「――ほぅか。…あんたら、うちに楯突いたらどうなるか、解ってるんやろうな…?」
『黙れ、化け物が!』
「…こら、あかんわ。聞く耳なしや。」
暗がりで、まるで誰かが傍にいるかのように、狐は語りかけます。
「…。…せやな。もうええやろ。――ほな、またな。」
何だ…? と訝る村人たちの前に現れたのは、それはそれは巨大な狐でした。
『…!!!』
洞穴にいた人々は、うわあ、と叫ぶ間すらも無く、狐に食い尽くされてしまいました。
狐は、村の人々全てに自らの眷属を差し向けました。
残るは、既に陰陽師の生家のみとなっておりました。
彼らは、持てる全ての力を使って抵抗しましたが、銀翅の力を取り込んだ十六夜に対しては、何の対抗力にもなりませんでした。
これで全員だろうかと確認するかのように、十六夜は、母屋をくまなく探し回ります。
――何処からか、赤子の泣き声が聞こえてきました。
その声に、はた、と足を止めた十六夜は、声を頼りに闇の中を歩きます。――何故か、人の形をとって。
その声は、とある一室から聞こえてきました。
がらりと襖を開けると、赤子を抱いた男が独り、壁際に背をつけて座ったまま、結界を張り、身を守っておりました。
「…。」
十六夜は、それを冷ややかな眼で見つめます。
男の足元には、赤子の母親らしき女の亡骸が転がっておりました。
『くっ…、化け物め…!』
さも恨めしそうに、男は十六夜を睨みつけます。
「…誰や、あんた。」
『お前に何の関係がある。』
「…。それもそうや。うちの子らにやられんかったとこをみると、あんた、そこそこ強いんやなぁ。」
十六夜は、音もなく、男に近づきました。
『…! …銀翅を誑かしたのは、お前だな?』
「…。…よう分かったな。」
『お前から、僅かに奴の気配がする。…さては、喰ったんだな?』
「…そうやけど。あいつが、そう望んだからな。」
『…ほう。…何処までも腑抜けた奴だ。』
男の言葉に、ぴくり、と十六夜の眉が動きます。
『物怪の障りも防げず、狐に誑かされ、自ら望んで喰われたとは。一族の面汚しだ。』
「…。その一族とやらも、今はもうあんたと、そのガキしかおらんわけやけど?」
『ふん。俺がお前を倒して、この家を継げば、一族は廃れん!』
「…ふぅん、なるほど。あんた、あいつの兄貴か。」
『…っ。』
「お噂は、かねがね。…あいつほど強くもない癖に、威張りくさった、碌でもない奴やな、あんた。」
『何…?』
「…。」
十六夜は、眼だけを炯々と光らせ、無言で男に向かって手を伸ばします。
その手だけで、男が懸命に張った結界をいとも簡単に破ると、男の首を掴んで、ぐ、っと締めあげました。
『ぐ…っ、はな、せ…!!』
「…あいつはな。お前が言うような、腑抜けでも何でもなかった。」
ばきり、という音が聞こえました。
男の腕からがくりと力が抜け、男に抱かれていた赤子が静かに女の亡骸の上に滑り落ちます。
十六夜は、そのまま男を横に放り投げると、泣き叫ぶ赤子に目をやりました。
「…。…………」
あの碌でなしと、この女のガキか。
しばらくの間、十六夜は赤子を見つめます。
どうやらその赤子は、産まれてからさほど間もない様子でした。
「…………、…流石に、生まれたばっかりの赤ん坊は、なんも悪くないか。」
十六夜は、さらにほんの少し考え込み、溜息をひとつ零すと、赤子を抱えてその場から立ち去りました。
――厭やけど、ほっといたら死ぬし、山に連れて帰ろ。
気まぐれな狐の性分が、その赤子を生かしたのでした。