6. muddle


二十五日を過ぎると何事もなかったかの様にクリスマスの装飾品は綺麗に片付けられ、街は一気にお正月の雰囲気になる。
年内最後に会う人との会話には「良いお年を」が最後に必ず付け加えられ、いよいよ今年が終わるんだなと実感してきた。
年内最後の仕事の日に居酒屋で忘年会をし、私は三十日に県外にある実家に帰ってきた。
三十日は母と二人で家の片付けや掃除をして、大晦日は近くのスーパーへ買い物に行ったり年末特番を見たりと、ゆったり年末を満喫して過ごしていた。










……

……あれ?大吾さん……?

気付くと私はベッドの上にいて、私の上に大吾さんが覆い被さっていた。
どうやら私は実家に帰る夢を見ていただけだったみたい。
唇が重なって、私も大吾さんの首に腕を回して愛を確かめ合う様に何度も何度もキスをした。


「なまえ……愛してる」


…………あれ?

大吾さん……じゃない。

この声は…………

私の目の前にいる人の顔を見た瞬間、私はベッドから転げ落ちてしまうんじゃないかというくらい勢い良く布団から飛び起きた。
服が揺れているのがハッキリ見えるほど心臓が激しく脈打っていて、体を伝わってドキンドキンと聞こえてくる。

「何で……峯さんなの……」

峯さんとそんな事したいなんて願望、一ミリもない。考えた事さえない。
夢だったとはいえ、峯さんの姿や私の名前を呼ぶ声はかなりリアルで。
目が覚めた今も鮮明に脳に焼き付いている。
私の名前を呼んで『愛してる』と言っていたあの声は、低くてあまり感情のこもっていない、いつもの峯さんの声だった。

実は中学生の時も同じ様な経験をした事がある。
話した事もないただ知っているだけの同級生が夢に出てきて、なぜか私はその人の事が好きなのだ。
その夢を見てからというものどうしてもその人の事が気になってしまい、理由もなく好きになりかけてしまった。
おかしな話だけど、本当の事で。
そういえばそれは確か元旦だった。
だからこそ余計によく覚えている。
そして今日も……元旦、初夢。
だからと言って私が峯さんの事を好きになるはずはない。
私はもうあの頃の単純な中学生じゃなくて、ちゃんと中身を見て人を好きになれる大人なのだ。
「何でこんな夢……」
心臓の音はまだ落ち着かないけれど、私は新年の挨拶をするため一階のリビングへ降りていった。









「凄く綺麗ね。やっぱ私の若い頃に似てるわー」
私は友達と初詣に行くため、母が若い頃着ていた着物を着付けしてもらっていた。
「昔の着物なのに凄い綺麗に残してあったんだね。デザインも古さを感じないし可愛い」
全身鏡の前で惚れ惚れしていると、私より少し背の低い母が鏡越しに笑顔で私を見ている。
「お父さんにも見せてあげたかったわ」
「……うん」
私と母は二人で仏壇の前に座り、父の写真が飾ってある横にお線香をあげた。

私の父は四年前に心臓の病気で亡くなった。
不整脈で毎日薬は飲んでいたけど仕事は普通にしていたし、とても元気に過ごしていた。
なのに仕事中突然倒れ、心肺蘇生できたものの発見が遅かったから意識は戻らないまま半年が過ぎ、そのまま亡くなってしまった。
私は父が大好きだったからしばらくの間は精神的に不安定になってしまったけど、時が解決すると言うのは本当だ。
二〜三年した頃にはだいぶ落ち着いて、今は大吾さんという素敵な恋人も出来たおかげで父を思い出して涙する事はほとんど無くなっていた。

「なまえ、あなた今恋人はいるの?」
「えっ? あー、今はいないんだぁ」
大吾さんの事はまだ母に話していない。
仕事が仕事だから、母には何といっていいかわからないし、心配もかけたくない。
いつか、いつかもし大吾さんが心を決めてくれる日が来たら、その時はちゃんと母に話そうと思う。
父が亡くなってから"恋人ができた"という報告を母にしていないから、私がこの先も独り身だったらと母は不安なようだ。
「そう。素敵な人が見つかるといいわね」
そう言って母は仏壇の前から立ち上がると、テーブルの上に置いてあった和装バッグを手に取り私に手渡した。
「人が多いから気を付けてね。お友達によろしくね」
「うん。行ってくる」
高校の同級生と会うのは本当の話だけど、その前に少しだけ時間を取れると言ってくれた大吾さんと会う約束をしている。
実家を出てすぐにカバンから携帯を取り出して、私からの連絡を待っている大吾さんに電話をかけた。
「お待たせしてすみません。今から向かうんですけど大丈夫ですか?」
大吾さんもそろそろ待ち合わせ場所に向かえるそうで、私は急いで東京方面行きの電車に乗り込んだ。
何度も窓ガラスに映る自分を見て髪を直し、ドキドキしながら電車に揺られて大吾さんと待ち合わせの神社に向かった。









