「は?」
「…だから…――家族だから、だ。」
剛史の言葉に、葉介は――どこかの誰かと同じように――顔をしかめました。
普段は決して笑みを絶やさない葉介が、嫌悪している心のうちを隠しもせずに話します。
兄弟水入らずにという翠玉の厚意は、ある意味、功を奏しているようでした。
「…百歩譲って、血縁関係は認めます。しかし、それを理由に自宅に上がり込まれ、長居されては…はっきり申し上げて、迷惑です。」
「………。」――剛史はその言葉に眉をひそめましたが、当人はいつも気難しい表情をしているので、その違いは他者にはほとんど判りませんでした。
「いい歳をした大人が、近隣とはいえ余所に住んでいる親類の家に入り浸って、家族だからという理由でさあ持て成せとばかりに長居をする。これを迷惑と言わずして何と言うのです?」
――そのせいか、葉介は剛史に容赦なく言葉を投げかけました。
しかし、剛史はそんな葉介にも慣れているのでしょうか。
普段と変わりない飄々とした態度で、――いえ、苦くはありましたが笑みさえも浮かべて、尚も続けました。
「…其処まで言うのなら、お前も家に来ればいいだろう。」
「…。………。」――剛史の思わぬ返答に、葉介は言葉を失ったようです。
「近隣の親類の家で長居をし、家族だからという理由だけでいくらでも持て成して貰うがいい。迷惑だと思うのなら、お前も同様の仕返しをすれば済む。」
――剛史なりの皮肉は籠っていたようですが、どうやらそれが葉介には効いたようでした。
「…貴方と同等に成れと?」――馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげにそう吐き捨てた葉介を、
「目には目を、と言うではないか。」――剛史は簡単にいなすのでした。
「…。お話になりませんね。」
「全くだ。」
結局、互いに吐き捨てるようにそう言い、葉介が居間を離れた時。
「ただいま帰りました」
どうやら、翠春が子供たちを連れて、家に帰りついたようでした…。
――おっとこれは険悪ムード。
翠春は鋭敏に、その気配を感じ取ります。
そのまま居間に入ると、剛史に小声でひそひそと言いました。
「出る前よりも悪化しているとはどういうことです、剛史さん」
「…。」――剛史は元々渋い顔を更にしかめて、黙り込んでしまいました。
「晶、お帰り。」――葉介は、先程の不機嫌そうな表情を露とも見せず、ちらと優しげな顔を覗かせていつものように迎えました。
「た、ただいま…。」――しかし晶はそれを目にすると、僅かに怯えたように言うのでした。
「あ…。あきら、外、遊びにいこかー…」
「う、うん…」
見兼ねた瑠璃は咄嗟に晶にそう声をかけ、二人して逃げ出すように、またも外へと繰り出してゆきます。
「…。」
葉介も、剛史も、そして翠春も。――それを止めることなく、そっと見送りました。
「ほら…あきらくんとるりちゃん、怯えちゃったじゃないですか。どうしたんです、何を言ったんですか?」
「…だから…」
――剛史は翠春に、これまでの経緯を、言いにくそうに語るのでした…。
***
「…へえ。それで、売り言葉に買い言葉、まさしく目には目を、歯には歯を的な言い争いになり、収拾がつかないまま、今に至ると。」
「そうだ。」
翠春に問われ、渋々ことの顛末を説明すると、呆れたとばかりに息を吐かれた。
「まぁ言い争い出来るようになっただけ進歩といえば進歩ですが…。ど〜してそこで『いつも邪魔してばかりですまない、お前もたまには家に来てもいいんだぞ』と素直に言えないんですかねぇ〜」
「…。」――弾丸のように放たれた言葉に、返す言葉もなく押し黙ってしまう。
「やっぱり剛史さんには私がいないとダメナンデスネェ〜。ああ、せっかく気を遣って兄弟水入らずにして差し上げたのに!」
「…すまん。」
「謝るのでしたら私ではなく弟君に。はい、さっさと行く!」
「…い、今か?」
「今ですよ。奥方さまがお帰りになられたら、この惨状をどうご説明するんですか。奥方さまがお帰りになられないうちに、事態を収束させるんです!」
「わ、わかった…。」――最早、言われるがままである。
「いいですか、言い返してはなりません。まずは葉介さんの言い分をしっかり聞いて、貴方はひたすら謝り続けることです。…貴方の為に申し上げておきますが、喧嘩は、先に謝った者の方が勝ちですからね」
「そ、そうなのか…。」
「謝って、先に譲歩の心を見せるのです。そうすれば相手も少し冷静になって、事態が収束しやすいのです。互いに意地になってしまう方が余程面倒です。いくらでも拗れますからね。――尤も、その辺りの事は貴方も重々御承知のことかと思いますが。」
「…。………」
「弟君を年端のゆかぬ子どもだと思えば良いんですよ。――子どもを相手にいい歳をした大人が、感情的になって怒鳴り散らすんですか? みっともない。どちらが子どもなのかと呆れるでしょう?」
「…。」――そうは言われても…。
「『そうは言われても…』じゃありません。これはあくまでも例え話で、貴方の心構えの問題です。貴方のお考えの通り、弟君も子どもではありませんから、貴方の言いたかったことは恐らく通じているでしょう。しかし弟君からすれば、それを素直に認めると貴方の言った事に素直に従ってしまったような気になるので、それが何だか癪だな〜っといったところじゃないでしょうか。」
「…お前。」――心を読んだかのようにそう言われ、思わず咎めた。
「顔に書いてあったものですから。」
「…そうか。…しかしそれでは、まるで…」
「ね? 子どものようなお方でしょう?」――にっこりと笑って翠春は続ける。
「だから、弟君が『それなら認めてやらなくもない』という風に思えるようになるまで、徹底的に屈する姿勢を見せるんです。…いいですか? 少々勘に障る事があっても、決して大声を出さないことです。――そうやって、貴方に甘えているんですよ。」
「――は?」
「ああ、いえ。今のは喩えが過ぎましたね。お気になさらず。」
「そ、そうか…。」
「――では、お気をつけて行ってらっしゃい。」
少々不穏な言葉が混じっていたが、先程と変わらぬ笑みのまま――或いは励ますように――翠春は笑うと、私の背を押した。