第1話 宵夢と諒

-irreal-

その日、俺は自室で気楽に過ごしていた。

いつものように姉は、父親と。
俺は、何とか自分なりに。たまに、父親と。

自己流ではわずかな力添えにしかならないかもしれないが、何もせず皆無であるよりはマシだろう。
…そう思って、自力で努力していた。

「リョウくん。」
「何?」

その日の晩になって、姉が部屋に入ってくるなり、言った。
姉は、…普段は滅多に見せる事のないような、真剣な表情を浮かべていた。
その真剣な表情のまま、言う。

「お父さんから聞いた?」
「何を。」

その表情に少々面食らいながら、何事かと訝しむ俺。

「…。あのね、うちの跡継ぎ、私じゃないんだって。」
「え?」

少し躊躇った後発せられたその言葉に、己の耳を疑った。


絵空事 -irreal-


【昔々あるところに、お狐様がおりました。】

――俺の家にはこんな伝承がある。
代々伝わってきたその話は、もしおとぎ話ならどこにでもあるような顛末を辿る。

狐が陰陽師の男に恋をして子を産む。
彼等は幸せに暮らしていたが、ある日男は妻が狐であることを知る。
正体を知られた狐は怒り狂い、正体を知った伴侶と村の人々を食い殺す。
ところが、ある日狐は自らの子に諭され心を改め、その地の神となり、次第に人々の信仰を集め、果ては社まで建てられる。

【こうして、人々は幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。】
話はそう結ばれているが、滅ぼされた村を思えばなんとも複雑な気持ちになる話だ。


俺の家は、どうやらその狐の末裔の一族らしい。
小さいころから、このおとぎ話のような伝説を聞かされて、何とも胡散臭い話だと子どもながらに思っていた。
…姉は違ったようだが。

名字にもカッチリ「狐」の字が入っている。いくら何でも分かりやすすぎるだろ。
どうやら祖先に、狐の子孫であることを隠す気はなかったようだ。かといって、それをネタに威張れるわけでもなかろうに。

狐塚(コヅカ)諒。――それが俺の名だ。
姉の名は、狐塚宵夢(ヨイム)という。姉は、数か月前まで後継ぎとして厳しく躾けられながら育った。

俺の家の場合、家を継ぐのは男女関係なく長子が継ぐ決まりで、俺もそれまでは比較的気楽な日々を過ごしていたのだが、
どうやら俺たちの代は事情があり、跡継ぎが途中から変わるというおかしなことになったらしい。

――月日を経るにつれ狐と陰陽師の血は薄れ、その力も弱まっていた俺の一族だが、
先祖代々伝わる「家宝」で力の有無を調べると、俺たち姉弟の力は稀に見る強さらしかった。

お陰で、俺たち姉弟は親族たちに「先祖返りだ」、「御先祖様の生まれ変わりではないか」と騒がれた。
現に、俺たちの持つ力と比べると微々たるものながら、確かに力のある先々代の力で見極めた結果、詳しくはわからないが、姉弟のどちらかは確実に先祖の「陰陽師」の生まれ変わりである、とのお達しが出た。

その結果、俺に言わせると「確実な根拠もなく」先祖の陰陽師と同じ性別である俺が急遽後継ぎとして改めて選ばれ、姉は俺を補助する役目を負うこととなった。
現当主である俺の両親は、そう決められた今でもまだ姉に多少厳しく、俺に多少甘い面が抜けない。俺からすると、つくづく姉が不憫に見える。

…まぁ、そんなわけで。
俺は胡散臭い言い伝えを立場上信じなければならなくなり、ついでにやらなければならないことがどっと増えてしまったわけだ。
理不尽な理由で俺に立場を追われた姉だが、元よりおっとりとした性格からか、特に不満はないらしいとみえる。
案外、お役目を重荷に感じていたのかもしれないが、少なくとも俺にはそう語ったことがないので、詳しくはわからない。
ちなみに俺としては、家の跡を継ぐ気などさらさらない。困ったものだ。