鳥居の下にある階段を数段登ったところで待っていると、人混みの向こうから背の高い大吾さんの頭が見えた。
大吾さんも私に気付いたらしく、こっちに向かって手を挙げた。
「なまえ」
人を掻き分けて私の前に現れた大吾さんは黒い着物を男らしく着こなして、いつも以上に貫禄で溢れていた。
スーツとはまた別の格好良さに惚れ惚れしてしまう。
「あけましておめでとうございます」
「あけましておめでとう。凄く綺麗だ。なまえの着物姿を見れて嬉しいよ」
大吾さんも私と同じような気持ちでいてくれているようで、そんな事言われたら宙に浮きそうなくらい浮かれてしまいそうだ。
「大吾さんこそ凄く似合ってます。カ……カッコいいです」
お互い照れて褒め合っている姿は、はたから見たらバカップルだろう。
それに大吾さんは背が高くて、更に着物を着ているからかなり目立っている。
通りかかる人がたまにチラチラとこちらを見ていて、なんだか一緒にいる私まで照れてしまう。

「大吾さん」
大吾さんの後ろから聞き覚えのある声が聞こえてきて、心臓がドキンッと大きく鳴った。
さっきの電話で、大吾さんは『俺達もそろそろ向かう』と言っていた。
俺達って言い方になんとなく引っかかってたけど、やっぱりその予想は的中したようだ。
それに大吾さんが一人でこんな所に来るはずがない。
分かっていても、いざその声を聞くと今朝の夢を思い出してしまってまともに顔が見られない。
「なまえさん、あけましておめでとうございます」
「あ……あけましておめでとうございます」
新年の挨拶を交えると、大吾さんと同じ様な着物姿をした峯さんが大吾さんの隣に立って私の事をじっと見てきた。
新年早々、そんな見ないで欲しい。
「お綺麗ですね」
峯さんの事だから社交辞令なのは分かっているけど、綺麗だなんて男性に言われ慣れていない私は少し俯いてほんのり赤く染まった頬を隠した。

意識しちゃ駄目だ。

あんなのただの夢だし、あっちは何も知らないんだから気にする事ない。
そう自分に言い聞かせていると、「じゃあ行くか」と言って大吾さんが私の手を握り、鳥居の中へと連れて行った。
「あまり時間がないから参拝の列に並ぶのは出来ないんだが、おみくじくらいは引こう」
大吾さんは新年の挨拶や新年会など色々と忙しいけど、私の着物姿を見たいからとわざわざ時間を作ってくれた。
その為、今日は三十分くらいしか一緒にいられない。
でも、たった三十分会えただけでも嬉しい。
ただ、監視してるかのように後ろからついてくる峯さんが気になるけど。
大吾さんは平然と私と手を繋いでいるけど、後ろにいる峯さんの事は気にならないのかな?
一緒に行動しすぎて空気みたいな存在なのだろうか。
平気な顔して「可愛い」とか言ってくるし、いろんな意味で心臓が持たない。
峯さんは大吾さんを私みたいな女に取られてヤキモチを焼いていたと言うのだから、目の前でこんな姿を見せられて内心イライラしているに違いない。
もう嫌がらせはしないと言ってくれたけど、気持ちは簡単に切り替えられないと思うし、後ろで私達を見ているのかと思うと気が気じゃなくて大吾さんとの時間を心から楽しめない。

