第2話 夢か現か

-ideal-

「…、やれやれ」
そう小さく呟いた葉介――もとい銀翅は、自宅に向かいながら、変わりなく暮らしていた二人の様子に、密かに安堵しました。

――どうやらあの二人、破綻せずに済んだらしいな。
嬉しさからか、銀翅は思わず笑みをこぼします。

「――顔、出とるで。」
その様子を見兼ねた瑠璃――もとい十六夜は、繋いだ手をぎゅっと握り、誰にも聞こえぬよう小さな声で(たしな)めました。

「良いさ。誰も見やしない。」
銀翅は晴れやかな表情をしています。それを見た十六夜は、つられたように笑いました。

「…、良かったな。」
「ああ。」

「…? 葉介さん、なんだか嬉しそうですね」
妻の花蓮――もとい、蓮華は、普段と変わらぬはずの夫の笑みの中に、喜びがまざっているのを見落としませんでした。

「うん? よく判ったね。」――葉介は観念したような笑みを浮かべます。
「…、判りますよ。もう、随分になるでしょう。」――くす、と笑って、花蓮は言いました。

蓮華だったころの記憶はないはずなのに。
銀翅はそれでも嬉しかったようで、やわらかく微笑みました。
「なに。お隣さんが彼等でよかったな、と思ったのさ。」

「そうですね。…私たちに負けず劣らず、素敵なご家族でしたもの。」
「…ほう。言うじゃないか」

「だって、そうでしょう?」――どこか勝ち誇ったように。
どうやら幸せそうに微笑む花蓮に、銀翅は安堵した様子で頷きました。

「そうだね。…ところで、今日の夕飯はどうしようか?」
玄関の戸を開けながら、葉介は皆に問います。

「…、何か、食べたいものはありますか?」
二人の子供たちの頭を撫でながら、花蓮も皆に問います。

「そうだねぇ…」
「うーん…」
「…ぼく、ハンバーグがいい。」
皆が悩んでいると、晶――もとい諒は、おずおずと自身の好物を主張しました。

「あ、ええな、それ。うちもハンバーグがええ!」
「…だそうだ。」

「あらあら。…じゃあ、一緒に作りましょうか?」
「うん!」
「おてつだいする!」

「でも、材料あったかしら?」
そう言いながら、花蓮はキッチンへ向かいます。

「ああ、足りないものがあれば、私が買いに行こう。」
「うちもいく!」

「じゃあ、瑠璃とお父さんは買い出しに行ってきてくださいな。晶はおうちで、お父さんたちが帰ってくるのを待ちましょうか?」
「…うん。」

葉介は、いつもの場所に置いてある財布を手に取ります。
それを横目に見ながら、花蓮は瑠璃にも小遣いを渡しました。
「はい。…欲しいものがあったら、これで買いなさい。」
――そう言いながら花蓮は、可愛らしいキャラクターを模したがま口の小銭入れを、瑠璃の首に提げました。

「…晶、なんか欲しいもんあらへんか? あったら、買うとくけど。」
小銭入れの中を見ながら、瑠璃は言います。瑠璃自身は、特に欲しいものはないのかもしれません。

ところが、それは晶も同様のようでした。ふるふるとこうべを振り、こう答えたからです。
「ぼくは、このまえもらったからいいの。」

「あら、そうなの?」
花蓮は、何かしら? と微笑みましたが、晶は照れくさそうにすこし微笑むと、俯いてしまうのでした。

葉介は、そんな晶の頭をぽんと撫で、言いました。
「ひとまず、行ってくるよ。」

「気をつけて。…瑠璃、お父さんのこと見ててあげてね。」
「うん、任せといて!」
いつもどこかぼんやりとしている葉介のことを手伝ってあげてほしいと、花蓮は言ったのでした。

「晶は、おとーさんがおらん間、おかーさん守るんやで」
幼さゆえにまだどこか頼りない晶ですが、この言葉にはしっかりと頷きました。


――葉介は、既に玄関にいました。
そのまま家を出ようとして、ああそうだ、鍵。と抽斗(ひきだし)やポケットを探り。
鍵を見つけたところで、瑠璃が玄関に走ってきました。

