第十一話 朔風(さくふう)

-leve-

『――わたしを呼ぶのは、誰ぞ』
幾度目かの呼びかけののち、気怠(けだる)げな声が響きました。

「私、玄鋼と申す者に御座います。」
それに、落ち着き払った声が応えます。

『玄鋼か。…良かろう、水の名を持つ者よ。――して、わたしに何用か?』
水玄蛇葉神(みくしばのかみ)様。私は、あなた様を捜しておりました。」

『今一度、姿を顕せという事だな? …まぁ、良い。』
声は、いかにも渋々といった様子でそう告げました。一同は、いよいよかといった様子で僅かに身構えました。

――すると。
雨の降った後のようにしっとりとした気が辺りに満ちたかと思えば、斎場(さいじょう)としている場所にはいつの間にか男の姿が在りました。

その男は、あたかも初めからその場にいたかのように平然と、微笑みさえ浮かべてそこに在りました。
しかし、白い髪に、細く澄んだ蒼い眼を見れば、どうやら人ではないらしいと理解するのは容易いことでした…。

「求めに応じて出てみれば。」
――男は、ちらりと十六夜を見、そう言いました。声は、先程よりも更に尖っているようでした。

「…何や、感じ悪いな。」――十六夜自身もその声から、何となく自分が()く思われていないことを察します。
「…。」――銀翅は珍しく、その表情を曇らせて押し黙っていました…。

「我が求めにお応え下さり、(あつ)く感謝致します。」
「良い。…ときに」――蛇は、何かを思い出そうとするように口元に手をやりました。

「そなた。…玄鋼、だったな。――我が力、今以上に求むと申すか。」
「…?」――玄鋼は突然の鋭い問いに、面食らったように黙ってしまいました。

「…いや、知らずとも無理はないか。」
咎めるような声色を僅かに緩め、蛇は尚も思案するように、眼を細めました…。


「…わたしはあの男を気に入った。あれ以来山を離れて男の身に取り憑き、…この男の血を引く者達の傍にずっと居る。」
男は自らの身体を指し、そう言いました。
「…!? それでは…!」――思いがけぬ蛇の話に、流石の玄鋼も言葉をなくしたようでした。

「…如何にもこれは仮の姿。現世においそれと姿を晒す訳にはゆかぬからな。――あれ以来、こうして呼び出されることは無かったが、力だけは、そなたらに分け与えてきたのだぞ。」
蛇はどうやら嬉しそうでした。玄鋼は一層(かしこ)まり、蛇の言葉に耳を傾けます。

「そなたらが今こうして村を支えていられるのは、我が力あってこそ。…それ以上を、望むのか?」
「…、いえ…。御姿を拝見出来ただけで、十分に存じます。今尚、其の御力をお与え下さっていたとは、存じ上げず、大変失礼致しました。」

「良い。そなたならばそう言うだろうと思っていた。」
「…、畏れ入ります。」

「では、何故わたしを呼び出した?」
「実は…我が父、先代当主の事で、あなた様にお尋ねしたい事が御座います。…申し上げ(にく)いのですが――」

「解った。あやつの最期の事だろう?」
玄鋼が最後まで言い終えない内に、蛇は玄鋼の問いを言い当てました。
「…は。然様です。」――玄鋼は、驚きの表情を露とも見せずに頷きました。

「如何にも、あやつめはわたしが祟った。――何故か、解るか?」
「…、いえ――」
あっさりと肯定された言葉に玄鋼は動揺し、何も答えが浮かびませんでした。

「その方が、面白いことになりそうだったからだ。見ているだけでは、つまらぬしな。」
「…。…………」――人の生死を、面白い、という理由だけで操るおそろしさを、玄鋼はひしと感じました。

「現に、そなたら兄弟の不仲も解れ、村が永く続いている。あのままでは終わりが見えていたのでな、(たま)には――ちがうものが見てみたくなったのさ。」
「…違うもの…、で御座いますか。」