大吾さんが「お前も引け」と峯さんに強引に迫り、おみくじは私達三人で引く事となった。
大吾さんの大凶には笑ってしまったけど、私の吉は普通すぎて盛り上がりに欠けてしまった。
峯さんは意地悪からか頑なに見せてくれなくて、結果を読み終わったらすぐ木に結んで何事もなかったかのような顔をしてきた。
なんていうか、相変わらず澄ました顔してるなぁなんて思った。
おみくじを引いたあと焚き火の前で少し雑談していると、峯さんが腕時計を確認して「お時間です」と話を割って来た。
「少ししか時間を作れなくてすまないな。落ち着いたら連絡するから、そしたら新年会をしよう」
大吾さんはそう言うと、峯さんの方をチラッと見て何かを思い出したように顔が明るくなった。
嫌な予感がする。
「そうだ、峯も一緒に新年会やろう。また三人で飲みたいと思ってたんだ」
峯さんは突然自分も巻き込まれて怪訝な顔をした。
「俺はいいです。なまえさんと二人で楽しんでください」
すると大吾さんは峯さんの肩に腕を乗せ、「たまにはいいだろ」と言って峯さんの顔を覗き込む。
その表情は爽やかに笑っているものの、どことなく『来るよな?』と無言の圧力をかけているような気もした。
そしてやっぱり大吾さんの言う事には逆らえないのか、峯さんは少し沈黙した後「わかりました……」と納得の行かないような顔で返事をした。
「よし、そうこなくっちゃな」
満足げに笑う大吾さんと、不満げに作り笑いをする峯さん。
そんな二人を見ている私は、誰よりも一番複雑な顔をしていただろう。
この調子だと、今年も定期的に峯さんと顔を合わさないといけなそうだ。
「楽しみですね」
嫌だと言えない私はニッコリ笑い、ただそう言うしかなかった。









世間のお正月ムードが段々と落ち着いてくると、今度は来月にあるバレンタインの広告がやたらと目につく様になった。
クリスマス、年越し、お正月、バレンタイン、ホワイトデー……
十二月から三月にかけて、世のカップルは大忙しだ。
料理は好きだけどお菓子作りってあまりしないから、大吾さんに渡すチョコレートがうまく作れるか不安だし、今から練習しておきたいな。
ガードレールに寄りかかりながら携帯でレシピを検索していると、携帯の向こう側の視界に赤みのかかったダークブラウンのスーツが写り込んだ。
「大吾さんは少し遅れる様です」
峯さんはそう言うと、私から少し距離を置いて同じようにガードレールへ寄りかかった。
スラックスのポケットからタバコを取り出し、手で覆いながら火を着ける。
今日は元旦に大吾さんが無理やり計画を立てた、例の新年会の日だ。
流そうと思った私はこの話題に触れないようにしていたのに、残念ながら大吾さんはしっかり覚えていた。
大吾さんが日程の調整とか店の予約とかまでしてくれて、そこまでしてもらって行かない訳にはいかず。
私と峯さんは半強制的にここへ集合させられたという感じだ。
「なんか今日はすみません。大吾さん、どうしても三人で新年会したかったみたいで……」
あの夢を見てから峯さんに会うのはまだ二回目で、いまだにあの記憶が鮮明に残っているから顔を見るのが気まずい。
携帯を見ながら、チラリと横目で峯さんに話しかけた。
「別にいいですよ。大吾さんはああいう人だと分かっていますから」
タバコの煙を私にかからない様に反対側へ吐き出すと、峯さんはそう言ってフッと笑った。
ストーカーはあれから大丈夫かとか、他愛のない会話をしていると峯さんの吸っているタバコが短くなってきて、それに気付いた峯さんはポケットに手を入れた。
スラックスのポケット、ジャケットの外ポケット内ポケット、ありとあらゆるポケットに手を突っ込むも、探しているものが見つからない。
どうやら携帯灰皿を忘れてしまったらしい。
すると峯さんはチッと軽く舌打ちをし、吸い終わったタバコを地面に落として靴の裏で磨り潰した。
「ちょっと、ポイ捨てダメですよ」
友達がよく『子どもはなんでも口に入れるからタバコが道端に捨ててあると怖い』と漏らしているのを思い出し、私は峯さんの捨てたタバコを拾おうと足元にしゃがみ込んだ。
足の裏にあるタバコを拾おうと峯さんの足首辺りをパシパシと叩き、「早くどいて下さい」と言って無理やり足をどかしてもらった。
峯さんは私の行動に驚いて目を丸くしていたけど、そんな視線は気にせずすぐ近くにあったゴミ箱へ吸い殻を捨てた。
「私、ポイ捨てする人は嫌いなんです」
ホコリを払うように手をパタパタ叩きながらそう言うと、峯さんの眉間にグッと皺が寄って目が細められた。
怒った……かな。
その表情に一瞬怯んだけど、"ポイ捨てする人が百パーセント悪いから私は間違ってない"と言い聞かせて冷静を保つ。
すると峯さんはフッと息を吹き出し、「貴方は本当に、見かけによらず気が強いですね」と言って再びガードレールに寄りかかった。
大吾さんが同じ事していたとしたら、きっと同じ様には言えない。
峯さんと初めて会った時の最悪な関係があったからこそ、『嫌いです』と物事をハッキリ言えてしまうんだと思う。
峯さんの予想外な反応に胸を撫で下ろしていると、大吾さんがやってきた。
「悪い、待たせたな。入ろうか」
やっと三人が揃い、私達は目の前の居酒屋に足を踏み入れた。
店に入ると四人掛けの四角いテーブルに案内され、大吾さんに背中を押されて奥の席へ座ると、自然と私の隣に大吾さんが座った。
三人ともビールを頼んで乾杯し、「明日はみんな休みだから今日は飲もう!」と大吾さんの張り切った声が店内に響いた。
大吾さんとは普段バーやレストランで飲むことが多いから、こういう気取らない居酒屋でお酒を飲むのは初めてで少し嬉しい。
お洒落な場所は特別感があって好きだけど、庶民的な暮らしをして生きてきた私にはこっちの方が合ってるから。
「最近居酒屋に行ってなかったから行きたいと思っていたんだ。は〜、枝豆とビールは最高だな」
上機嫌な大吾さんの向かいに座る峯さんもビールを飲みながら枝豆をつまんでいて、結構楽しそうにしてるからちょっと意外だった。
高級なお店じゃなきゃ嫌って訳でもないみたい。
「あっ、焼き鳥も注文すっか。なまえも食べるか?」
「はい、焼き鳥大好きです。じゃあ〜、砂肝とねぎまで」
「意外と渋いところ行くな。峯は?」
「レバーとささ身お願いします」
「わ〜、峯っぽい」
そんなこんなでお酒もおつまみもいい感じに進み、私はほどよく酔いが回ってきた。
けど、その隣で結構な量を飲んでいる大吾さんは「もっと飲むぞ〜! ほら、峯も飲めよ〜」と段々テンションがおかしくなってきた。
これ以上飲ませない方がいいかもしれない。

