面を見たらいじらしくなって、黙って横森くんの後ろ姿を見送った。

そうしているうちに店員に声をかけられ、店も、デートも、終わりの時間が近づいてくる。戻ってきた横森くんにも、それを伝えなければならない。

「ラストオーダーらしいよ」
「そっか、もうそんな時間か……あ、やばい……もう終電出る」
「え、ほんと?」
「うん……でも駅まで走れないなあ……」
「無理しちゃだめだよ。ついてくから、どこかで休もう?」
「うん……そうだね」

頷いた横森くんはスツールを降り、そのまま店の出入り口へ向かう。思ったよりもずっとまっすぐで落ち着いた足取りに驚いているあいだに、横森くんはそのままドアを開け店の外に出てしまった。

「あ、あれ? 横森くん、お会計……」
「橋本くんから言ってくれるなんてうれしいなあ」
「……え?」
「この辺りラブホテルしかないんだ。……一緒に休んでくれるよね? 橋本くん」

鈍い俺はそこでようやく気付いた。横森くんは、最初から酔っていなかったこと。俺の言葉を誘い出すための演技にすぎなかったこと。トイレに行くふりをして会計を済ませていたこと。そして、やっぱり俺なんかとは、別の世界の住人だということ。



「ん、ん……ぅ!」

ラブホテルに入ること自体はじめてで、緊張しきった俺の横で横森くんは至極スムーズに入室までの手順を踏んでいった。緊張で耳の先まで痛いくらいに熱くなっている俺に構わず、さくさくと順調に事は進み、いつの間にか俺たちには一泊いくらの部屋が振り分けられていたのだ。ドアを開けた瞬間キスされてしまえば、溜め込んだ緊張や興奮が弾けてがくりと膝が曲がってしまった。

「ん、はぁ……っ!」
「……あれ、橋本くん腰抜けちゃったの?」
「は……っ、ご、ごめ……っ」
「謝んないでよ、かわいいなあ」

横森くんにかわいい、と言われると、足の付け根の名前のよく分からない部分がきゅん、となる。ああ俺やっぱり横森くんが好きとにかくとにかくものすごく大好き、溢れかえって部屋を満たすような想いでいっぱいになり、眉や頬や唇を情けなく動かして顔全体が想いを伝える道具になる。

「……そんな顔しないでよ……」

本当に困ったような横森くんの前で俺は、自分がどんな顔をしているのか分からないし、責められたとて直せないくらいにはすでに理性を手放していた。横森くんは立ったまま俺の服に手を忍び込ませてくる。

「あ、ちょ、ちょっと待って」
「なに、やっぱりヤダは禁止だよ?」
「ちが……お、おふろ」
「……え?」
「汗とか、いっぱいかいたから……おフロ入りたいです……」

情けない言葉はなぜか敬語に落ち着いた。今、この世界が横森くんに握られていることは間違いなく、すべてを鮮やかに所有するような横森くんに俺なんかがわがままを伝えていいのだろうかと、興奮と感動と焦りを混ぜて煮詰めたような熱い思いに阻まれ、出てきたのはごく自然な敬意だ。

「……だめ、って言ったら?」

小首をかしげて言われたら返すべき言葉も飲み込んでしまう。その途端自分自身の汗の匂いが気になって仕方なくなり、こんな匂いを横森くんに気付かれてしまったらとさらに鼓動が速まる。知ってか知らずか、横森くんはもう一度俺を抱きしめ首元に鼻を寄せ、くん、と匂いをかぎ始めた。

「いい匂いだよ橋本くん」
「わああ、だめ、だめだよ! いい匂いなわけないじゃん!」
「ほんとにいい匂い。興奮する」

その言葉が嘘でないことは分かっていた。腿あたりに感じる横森くんのそれは確実な証拠だ。横森くんが俺なんかに興奮して、そこを硬くして息を荒くしている。この瞬間が、むしろ今日一日が夢だと知ったら悲しいけれどむしろ納得するような、浮世離れした時間。

「よ、こもいくん……」
「ん、なに?」
「……はやく、したい、ベッドいきたい……でちゃう……」

俺の情けない告白に、横森くんは少し笑って耳にキスをした。「まだ出しちゃだめだよ」と囁かれたとき、これまで出会ったどんな課題より難しいと思った。


「あっ、あっ、あぁあ……!」
「あー、またいっちゃった?」

そのままベッドに移動して、キスをしながら性器を軽く撫でられて一回、後ろをいじられて一回、挿入しながら乳首をつねられて一回射精した。そのあたりからはもう、自分が射精しているのかいないのかも判断できず、ただめちゃくちゃ気持ちいいということ、横森くんがかっこいいということしか分からなくなっていた。

「もー、何回もいっちゃだめでしょ?」

どこをどういじられているのか、あらゆる感覚を手放すのは怖くてたまらない。それでも俺を溶かしていくのは横森くんへの信頼感だ。へろへろになっても腕を伸ばして愛おしい人にすがりつく。

「ご、ごめんなさ…!」
「うそうそ、ごめんね。橋本くんのそういうとこ、大好きかわいい」
「ふ、ふああ……っ!」

内側に入り込んだ横森くん感じながら目を見て大好きと言われれば、言語を失い新たな波に襲われる。なにも出ていないのだろうけれど、精神だけで何度も頂点に連れて行かれているようだ。

「橋本くん……俺も、いい?」

こくこくこくと、しつこく頷くと横森くんが正常位で動き出した。それは精悍で落ち着いた横森くんからは想像できないほど荒々しく雄的で、歯をくいしばった表情をもっと見たいけれど腹を突かれると視野もぶれる。ああもったいない、横森くんのすべてがほしい。もったいない。だから声が漏れた。


「だ、だしてぇ……!」


内側で大きく弾けたあと、横森くんは荒れた息を整えながら俺の頬からこめかみあたりをそっと撫でた。そこで、涙と汗で濡れていたことに気づく。ようやく微かに戻ってきた理性がさまざまなことに気付かせる。例えば横森くんが、恥ずかしそうに顔を赤くしていることとか。

「ね……橋本くん、さっきの計算?」
「へ……なに……?」
「いや……怖いなぁ橋本くん。叶う気がしない」

はじめてのデート、はじめてのホテルで、はじめて見たスーパーヒーローの負け顔は、他のどんなものより美しかった。





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