「そうとも。――まぁ、所詮そなたらには解らぬ(こと)だがな。甲斐あって、随分と面白いものが見られた。わたしはとても機嫌が良い。」
――何故か、ちらりと十六夜を見、蛇は笑うのでした。

その視線を受けた十六夜は、蛇を一層強く睨めつけると、吐き捨てるように言いました。
「…うちかて、あいつは気に食わんと思うとったんや。」

「――食を絶つだけでは、人はなかなか(かつ)えぬぞ。未熟者め。」
「…一応黙って聞いてたけど、かなんわ。言わせてもらうで。」

蛇に声をかけられ、十六夜は(せき)を切ったように話し始めました。
「…見たところ、あんたは人に害を与えてるようにしか見えへんのやけど? えぇようにしてくれる人らには、えぇもん渡したらんと、嫌われるばっかりやないか。あんたみたいなんがおるから、物怪達(うちら)の肩身が狭ぅなるんやで?」

「――笑止。神は祟ってこそだ。人に(へつら)っていては、何れ付け上がるぞ。…お前のような子狐にも、身に覚えくらいは有るだろう?」
「…。…………」

十六夜はどこか悔しそうに、黙り込みました。
蛇は、くつくつと喉の奥で笑うと、ぽつりと呟くように言いました。
「さて。…あやつもそろそろ、力尽きる頃だ。 」

――銀翅は、蛇の言葉に密かに息を飲みました。

「わたしは、己の気に入った者に殊更、力を分け与えてきた。――強い力を持つ者ほど、大方(おご)ってしまうものだが…、そなたはどうやら違うようだな。」
――ようやく愉快そうな様子で、蛇は別のところを見やりました。

その眼は何故か、銀翅へと向いていました。
「…!」 ――銀翅は、蛇の眼に射竦められたかの様に、確かに息を呑みました。

「…!? 銀翅!?」――傍らにいた十六夜は、蒼褪(あおざ)めた様相の銀翅に仰天しました。
身体に何らかの異変を(きた)していることが明白だったからです。

「だからわたしはそなたを気に入る。…わたしも、そなたのような男をまた、捜していたのだ。」
しかし蛇は、十六夜など意にも介しないまま、尚も銀翅に話しかけるのでした。

「…。……、私の様な者にまでお声をかけて頂き、光栄に存じます…。」
――本来は、言葉を交わすなどあり得ないこと。そう感じた銀翅は、震える声でそう口にしました。

「よもや…生きているそなたと話が出来る日が来ようとは。――待ってみるものだ。」
蛇はそれを咎めるどころか、どうやら(よろこ)んでいるようでした。

「あんた、銀翅に何をした。」
十六夜は、その蛇をきっと睨みつけ、銀翅を庇うように蛇の前に立ちました。

「狐の分際で口を挟むな。」
当然のように、すぐに気を悪くした蛇は、銀翅を見やったその眼よりも更に力強い眼で、十六夜を見つめました。

「何やて…!?」
しかし十六夜はそれを全く受け入れず、金の眼で尚も蛇を睨みました。

「私がお前如きを畏れると思うか…? 己の役目を得て数百年も経ていない、未熟でか弱い幼きものよ…!」
「狐やからて理由で舐められて堪るか…!」

「生意気な口を…!」――その様は、じり、と、何かが焦げ付くような気配すら感じられるほど。
しかし突然――その気配は文字通り、火花となって消え去りました。

「…。そなたも、こやつを庇うのか?」
「どうぞこの場は私に免じて、見逃して下さいませんか。」
荒ぶる二柱を諫めたのは、どうやら玄鋼のようでした。

「――私からも…お願い申し上げます。……」
その言葉に、すかさず銀翅も追従しました。

「…。かわいい兄弟揃って願われては、聞き届けるより他に無い。…良いだろう。」――やれやれ、と蛇は苦笑します。
「…。……」――十六夜も、渋々といった様子で舌打ちすると、顔を背けるのでした。

