恐らく異世界に足を踏み入れてしまったのであろう俺は、案内されるがままに女性について行っている。
すると、前方にだんだんと大きな社が見えてきた。
そのまま、大きな和室に通された。…外から見た分には、ここまで広くは見えなかったんだが…。
まぁ、こちらの常識は通用しないということだろうな。…気をつけよう。
帰れんのかな、俺…。
どうしようもなく辺りを見回すと、縁側の向こうには綺麗に整えられた庭。池もあり、鹿威しの音も聞こえる。
池に映し出された大きな月がとても幻想的だ。
しかし…遅いな。
まぁ、偉い人ってのは勿体ぶるモンだし、仕方ないか。
夜だったり、やたらと月が大きかったり。
大きな社に通されたかと思えば、中がやたらと広かったり…。
なんなんだろう、ここは。
――考えるだけ無意味だと分かっているのに、考えざるを得ないほど、俺が退屈を持て余し始めた頃。
「はあ!? 今!? 今おるん!? えっらい急やないか!!」
――突如部屋の外に響き渡る関西弁。恐らく、俺を呼び出したらしい狐だろう。
そして何やらお怒りのご様子。…おいおい、まさか俺にとばっちりとかやめてくれよ…?
「そら確かに会って話してみたいし、いずれは招きたいな〜とは思ってたよ!!? せやけどなんでうちが寝てる間に勝手に呼ぶん!!?」
「申し訳ございません」 ――先程俺を案内した女性のものらしい声も聞こえる。
「それも…こんな!!真昼間から!!!」
…ここは夜だけどな…。常夜なのか…? そうなんだろうな…。
「わざわざうちをたたき起こさんでもええやないか…。昨日は頑張ってお昼に起きたから、今日はいっぱい寝ようと思ってたのに…」
そりゃ…お気の毒な話で。――俺も巻き添え食らってるわけだけど。
しばらくそうやって騒いでいたが、どうやらおさまったらしい。
…そろそろ来るかな。と思ったら、ガラリと襖の開く音がした。
俺は咄嗟に頭を下げる。
狐はといえば、如何にも不機嫌そうにスタスタと歩き――上座にすとんと音を立てて座った。
「………まぁその、なんや。よう来てくれたな。」――狐は、心にもなさそうな声色でそう言う。
「…お招きに与り光栄でございます。」――俺は努めて、丁寧に返事をする。…この状況で失言は避けたい。
「かまへん。まぁ顔あげなさい。」
「はい。」
俺の考えを知ってか知らずか、狐は変わらず不機嫌そうにしている。…なぜか溜息まで吐かれるという不機嫌ぶりだ。思わず、そりゃ俺の気持ちだよ…と思ってしまうが、流石に顔には出さない…。
とにかく、無事に帰らないとな。…外は何時間経ってるのかとか、もはやそれどころの話ではない。
「急に呼んで、悪かったなぁ。まぁゆっくりしてってや。…と言いたいとこやけど。あんた、誰にも言わんとここ来てるよなぁ…。」
「…はい。」
…やはりというかなんというか、どうやらこちらの事情はばれているらしかった。流石に神だ。誤魔化すのは無理なんだろう。
…となると、俺の心情もばればれなんだろうが…、どうやら咎められる様子はない。良かった。
「ほな、長いこと話せへんから、質問はまた今度や。…うちに聞きたいこと、仰山あるんやろ?」
不意に、にやり、と狐は笑う。――狐の機嫌はころころと変わるものらしい。
「は、はい…。」
それにしても…。こちらに聞きたいことがあることまで、全てばれているとは。
「…。何や、驚かんのか? それとも、驚きすぎて言葉も出んか。」
狐はとうとう、くすくすと笑い出してしまう。
「…。申し訳ありません。」
もはや何と言っていいか判らず、謝るしかない俺。
それを見た狐は、気分を害することもなく。
「あんた、やっぱり面白い子やな。見てて飽きへんわ。」――と言った。
「は、はあ…。」
…あれ? 俺ひょっとして、気に入られてる?
「安心しい。取って食うつもりはあらへん。…というか、今寝起きやしあんましお腹空いてない。」
「…!?」 俺、狐が寝起きじゃなかったら喰われてたのか!?
「じょーだんやて、じょーだん!」
――焦る俺をよそに、狐は楽しそうだ。洒落にならない冗談はやめてほしい。
「お、脅かさないでくださいよ…。」 こちらとしては、まったく笑えない。
「あんたやっぱり面白いわ。」
ひとしきり笑ってから、狐は俺に向かって優しく言った。
「――さて。長くなるとあかんしな、今日のところはもう帰りなさい。昨日みたいに時間はそんなに進めてへんから、心配はいらんしな」
「は、はぁ。そうなんですか…。ありがとうございます。」
「土産は…そやなぁ、何がいい?」
「………今日のことが誰にもばれずに、何事もなくこのまま家に帰れたらそれでいいです。」
「ほーか。ほな気ぃつけて帰りや。」
「ありがとうございます。失礼致します。」
「んー。またね〜。」
狐はひらひらと、俺に向かって手を振る。――どうやら機嫌を損ねることなく帰れそうだ。
俺が立ち上がり廊下に出ると、出たところに巫女装束の女性が控えていた。やはり案内人らしく、俺が廊下に出ると同時に女性も立ち上がった。
…先程案内してくれた女性とは服装も髪型も同じように見えるが、つけている面が異なっており、顔の上半分が狐の面で覆われている。先程の女性とは別人なのだろうか?
そんなことを考えている俺に、部屋の中にいる狐が声をかける。
「ああ、せや。…この部屋から出てからは、社らへんに戻るまで振り返ったらあかんでえ。」
ピシャリ、と襖が閉じられる。その襖の向こうからは
ようある話やろ、けらけらけら。と狐の笑い声。
行きはよいよい、帰りはこわい、ってやつか? 冗談じゃない!
俺は蒼くなりながら案内の女性の後を追う。後ろどころじゃなく、横すらも見てやるものか…!
そうして歩いているうちに、いつの間にか鬱蒼と茂る森を抜けていた。
目の前には社。俺が追うのは、黒い狐。ここに来る前に俺の前に現れた狐は白かったので、やはり別の狐らしい。
俺が無事に社の前まで辿りついたのを見届けると、黒い狐はぴょこんとお辞儀をし――勿論、俺にそう見えただけだが――どこかへ去っていった。
どうなることかと思ったが、無事に戻ってこられたようだ。
空を見上げる。日は暮れていないし、夕焼けでもない。
さほど時間は経っていないようだが、どうだろう? まぁ、狐の言葉を信じてさっさと帰るとするか。
俺は、行きと同様に狐の面をつけ、家路についた。