第六話 月のない夜

<-eclipsar-

今や無人となったその家に、静かに足を踏み入れた。
辺りに散らばる赤い模様は、きっと、あいつが流した涙の色だ。

――やはり、誰もいないか。
念の為と思い入ってみたが、徒労だったらしい。

そう考えながらも、だらりと開いた障子の向こうを見やり、微かな違和感に気付いた。
――押入れの中に、なにかがいる。


其処へ近付き、がらりと開けると、ひどく怯えていたらしいそいつの悲鳴が響く。
「――落ち着きや。あんたを(おど)かした奴は、もうおらへんで。」

「…、嗚呼…」
女だ。服装からして、女中ではないだろう。

「…あんた、この家のもんか?」
「…、はい。」

「ふぅん。よう生きとったなぁ。」
「…、貴女こそ。」

「あぁ。それもそうやな。…こんなとこで話も何やから、出よか。」
とりあえずは話を合わせつつ、その女の手を引いた。

「はい…。」
立ち上がったその足には、布が巻いてあるのが見えた。流石に無傷というわけではなかったらしい。

「怪我しとるんか。…歩けるか?」
「はい。ゆっくりとなら…。」
その言葉に合わせるように、私も、ゆっくりと歩いた。


門の外に出て、少し脇に置いていた赤子を拾い上げる。
「残ったんは、あんたと、このガキだけや。」

「…そうですか…。」
やけに悼ましそうな瞳で、女は赤子を見つめた。

「…あんた、名は?」
「蓮華と申します。」

「ほうか。…うちは、…十六夜。」
「十六夜、さん。」

「まぁ、好きに呼んでや。…で、あんたはこの家の、何や?」
「私は…、あのひとの妻です。」

「あのひと?」
「この家――村を、滅ぼした人の…。」

少し、驚いた。――あいつが、仕留め損なうこともあるのかと。…いや、それよりも。
「…ほんなら、このガキはあんたのか。」

「え?」
今度は、何故か蓮華の方が驚いた顔をした。

「あいつが…。銀翅が、そう言うとった。」
「…え…。そんな筈は…。」

何やら訳があるらしい。
――…そういえば、兄夫婦がどうとか言うてたな。
どうせまた、ろくでもない理由なのだろうなと思い、溜息を吐く。

「それより…その。十六夜さんは、あの方を御存知なのですか?」
「あぁ。よう知ってる。」――多分、あんたよりもな。

けど。
「…その話をするには、もっと別の場所がええやろ。…あんたの怪我のこともあるし。ちっと、歩いてもらうで。」

「ええ、そうですわね…。」
何もこんな場所に留まらずとも良い、と、蓮華も思ったようだ。
少しだけ名残惜しそうに屋敷を見上げると、ゆっくりと歩き始める。


斯くして、三人で山の麓までやってきた。
休んでもらいつつも、怪我の具合を改めて診ようと、その裾を少しだけ捲る。

「…、ふむ。…このまま山登るには、ちっとしんどい傷やな。…治したるわ。」
「え?」

「まぁ、黙って見とき。――何を見ても、慌てんことや。」
そう言い、傷口の辺りに手を翳した。

直ぐに起こった狐火に、驚き、息を飲む気配が伝わってくる。
しかし、痛みの引いていく傷に、どうやら危害を加えられるわけではないと解ったようで、とりあえずは大人しくしていてくれた。

「有難う御座います。貴女は――何者ですか?」
その傷を治してやると、一番に出た言葉がそれだった。

「…先に礼を言う余裕があるとは、大したもんや。――うちは、この山のかみさまやってる。」
「…そう…だったのですか。…それは失礼を――」

「ええよ。別に呼び方くらい。そう言うたはずや。好きに呼び。」
「…はい。」


「…何や、あんまり驚かんのやな。」
「ええ。…あの方から少しだけ、話を伺っていたので。」

「へぇ。…あいつが少しでも心を許す人間が、あの家におったんか。」
「…。」
哀しそうに目を伏せる蓮華を見、その心情を察する。

「あんた――あいつのこと、大好きやったんやな。」
「…。はい。」

「…。…………、そうか。」
あいつを、掛け値なしで支えたいと思った人間が、どうやら居たらしい。…しかし、あいつ自身にそれを受け入れる理由があったかどうか。

「あいつは――どうも、自分を人間やと思ってなかった節があるしな。」
「え…?」

「昔っからの病気持ちで、自分は祟られてると思てる。何かを倒す為の力ばっかりあって、村人からもそういう理由で受け入れられてる。――そこから逃げれたらええけど、それでもあいつは村人の為に、身を削ってた。」
「…。」

「せやし、うちも手伝ってやろうと思ったんやけどな。…そうでもせんと、ただ力があるだけの化けもんやと、自分でも思てたんやろう。」
「…。そうですか…。」

滅びた村を見やり、蓮華は静かに涙を流した。
――それでも、やりすぎではないのか。
そう思っているのかもしれない。

「あいつは…ちょっと、つかれてしもうたんや。」
それに出来るだけ寄り添おうと、同じように村を見やった。――同じように見えていたかは怪しいが、少しだけ、近付けたような気がした。

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