「そなたらの願い、確かに聞き届けた。――また何かあれば呼ぶが良い。」
「はい。有難う存じます。」

「――とくと休まれよ。」
そう呟いて蛇神が消えると、それまで杖でどうにか立っていた銀翅が、ふらりと倒れ込みました。

「銀翅、…。」――十六夜は慌てて、銀翅を支えます。
「すぐに戻ろう。薬はあるか?」――玄鋼もまた、慌てた様子で銀翅に駆け寄りました。

「ある。うちが戻って用意しとくさかい、あんたはこいつを頼むわ。」
「承知した。――では、頼む。」

「――銀翅、すぐ良うなるさかいな。気張り。」
十六夜はそう言って姿を消し、玄鋼は銀翅を背負いました。

「…。まさか、な…。」
玄鋼は何かに思い至ったようでしたが、すぐにそれを否定しました…。


「今宵は、ここに留まろうと思う。」
玄鋼は、銀翅を休ませるなり、思いがけない事を告げました。

「…、あんたかて、せなあかん事あるやろ。」
「これが、それだ。神の気を宥める為とでも言えば、遙にも解る筈だ。」

「…。当主が家ほったらかすんかいな。」
「私の代わりなら、今の遙にもこなせる。」

――こいつの代わりは、そういない。
その意思を汲み取った十六夜は、逡巡のうちを、尚も彷徨いました。
「…。せやかて…」

「――私の事なら、心配は無用です。」

「! 銀翅」
「目ぇ覚めたんか、銀翅」

「お陰様で随分快くなりましたので。兄上は気兼ねせず、つとめにお戻りください。」
「しかし、――」

「私と違って、兄上には立場がおありでしょう。…当主の貴方が長く家を空けては、村の皆も心が休まらぬ事かと。蛇神様があらわれた影響が、村にないとも限りません。――遙も心細く思っているやも…。」
「…。」

「――私には十六夜がおります。兄上はどうかお戻りください。」
「…。解った。他ならぬお前が言うのなら、そうしよう。…但し、具合が悪くなったならすぐに式で報せるのだぞ。良いな?」

「承知致しました、当主様。」
「…ふん。――お前にそう言われても、嫌味にしか聞こえぬ。」
玄鋼は銀翅の言葉に怒ったかのように、憮然とした表情で立ち上がります。

「おや、それは心外。」
――銀翅は苦しそうに笑うと、なおも丁重に、玄鋼に告げるのでした。
「では、兄上。どうぞお気をつけて。」

その言葉に合わせるように十六夜が立ち上がり、玄鋼を見送りました。
「――後を頼む。」
「うん。…夜道やし、気ぃ付けてな。」


「…あんた、ほんまに大丈夫なんか?」
「ああ。苦労を掛けたね、有難う。…もう、さほど息苦しさは無いよ。あと少し眠りさえすれば、よくなるだろう。」

「――ほぅか。…まぁ、養生し。」
「ああ。元より、やる事も無いしね。」――銀翅はどこか少し、苦笑気味に言いました。


「…何で急に、こないなったんやろな?」
「…。……、おそらく蛇神は、私の力を基にあの場に顕れたのだろう。」

「そないな事、出来るんか。」
「出来なくはないだろう。我等一族の持つ力は、もとより彼のものだ。――呼び出したのは兄だが、兄の力を(もと)にすれば話をするどころではなくなってしまう。故に私を介したのだろうさ。」

「…死なす気か。無茶させてからに…。」
「この程度、どうという事はない。」――ゆっくりと身体を起こした銀翅は、ほら、といつもの様に笑むのでした。

「うち、あいつ気に食わんわ。」
十六夜は鼻を鳴らし、銀翅を労るように、銀翅の背に手をやりました。

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