一夜明けて。
俺は、一人で社に向かうことにした。
昨日姉と社を訪れた際に奉納しそびれた風車を、…まぁその、いろいろとお礼を兼ねて持参しようと思ったからだ。
姉にはこのことを告げていない。…というか、姉は委員会の活動があるとのことで家には居ない。
余計な心配をかけないようにするためにも、一人で手短に済ませようと思ったのもあるが。
一人で行く、と告げると心配をかけるだろうし、あちらに長居するつもりもないので、
さっさとやるか。と思いながら狐の面をつけ、家を出た。
そんなこんなで、社に着いた。…が、狐が現れる気配はない。
…とりあえず、風車だけ挿しておけばいいか。それ以外に特に用もないし…。
鳥居をくぐった先にある、小さな社の前。
賽銭箱の手前の台に、風車を二本、そっと挿した。――一本は俺の分、もう一本は姉の分。
本坪鈴は元々、このお社にはない。なので、ひとしきり礼拝をこなし、振り返ろうと――した。
…すると、少し離れたところに、白い小さな狐が一匹いるのが目に入った。
…ん? もしかして…もしかしなくても御遣いだろうか。…だよな。山とはいえ、狐なんて滅多にいないだろうし。
おまけに、狐は俺をじっと見つめている。何か俺に用が…?
驚きを隠せないまましばらく見つめ返していると、狐は尻尾を動かした。――何かを伝えようとしているようだ。
いや…、ごめんなさい。分かりません。
「…あの…。俺に何か御用でしょうか…?」
一応声をかけてみた。が、やはり返事はない。しかし、このまま見つめ合っていたところで埒があかない。
…帰っていいんでしょうか? 俺は?
おそるおそる、狐に近づこうと一歩足を踏み出してみた。
狐は、その途端に俺から離れようと森の奥へ駆けだす。…と、途中で振り返り、またもこちらを見つめてきた。
…ついて来い。と言っているのか?
危険かもしれないが、一体何の用で俺の前に現れたのかが気になる。
俺は好奇心に負け、狐の後を追った。
小さな社の向こうは、いよいよ険しい山になっている。一応道はあるが…獣道というか、整備されている道ではないので追うのも一苦労だ。
道なき道を狐を追って進む俺。……これ、下手するとこのまま神隠しにされるんじゃないだろうな? いや、でも信仰がある以上危害を加えるつもりはないと言っていたし…。
…そう不安に思い始めた頃、不意に道がひらけた。
辺りは、暗い。何故か夜になっている…。そして、ぽっかりと月が昇っている。――かなり大きな月だ。
これはまさか。あちら様の世界ですか?
というか、間違いなく俺の居た所とは違う…ように感じる。
俺が辺りの景色に気を取られていると、…いつの間にか、俺が後を追っていた狐の姿がない。
…ど、どうすんだこれ!? 俺は、僅かに狼狽えるより他にない…。
「どうぞ、こちらへ」
不安にかられていたところに突然声を掛けられて、俺は飛びあがるほど驚いた。
見れば、巫女装束を着た女性が。
――目から下は狐の面で覆われていて見えないが、目を見る限りでは…俺に危害を加えるつもりはないらしい。
「あの…あなたは、さっきの…?」
思わず尋ねてしまうが、女性は目を細めるだけで答えようとはしない。
…ひょっとして、笑われたのか? 俺。
応、と言っているようにも、否、と言っているようにも見えるが、分からない。
でもまぁ、狐の面からして、そうなんだろうなぁ……。
どうしよう、俺とんでもないことに足つっこんでる気がしてきた。姉さんのことばかり心配してられねぇな…。
そう、心の中でぼやく俺だが――当の女性は俺の質問に答えず、不意に向かう方向を変え…言った。
「突然、このような場所へお呼び立てして――申し訳ありません。十六夜様が貴方をお待ちですので、ご案内にあがりました…」
十六夜…? って、ここの神の名前…か? 確か…十六夜瑠璃月宵神だから、十六夜か。
い、いきなり神に呼び出されるようなこと、俺何かしたっけ…!? のこのこついてくる俺も俺か。
「は、はぁ…、そうなんですか。…でも俺、手土産とか、何も持って来ていないんですけど…」
「…今回は、先程の風車で十分でございます」
…なるほど。そうなのか。それは良かった。
このまま喰われてしまうようなことは、恐らく、ない、と思う。
迷っていたら、再度女性が、こちらへどうぞ、と促した。その声には有無を言わさぬものがあった。
…俺は、仕方なく女性に案内されるがまま、俺を呼んだという狐のもとへ向かった。