気分が良くなってきたからか、大吾さんは人前だという事も気にせず隣にいる私に寄りかかってきたり、テーブルの下で太ももを触ってきたり、露骨にベタベタする様になってきた。
個室ならまだしも周りは他のお客さんとか店員さんがいるし、何より目の前に峯さんがいる。
しかも峯さんはそんな私達から目を離さずじっと見ている。
さすがにこれ以上はマズイと思った私は、さりげなく避けたり水を進めたりするけど、酔いで良い気分になってしまっている大吾さんは一向にやめてくれない。
峯さんも結構飲んでいると思ってたけど、強いのかあまり顔色は変わらずいつもの様に冷静だ。
大吾さんがまたお酒を注文しようとしていたから「そろそろお水挟みましょう」と言ってみたけど、結局追加で日本酒を注文する事になってしまう。
すると顔から首まで真っ赤に染めた大吾さんが、向かいにいる峯さんに突然話を振った。
「なぁ峯、お前いつになったら彼女作るんだよ? ずっといないんじゃないか?」
「またその話ですか……」
普段もよく言われるのか、峯さんはうんざりした顔をした。
「峯の好きなタイプはわからないが、なまえみたいな女と付き合うと良いぞ。可愛いし、癒し系って言うのか? 一緒にいると安心するんだ」
峯さんはそれを聞いて、一瞬クッと笑いを堪えた。
そしてそれを、私は見逃さなかった。
散々いがみ合ってきたから、そんな私を知っている峯さんにとって大吾さんの言う"癒し系"と言う言葉に笑ってしまったんだろう。
いつもの馬鹿にした笑いが腹立たしかったから、大吾さんにバレないようにキッと睨みつけてやった。
それに気付いた峯さんはすぐに口角が上がってるのを元に戻し、私から目を逸らした。
「そうですね。俺もなまえさんみたいな可愛くて"癒し系"な彼女が欲しいですね」
「ふふ、私全然癒し系じゃないし可愛くないですよ〜」
冗談でそう返したらそれを間に受けた大吾さんが私の方に体を向け、「なまえは可愛いよ」と真剣な顔をして言ってきた。
酔ってるとはいえさすがにこれは恥ずかしすぎる。
「なっ、何言ってるんですか! こんな所でやめ……」
突然、目の前が大吾さんの顔でいっぱいになったから訳が分からなかった。
それはすぐ、大吾さんにキスをされたからなのだと気付く。
「んっ……!」
意外にも力強く肩に腕が回されていて、引き剥がそうとしてもなかなか離れない。
目の前で峯さんが見ている――
そう思うと恥ずかしさで死にたくなった。
やっと唇が離れると大吾さんは「可愛いから、つい」なんて言いながら嬉しそうに笑う。
私はもういてもたってもいられなくなって、何も言い返せずにトイレへ駆け込んでしまった。