「おとーさん、鍵、持ったか?」
「今、持ったよ。」
ほら、と見せながら、葉介は言いました。
「…行こうか」

「うん。」
――葉介が、ガチャリ、と鍵を締め。瑠璃が、締まったか確認をして。
「よし。」

2人は手を繋いで、歩いてゆきます。
どちらの足取りも、軽いようでした。

「――まさか、こんな事になろうとはね。」
「せやな。」

「けど、良かったやん。」
「…、何だか、えらく素直じゃないか。」
絶対に見られないだろうと思っていた十六夜のその表情に、銀翅は面食らったようでした。

「何言うとんねん。…ひねくれたガキは嫌やろ?」
「…変わらないところもあるのか。いや――手が掛からなくて、楽だね」

「…。」

少しの沈黙が流れましたが、やがて。
変わらぬところがあるのはお互い様だとでも言うように、くすくすと笑い合います。

「――叶うと良いね、君の夢。」
その晴れやかな笑顔のまま、銀翅は十六夜に笑いかけました。

「…。何他人(ひと)事みたいなこと言うてんの。あんたも、自分のために生きや」
わずかに眉をひそめて、十六夜は言いました。――その表情が似つかわしくないので、銀翅は一層可笑しく思った様子でした。

「――はいはい。…なんだか、馴れなくてね。」
微笑んでいた銀翅は、少し遠くを見て呟きました。
「…未だ、夢のような心地だよ。何時()めてもおかしくないような気すらする。」

「…。で、まさか寝るんが怖いとか言うんちゃうやろな」
その銀翅を見上げ、十六夜は呆れたように言いました。

「…ふむ…。…確かに、怖くないと言えば、嘘になるかもしれない。」
銀翅は苦笑しながら言います。その様子に、十六夜はやはり呆れたように言うのでした。
「ガキか…。ったく、しゃーないなぁ。…今日は一緒に寝よか、おとーさん」

「…。………」――銀翅は、目を丸くして黙り込みました。
「何やその顔は。」――呆れていた十六夜は、むっとした表情に代わります。
「…いや。…これは、愉快なことなのかな、と」――銀翅は神妙な表情で、ぽつりと呟きました。
「面白がんなや!」――その意図を見逃さなかった十六夜は小さな声で、けれども鋭く言いました。

「…瑠璃は、私のことがそんなに好きかい? 父としては冥利に尽きる思いだよ」
「真顔で言うな! 冗談か本気か、判らんやろ」
「この際、どちらでも良いだろう、そんな事。」
「…あんた、相変わらずやなぁ…」
「うん。君もね。」

――くす、と笑うと、銀翅は尚も続けました。
「いずれさめてしまうのだとしても、折角の夢なんだ。楽しもうじゃないか」
「…。夢やとしたら、残念やなぁ」

「お互い、散々だったからねぇ。」
「…やからこそ、良かったな、て言うとるんやろ」

「そうだね。」
そんなところもお互い様だ、とふたりはしのんで笑うのでした。


「…着いたで、おとーさん」
「では、早く買い物を済ませて帰るとしようか。あまり待たせるのも悪いだろうし」

「ちっとくらい待たせても(バチ)は当たらんやろ。ついて行くうちの身にもなりや。…あんたはほんまの意味で、マイペースなんやから」
「あれ? だからこそ花蓮お母さんに任されたんだろう? 私を。」
「…。聞いてたんやったらもっとしっかりし。早く済ますんもええけど、買い忘れあったらどないすんねん。――年端もゆかん自分の子供にあれこれ指図されとる親って、どないやねんな」
抜け抜けと微笑む銀翅に、十六夜はまたも呆れさせられるのでした。

「ふむ。…さすがお姉ちゃん、しっかりしてるねぇ。」――へらりと銀翅は笑います。
「ばかにすんな!」――噛みつくように、十六夜は言いました。
「してないよ。褒めてるんじゃないか」――しかし、銀翅は変わらぬ笑みを浮かべています。

「…。おとーさん。」――十六夜は、怒ったような表情で銀翅を諫めました。
「…はいはい、解ってますよ」――溜息をひとつ吐き、銀翅は僅かに笑みをおさめます。
「何や、やっぱりからかってたな?」――十六夜はそんな銀翅を、じろりと睨みつけました。
「ははは、ごめんごめん。…少しは父親らしく振舞うとするよ」――銀翅はそれをものともせず、ふわりと笑うのでした。

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