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あの後、アイスバーグには予定がみっちり入っていたようだが、彼は『無理だ…』とどこか青白い顔でカリファに告げると、彼女はいつも通り臨機応変に『では全てキャンセルします』と対応していた。
これが普段なら、いつもより早く***に会いに行ける!と嬉しく思うものだが、今日に限っては違う。
パウリーとカクの二人の表情は暗かった。後ろからついてくる魔術集団(本当は海賊)の頭が今まで会ったことがないタイプの怖い人で畏縮してしまっているのだ。そんな二人と違い、ホーキンスのことなどどうでもいいルッチは***に会いたい気持ちでいっぱいで、そんなことは全然気にならなかった。
「えー、ここがブルーノズ・バー、です」
ブルーノズ・バーの扉の前に着くと、取って付けたような敬語でパウリーがホーキンスに道を譲る。と、何故かルッチがその道をどうどうと通ってバーに入っていき、パウリーとカクは表情を凍り付かせた。
何でお前が先に入ってんだあぁぁあぁぁ!!
空気を読まんかルッチいぃいぃぃぃ!!
心の中で絶叫する二人にお構いなしに、バーの中からは我らの癒しである***の声と聞き覚えのない声が聞こえてきた。
「あ!ルッチさん!」
「え…あっ。こ、こんにちは!初めまして!」
「今日はいつもより早くお仕事が終わったのでひゃああああ!」
「……!」
恐らくルッチが***に抱きついたのだろう。船大工達には見慣れた日常だが、何も知らないホーキンスは***の悲鳴に驚いたようでバーに飛び込んで行った。
「ホーキンスさんっ!!」
あいつも走れるんだ…とパウリー達がぼんやり思っていると、嬉しそうな子供の声に名前を呼ばわれたホーキンスが、今度はバーから飛び出してきた。
どぉーん、と黒ローブではない格好の少年に、首元に飛び付かれる形でバーから押し戻されたホーキンスは、地面に尻餅をつきながらもその少年をしっかり抱き留めていた。
まさかの事態に今度はパウリー達が驚くのも構わず、ホーキンスは無表情に、少年は嬉しそうににこにこと顔を突き合わせる。
「…驚いた」
嘘つけ!(周囲の心のツッコミ)
「すみませぬ!」
そして少年はにっこりである。
「あのお二人を見てホーキンスさんに会いたいなー、と思った瞬間ホーキンスさんが現れたので、つい!」
あのお二人、とは店内のルッチと***のことだろうか。
そして今しがた鳴った、がっきーん!という音はブルーノが鉄なべでルッチを殴った音だろうか。
そんでもってやはりそんなこと気にならないホーキンス達は、近すぎる距離のままで会話をしだす。
「どこも怪我はしてないな?」
「はい!」
「そうか」
それから二人の顔の距離が近づいて……え、あれ?おい、まさか。
こつり。
「それはよかった」
おでこがごっつんこしただけだった。
「…パウリー。おぬし、今『ハレンチ』スタンバイしとったじゃろ?」
「し、してねェし!おでこごっつんこはハレンチじゃねェし!!」
ルッチがことあるごとに***にキスだの何だのするものだから、てっきりこいつもそういった奴なのかと…。
そう思ってしまったパウリーに非はあるのか、ないのか。果たしてどうなのか。
と、そこへ***を抱っこしたルッチが店から出てきて、仲良さげにしているホーキンスと○○○を見下ろす。何故かルッチの瞳には対抗心という炎がメラメラと燃えているのが見える。
ルッチとホーキンスの目が合った瞬間、何を思ったのか、ルッチは突然***の頬に唇を押しつけた。
「ひゃ、えっひゃああああ!?ルッチさん!!」
「ハレンチだぁあぁぁあぁ!!」
頬から額、顎、首筋と次々に口付けていき、ついに唇にもしようとしたところでパウリーとカク、果てには店の中からブルーノもやってきて全力で止めに入る。
ぐぎぎと***をとられまいとする間抜けな格好のまま、ルッチは勝ち誇った笑みを浮かべ、
「どうだ、いいだろう?」
とほざいた。
「何がじゃあ!!」
「***ー!!***が茹でダコにー!!」
「おれの甥っ子に何をしてるんだお前はー!!」
「(今日会ったばかりの方の前でキスされてしまった…!!)」
てんやわんやな船大工組に、意味が分からないと僅かに眉間に皺を寄せるホーキンスと、仲がいいんだなーと微笑ましく思う○○○は、ようやく立ち上がる。
服に着いた砂を払い終えると、ホーキンスは責められるルッチに視線をやり、言った。
「お前は何がしたいんだ?本人の意思に関係なく、こんな明るい内から人前でキスなどと…」
心なしか視線が冷たいような気がするのは気のせいではないはず。そしてルッチは思いもよらぬ正論過ぎる正論に、珍しくぐっと言葉に詰まらせる。
おぉ…!
あんたただの電波かと思ってたけど、そうじゃなかったんだな!
船大工組がホーキンスの意外な常識人ぶりに彼の人格を見直しそうになったが、そうじゃなかった。
「キスは本人の同意を得て、陽が落ちてから寝所でするものだ。───そういう訳で、ロク。今夜キスさせてくれないか?」
「へ!?」
「あの二人を見ていたら、何故か無性にキスしたくなったんだ。…させてくれないか?」
「あ、ぅ…その…」
「船長!それも何か間違ってます!!」
電波はやはり電波だった。
○○○の手を握って目を見つめながら真顔で頼むホーキンスは、ルッチと比べるとどっちがマシなのだろうか。とりあえず、
「……ど、どうぞ。今宵、私にキス、して下さい」
顔を真っ赤にしながらも健気に答える○○○に、ルッチは自分から勝手に始めた勝負に、完全に負けた気がした。
誰かこいつらに常識を叩き込んで下さい。(おれは***にそんなこと言われたことがない…)
「ル、ルッチさん?どうしたんですか?」
「っ……!***ー!」
「ひゃああああ!!」
「やめんかー!」
「船長。許可取る時も人前では普通しないものです…」
「そうなのか?○○○、すまなかった」
「いえ!い、いいでありますよ…別に……」
「……。次からは絶対しないから、目を逸らさないでくれないか」
「そ、そう言われましても…!」
(はぁ…)
(異世界にはまともな人間がいねェのかよ…)
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