どうして彼女はオレを待っていなかったのだろう。一晩中考えてみたが、結局答えは出ずに次の日の朝を迎えた。

制服に着替えて一階に降りると、キッチンから良い香りがした。恐らく父さんだろう。キッチンを覗けば案の定、料理中の父さんがフライパンで何かを焼いていた。

「おはよう。カカシ」

オレに気が付いた父さんが目を細め、微笑みかけた。「おはよう。父さん」オレも同じように挨拶を交わすと、ケトルに水を汲み、沸騰ボタンを押した。湯が沸くまでの間、洗面所で顔を洗い、身支度を整える。ふと洗面台の鏡を見れば、寝癖のついた自分が映っていた。まいったなぁ。呟きながら跳ねた髪を何度か押さえつける。だが、思った以上に頑固な寝癖らしく、なかなか直らない。次第に面倒になり、まぁいっかと諦めて洗面所を後にした。
キッチンに戻ると丁度よく湯が沸いた。ケトルを手に取って、インスタントコーヒーの粉末をいれた二つのマグカップに湯を注ぐ。すると一瞬にして深い香りがキッチンに広がった。

「はい、弁当」

父さんはダイニングテーブルに青いバンダナで包まれた弁当を置くと、シュッとエプロンの紐を解いた。皺一つない白いシャツ。首には紺色のネクタイを巻いている。ちなみにそのネクタイは今年の父の日にオレが送ったものだ。

「ありがとう。明日はオレが作るね」

並べられた皿の横にマグカップを置きながら言うと、父さんは申し訳なさそうに笑った。

「悪いな。本当は毎日作ってやりたいんだが」
「いいよ。父さんも仕事大変なんだし」

「ありがとうな」礼を口にした父さんは席に着き、オレの入れたコーヒーを飲む。オレと目を合わせてにっと笑うと「カカシが入れるコーヒーはいつもうまいな」と大袈裟に褒めた。

「それ昨日も言ったよ」
「そっか。昨日も言ったか」

オレの言葉にフッと笑った父さんの口元には法令線がくっきり刻まれていた。いつの間にか出来ていた皺を見て、父さんも歳を取ったのだと少しだけ胸が痛んだ。

うちは父子家庭だった。幼い頃、母が亡くなり、代わりに父さんが男手一つでオレをここまで育ててくれた。朝早くから夜遅くまでオレのために働く父さんの背中。その背中に憧れを抱くと同時に、いつか大人になったら恩返しをしたいと心に決めていた。 

「今日は新作を作ってみた」
「新作?」
「ほら、これ」

目の前の皿を見るよう促され、怪訝に思いながらもそれに視線を向けた。そこには、アスパラがベーコンに巻かれて焼かれた、見慣れない料理があった。

「アスパラベーコン」

満面の笑みで答える父さんはどこか誇らしげだった。「自信作だよ。食べてみなよ」やけに嬉しそうにアスパラベーコンを勧められ、仕方なく箸を伸ばして掴むと口に運んだ。一口噛むとジュッとベーコンの旨味が口内に広がった。噛み砕く度にアスパラの甘みが滲み出る。味付けは塩と胡椒だけでシンプルだったが、ベーコンの塩気が瑞々しいアスパラと相性が良くて箸が進んだ。

「美味しいね」
「だろ?弁当にも入れておいた」

そっか。楽しみだな。思わず口が滑りそうになり、慌てて口を噤む。正直に伝えることは格好悪いというか、なんとなく照れ臭かったので言えなかった。代わりに「ありがとう」と礼を言えば、父さんは朗らかに笑った。

「どうだ?学校は楽しいか?」

もう一つ食べようと口に運んだ時、突然そんな質問を投げ掛けられた。『学校は楽しいか』その言葉に思わず手が止まる。学校は楽しいとも言えないし、かといって、つまらなくもない。まあまあだ。正直に答えると、父さんは目を細めて「お前らしいな」と笑った。

「カカシは学校に好きな子はいるのか?」

飲み込んだアスパラベーコンが喉に詰まった。急に何?咳き込みながら目で訴えると父さんはさらに微笑んでオレの様子を見ていた。どことなく楽しげなのは気のせいではない。

「さては、いるんだな」
「…いるわけないでしょ」

否定すると、父さんは「へぇ」と答えただけでこれ以上追求してこなかった。代わりに、自分で作ったおかずを口に入れると「やっぱりオレが作った料理は美味いな。店開けるかも」と、自画自賛しながらあどけなく笑った。オレは上手く笑えなかった。未だ父さんの質問に動揺を隠しきれなかったからだ。

好きな人、好きな奴。こういう類の話になるときはいつも彼女の顔が頭に浮かんでしまう。オレが彼女を好きになるなんてあるはずがないのに。ましてや一度も話したこともない奴を好きになるなんてありえない。それでも何故か『好きな人』というフレーズを聞くと柳井ナツミを思い出してしまった。
そういえば昨日はどうしてオレを待っていなかったのだろう。心に引っ掛かっていたものが再び浮かび上がり気持ちが沈んだ。気を紛らわそうとアスパラベーコンをまた一口食べる。やはり父さんの作る料理は美味しい。父さんの言う通り、店を出せば繁盛するに違いない。父さんが店を切り盛りする姿を想像して、彼女の顔を無理やりに掻き消した。



よく考えれば今日は朝から悲惨な一日だった。父さんには変な質問をされるし、寝癖は夕方になっても直らなかった。しかもそのせいで友達にからかわれた。そして一番最悪だったのは楽しみにしていたアスパラベーコンをオビトに食べられたこと。あれは本当に腹が立った。
だから腹いせに「うまいなこれ」と口を動かすオビトに「これ一つ千円だから後でお金ちょうだいね」と言ってやった。間に受けたオビトは顔を青ざめると「悪いな」と謝って一目散に逃げて行った。謝られても鬱憤が晴れることはなかった。いや、オビトへの怒りはもうどうでも良くなっていたのだが、怒りの矛先は別の物へと移っていた。
それは彼女に対しての怒り。どうして昨日は待っていなかったのだろう。どうして昨日は黒い瞳にオレを映さなかったのだろう。時間が経過する内に疑問が怒りへと変化してゆく。
ーーオレを好きな癖に、どうして。
怒りながら辿り着いた答えはついに理不尽なところまで来ていた。だが、改めて冷静に考えてもそれ以外思いつかなかった。だって彼女はオレをいつでも目で追っていたし、何しろオレの帰りをいつも待っていた。勘違いでも自意識過剰でもない。彼女はオレを好きなんだと、思う。

はぁ、重い気持ちを溜め息に乗せて吐き出す。それでも落ち着くことはなかった。もうすぐあの時間がやってくるから。ついに放課後のチャイムが校内に鳴り響いた。担任が「さようなら」そう告げてから教室を出てゆく。どっと騒がしくなる教室。逸る鼓動を落ち着かせながら鞄を手に持ち、昇降口へ向かう。彼女はいるだろうか。無意識に足早になってしまう。昇降口に着き、恐る恐るあの場所に目を向けた。埃っぽい風が吹き抜けた瞬間、どくんと心臓が波打つ。

いつもの片隅には、彼女が立っていた。

君の恋は分かりにくい


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