途中大吾さんがドアを叩いて呼んできたけど、「ちょっと飲みすぎただけ」とあからさまな嘘をついて引き続きトイレにこもっている。
だけど、いい加減戻らないとマズイ。
深呼吸してから冷静を装って席に戻ると、大吾さんはテーブルに顔を伏せて寝てしまっていた。
「嘘……寝ちゃったんですか?」
大吾さん、大吾さん、と背中を叩いて呼んでみたけど、お酒のせいで眠りが深いのか全く起きない。
気持ち良さそうに寝息を立てながら寝ている。
「今日を楽しみにしていたので少し飲み過ぎてしまった様ですね。疲れも溜まっていたのでしょう。タクシーを呼んで会計を済ませてきますので、なまえさんはここで待っていてください」
そう言って峯さんは携帯を取り出してタクシー会社に電話を掛け、お会計の方へと歩いて行った。
寝てる事に驚いたけど、二次会三次会と終わらない飲み会が続いたらどうしようと思っていたから内心ホッとしていた。
しばらくするとタクシーが着いたと峯さんから呼び出しがあり、もう一度大吾さんの背中を軽く叩いて声をかけてみた。
……やっぱり起きない。
「私が運びますので、なまえさんは荷物をお願いします」
そう言って峯さんは大吾さんの腕を自身の肩に回し、たった一人で大きな大吾さんの体を支えながら店の外へと出て行った。
さすが男の人、と感心しながら付いて行くと、店の前にはタクシーが二台並んで停まっていた。
「家まで連れて行くのは俺じゃないと無理でしょう。なまえさんは別のタクシーで自宅まで帰ってください」
大吾さんをタクシーに乗せたあと、峯さんはそう言うと財布から一万円札を私の手に握らせた。
「えっ?! お金なんていりません!」
慌てて返そうとしたのに峯さんは大吾さんの乗るタクシーに乗ってしまい、窓越しから手を挙げて挨拶をし、私を置いて出発してしまった。
「お金、貰っちゃったよ……」
仕方なく私もタクシーに乗り込み、運転手さんに自宅の住所を伝えた。
帰り道、私は外の景色を眺めながらぼんやり考え事をしていた。

目の前でキスをした時、峯さんはどんな風に思ったんだろう。
そして、どんな顔をしていたのだろう。
大吾さんに触るな、なんて思ったのかな。
何がどう変わったのか自分でも分からないけど、ストーカーから助けられて、ふいに笑顔を見せられて、そしてあの夢を見てから、何だか峯さんを見る目が変わってしまった。
相変わらず嫌味な態度に腹が立つし、別に好きとか嫌いとかそんなんじゃない。
だけど、
少しだけ……少しだけ峯さんの考えている事が気になる。
「おつり……返さなきゃ……」
手に握られたままの一万円札を眺めて、車内で独り言を呟いた。
家まで行くのに一万円も使わない。
残ったお金を貰う訳にはいかないから、次に会ったら返さないと。
その時やっと、自分が峯さんの事ばかり考えてるのに気が付いた。
「はぁ」
誰だってあんな夢を見たら意識はしてしまうはずだ。
でも、時間が経てば忘れて普通になる。
そう信じて、手に持った一万円札を強く握りしめた。