とにかく、俺たちが今後どうするつもりであれ、後継ぎは俺になった。
…今までは胡散臭い伝説など気にかけたことはなかったし、この辺りにそういった逸話が残っている噂も耳にしたことがない。
近隣の図書館もあたったが、小さな図書館だったからか、それらしい資料はなかった。

両親に詳細を尋ねても「知らない」の一点張り。当主なのに知らないとか不自然すぎるぞ。と遠回しに食い下がってみたが効かなかった。
なぜそこまで隠したがっているのか、その理由はのちに明らかになるのだが…。

現在、当主である父も祖先とされる狐とは全くと言っていいほど関わっていないが、後継ぎが変わったという前代未聞の事態を一応お狐様に報告しに行かなければならないらしい。
しかし跡継ぎである俺は一応「陰陽師の生まれ変わり」であり、俺が下手に会いに行けばまた食い殺されかねない、と両親は思っているらしい。それならなぜわざわざ跡継ぎを変えるなどという面倒なことをしたのか、と父親に尋ねてみたが、今は亡き祖父の厳命であるらしく、詳細も語らぬうちに当人が亡くなってしまったため、父親も理由はよくわからないらしい。
思わず、なんだそりゃ、とため息をついてしまったが、おそらく両親も同じ気持ちなのだろう。全く咎められなかった。

ともかく、それならそれで両親のどちらかが俺抜きで報告に行ってくれればいいのに、両親は以前、何らかの理由で狐から縁を切られているらしく、二度と立ち入るなと言われてしまったそうだ。道理で暇そうな当主なんだな。…その話も、俺にとっては眉唾物だが。

この時点で、手近な手掛かりは姉にしかない。
そこで姉に何か知らないか、と声をかけてみた。

「…え。私?」
「うん。姉さんはあの伝説信じてるみたいだったから、何か信じようと思ったきっかけの詳しい話とか知ってるのかな〜と。」

「うーん…、私はただ、そういうロマンチックな話が素敵だなぁと思っただけで…。」
「…。あれ、ロマンチックか? 一応、言い伝えでは村が滅びてることになってるんだろ?」

「そうだけど…。私、妖怪とかそういうの、好きだし。妖怪と人間が結ばれるって、こう…、異なる者同士が結びつくってことでしょう? それだけで素敵なことだと思わない?」
「…まぁ、そう言われればそうかもな。結局破綻してるけど。…で、何か知ってること、あるの?」

「う〜〜〜ん…、小さい頃にお父さんから聞かせてもらったのは何となく覚えてるんだけど…。」
「…。」

「あ、でも、…そういえば、家の蔵の中に…巻物みたいなものがあったような気がする…。」
「…へえ。そこに詳しく書かれてたのか?」

「どうだったかな…、忘れちゃった。…でもあの蔵、今はお父さんと諒くんしか入っちゃいけないことになってるから…」
「となると、俺一人であのデケェ蔵探さなきゃいけないのか…」

「うん、そうなると思う。夜中にお父さんが帰って来てから2人で探すのだと、暗くてもっと大変だろうし…。…でも、お母さんがいない時になら、一緒に探してあげられるよ。」
「母さんが出かける時、か…。」

「うん。でも、お母さんが出かけるのってお買い物に行く時とかだし…。毎日少しの時間をとって、地道に探していくしかなさそうだね…。」
「………。じゃあさ、蔵のどの辺りにあったとか、覚えてない? 俺一人でもできるだけ探してみるから。」

「えっと…そうだなぁ…。たぶんだけど、ものすごく奥にあったと思う。確か、巻物を見せてもらうときに、物をどけながら『お前は後継ぎだからこの蔵に入れて、この巻物が読めるんだぞ』みたいなことを散々言われたから…。」
「そっか…。とりあえず明日学校から帰ったら、探してみる…というか、手前の物をどけることから始めるよ…。」

「うん、頑張ってね。…私もできるだけ早く帰るようにするから。」
「ありがとう。…じゃ、俺もう寝るから。」

「はい、おやすみなさい。いい夢見てね。」
「姉さんも。」

…何故か含み笑いをしながら、俺と同じく寝台に向かう姉。俺、何か変なこと言ったか?
まぁ、考えるだけ無駄なことのような気がしたので、今日のところはひとまず眠ることにした。

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