『本当にすまなかった』
大吾さんからの電話に出ると、一言目にそう言われた。
「私は大丈夫ですよ。それより大吾さん大丈夫でしたか?」
『ああ、峯が介抱してくれたみたいで気付いたら朝ベッドの上だったよ。俺が出すつもりだったのに峯に出してもらう事になっちまった……本当に情けない』
落ち込んだ様子で話す大吾さんをなだめると、『次は俺がちゃんと出すからいつもの所で飲もう』と提案してきた。
「え、またですか?」
思わず本音が出てしまった。
『嫌だったか?』
大吾さんが寂しそうに返してきて、私は大慌てで訂正した。
「違うんです! 嫌とかではなくて、大吾さんと二人が良かったなぁ、なんて……」
そう言うと大吾さんは嬉しそうに笑い、三人で飲んだあとは今度こそ二人で会おうと言ってくれた。
三人で飲むのはやめないんだ、と心の中で溜息をつきながらも、峯さんから借りたお金を返さないといけないからまぁいっかと自分に言い聞かせた。


新年会という名の飲み会は大吾さんとデートでたまに使う高層ビルのバーになり、仕事の後に待ち合わせ場所に行くと既に二人は私を待っていた。
エレベーターに乗ってバーに足を踏み入れると、土曜の夜だからか店内はお客さんでいっぱいで、私たちの元に来た店員さんが「申し訳ありませんが、今は窓際の一列の席しか空いておりません」と頭を下げてきた。
大吾さんの提案でテーブル席が空くまで窓際の席で飲もうという事になり、私達はキラキラと輝く夜景が一望できる窓際の席に腰を下ろした。
夜景に目を奪われてたらいつの間にか私が二人の間の席に座る事になっていた。
「なまえは何飲む?」
端の席がいい、なんて言えるタイミングはとうに逃してしまい、「じゃあ……ファジーネーブルで」と大吾さんにお願いしながら着ていたコートを脱いだ。
それから飲み会は始まり、まずは大吾さんが私達に改めて謝罪をしてきた。
私と峯さんが「気にしないでください」と大吾さんをなだめ、少しずつ元気を取り戻した大吾さんは私たちに向かって「今日は好きなだけ飲んでくれ」とお酒が入ったグラスをこちらに向けてきた。
飲みすぎたことをかなり反省しているようだから、この前みたいに人前でキスをする程飲まないだろうと安心した。
一度もキスの事に触れてこないから、どうやら大吾さんの記憶には残ってないみたい。
いいのやら悪いのやら……。
「景色、綺麗ですね」
私の右側に大吾さん、左側に峯さんがいて、間に挟まれている私は何を話したらいいのか分からない。
大吾さんと峯さんが話しているのを私が聞いているか、私と大吾さんが話しているのを峯さんが聞いているかのどっちかだから、横一列ってすごく話しにくい。
早くテーブル席空かないかな。
「あれ、スカイツリーかなぁ」
「そうじゃないか?確か場所的にあの辺だったはずだ」
「大吾さん、スカイツリーって登った事ありますか?」
「いや、まだないんだ。なまえは?」
「私もまだなくて……」
何となく振ったスカイツリーの話が思いがけず盛り上がり、私と大吾さんはつい峯さんを置いてけぼりにして話に夢中になってしまう。
そんな時、大吾さんの方を見ながら右手でグラスを持ってお酒を飲んでいたら、自分の膝の上に置いていた左手に何かが触れた感触がした。
一瞬大吾さんに手を握られたのかと思ったけど、大吾さんは今私の右側にいる。
じゃあ、この手は誰……?
大吾さんの話を聞きながらテーブルの下に目線をやると、左側に座る峯さんの手が私の手に重なっていて、心臓がドキンッと大きく脈打った。
何……してるの?
峯さんの大きな手が私の手をそっと包み込んでいる。
こんな所に間違えて手を置くはずがない。
これは故意だ。
訳がわからないけど、驚きすぎて声が出ない。
右隣には大吾さんがいるから余計に。
手を抜いて逃げようと試みるも、上に重なっていただけの峯さんの手にグッと力が入って掴まれてしまった。

大吾さんが隣にいるのに、この人は一体何を企んでいるんだろう。

恐る恐る峯さんの方へ視線を向けると、峯さんはすでに私の事を見ていてバッチリと目が合った。
悪戯な笑みを浮かべているのかと思いきやその表情は真剣で、どこか少し怒っているようにも見えた。
大吾さんが横にいるから離してとも言えず、どうしていいかわからなくてオロオロしてしまう。
「なまえ?」
途中から私の返事がないのを変に思ったのか、大吾さんが不思議そうに声をかけてきた。
私は咄嗟に隙間から繋いでいる手が見えないよう、テーブルと自分の間の距離を詰める。
「ごめんなさい、お酒が回ってきたのかボーッとしちゃって。えっと……何でしたっけ?」
笑ってごまかすと大吾さんは素直に信じてくれて、「そうか」と笑いながら再び話を続けた。
そのやり取りをしている間も峯さんは握った手を離さない。
完全に私の手を覆ってしまっていて、次第に峯さんの指が私の指に絡んできた。
ちょうどその時、大吾さんが「ちょっとトイレに行ってくる」と言って席を外してくれたから、私は力一杯峯さんの手の中から逃れる事ができた。
キッと睨みつける。
「何してるんですか?!」
周りには聞こえないボリュームで、でも精一杯の力を込めてそう言うと、悪戯な笑みを浮かべながら峯さんは口を開いた。
「フッ……別に意味はありませんよ。ちょっとイタズラしてみただけです」
「イタズラ……? この前もう嫌がらせはしないって言ったじゃないですか」
「それとこれは別物です。貴方を見ていると何だか虐めたくなるんだ」
「なっ……何言って……」
本当にこの人は何を言ってるんだろう。
今までそんな事誰からも言われた事ないし、自分がいじられるキャラじゃない事は自分が一番知っている。
それに、いまだに大吾さんと私を別れさせたいと思っていたのだとしても、もっと他にやり方はあるだろう。
大吾さんがいる目の前でこっそり手を繋いで私を混乱させて、それに一体どんな企みを隠しているのか私には分からない。
衝撃的な出来事に頭が混乱していると、峯さんが口を開いた。
「イチャついているのを見せつけられると、何だか無性に腹立たしい」
窓の向こうに広がる東京の夜景を見つめながら言う峯さんの横顔には、さっきまでの悪戯な笑みは既に消えていた。
大吾さんがまだ私の隣にいた時に見せたどこか怒っている様な表情に戻っていて、また意味の分からない事を発している。

この人はどれだけ大吾さんの事が好きなんだろう。
やっぱり峯さんは……男性が恋愛対象なのかもしれない。
それはずっと頭をよぎっていた事で。
以前ヤキモチを認めた時からほぼ確信へと変わっていた。
それなのに、今日の峯さんは何故か私に手を出してきた。
手を握って私の気持ちを揺さぶる様な事して何の意味があるのかな。
もしかして……私が峯さんを好きになれば私たちの関係が崩せるかも、なんて企んでいるのかもしれない。
かなり回りくどいしめんどくさいけど、同性を好きになると直球にはアプローチできなくて色々思うことがあるのかもしれない。
……考えれば考えるほど意味がわからない。
結局私は大吾さんが帰ってくるまで峯さんに何も言い返せず、峯さんも私にそれ以上何も言ってこなかった。
大吾さんがトイレから戻って私達は表面上だけ元通りになったけど、私は気が気じゃなくて話が頭に入ってこない。
のちにテーブルが空いたと店員さんに案内されてテーブル席に移動し、トータルで二時間くらいお酒を楽しんだあと私達はバーを後にした。


「じゃあなまえは俺の家に寄って行くからここでお別れだな」
「ええ。大吾さん、今日はご馳走様でした」
浅くお辞儀をすると、峯さんはタクシーに乗って大人しく帰っていった。
私と大吾さんは同じタクシーに乗り、大吾さんのマンションへと向かう。
大吾さんの家に行ったはいいものの、今日の出来事が頭から離れなくてボーッとする時間が多くて大吾さんにとても心配された。
ちょっと風邪気味かも、なんて小さな嘘をつき、あまり長居はせずに家に帰らせてもらう事になった。
私の左手にはまだ、峯さんの手の体温と感触が残っている。
あの夢を見た後にこんな事されて、揺さぶられない人がいるのだろうか。
これがもし全部計算だったとして、峯さんは最終的に何がしたくてこんな事をしてるんだろう。
ますます峯さんという人間が分からない。
大吾さんという素敵な恋人がいながら、こんな風に他の男性の事ばかり考えるなんて最低だと自分でも思う。
だけど、こんなの考えるなと言う方が無理だ。




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