中学時代、オレには誰にも言えない秘密があった。それは彼女が好きだったこと。大人になった今でも誰にも言えていないそれは、ずっと胸の奥で燻っていた。いつか彼女に会えたら想いを伝えよう。そして渡せなかった手紙を彼女に渡そう。ずっと、そう思ってた。





「遅い」

暑さから来る苛立ちから、つい独り言が漏れた。今から取引先へ行かなくてはいけないのにテンゾウの奴、一体いつまで待たせるつもりだ。
スマホの画面に浮かび上がった文字は後輩、テンゾウからの「少し遅れます」のメッセージ。あとどのくらいで着くのかとすかさず画面をタップして送信したが、テンゾウからの返信は来るどころか既読さえつかなかった。

なにしてんのよ、まったく。

何度目か分からない深い溜め息を吐き、頭上から強い日差しを放つ太陽を睨みつける。ジワリと掻いた背中の汗がシャツに張り付いてとても不愉快だ。そういえば、この感覚、なんとなく覚えがあるなぁ。
鬱陶しい暑さ。不愉快な汗。ああ、そうだ。この感じ、中一の夏に開かれた午後の校内集会にとても似ている。オレが初めて柳井ナツミを知った日だ。
中学の頃、オレはずっと彼女のことが好きだった。けどその気持ちはどうしても伝えられずにいた。それは自分がまだ未熟だったから。
もしも大人になった今、柳井ナツミに会うことが出来たなら、胸に抱えた秘密を彼女に打ち明けたい。

思い切り息を吸い込むと、むっとした湿った空気が肺に溜まった。腕時計を確認すれば約束の時間から15分経とうとしている。テンゾウはまだ来ないのか。ここまできたら自分一人で行くしかない。待つことを諦め、顔を上げた瞬間、少し離れた場所にいるスーツ姿の女性と目が合った。

女性が手に持っているのは大きめのバインダーと化粧品サンプル。恐らく街頭アンケートを目的とした人間だろう。捕まったら面倒だなと思いながらオレは彼女を見つめた。

いや、ちょっと待て、

黒目がちの瞳と、見覚えのある面影。先程まで頭に浮かべていた彼女が、そこにいた。まさかこんなところにいるわけがない。否定するが、見れば見るほど彼女は柳井ナツミにそっくりだった。何故、どうしてと一瞬にして疑問が頭の中で駆け巡る。彼女が一歩、こちらへ足を踏み出した。彼女が近付いてくる。オレは咄嗟に下を向き、俯いた。

「あの、アンケートをお願いしたいのですが…」

弱々しく発せられた声はやはり聞き覚えのある声だった。落ち着いた声に柔らかい口調。間違いない。彼女は柳井ナツミだ。急に現れた彼女を受け入れられず、どう応えればいいか悩んでいると、ポケットに入れてあるスマホの振動が伝わった。恐らくテンゾウがもうすぐ到着するとメッセージを送ったのだろう。

「…ちょっとオレ、あまり時間ないんだよね。あと少しで待ってる人も来るだろうし」

目を合わせず下を向く彼女に言葉を投げれば、彼女の頭はますます深く垂れた。少し冷たく言い過ぎただろうか。もしかしたら彼女は本当にアンケートを目的にオレに話し掛けただけかもしれない。あれから長い月日が経っているんだ。彼女だってオレを忘れているだろう。

「けどまあ、少しだけなら答えてあげてもいいよ。貸して、それ」

この暑いなか仕事とはいえど街頭調査をしている彼女を不憫に思ったオレは、テンゾウを待つ少しの間だけアンケートに答えることにした。
彼女は「え」と驚いた声を上げると、ようやくオレの顔を見た。揺れる瞳の色彩は焦げ茶色。長い睫毛と薄桃色で染められた唇。中学の頃よりも綺麗になった彼女は大人の女性になっていた。柳井ナツミはオレの知らないところで歳を重ねて、もしかしたら別の男と付き合っているのかもしれない。口付けも、それ以上も別の男と。そんな稚拙な考えが脳裏をよぎり、慌てて邪念を頭から振り払おうと彼女からバインダーを奪った。

「んーオレには関係のないことかな」

正直言って、アンケート内容など、頭に入って来なかった。ただ文字を目でなぞって、チェックを入れてゆく。最後の項目を記入し終えたあと、オレはふと彼女との繋がりを持ちたくなった。
それは多分、中学の頃に経験した苦い思い出を浄化させたかったから。そしてもう二度と後悔したくないから。気付けば紙の左端に自分の電話番号を書いていた。顔を上げると、何も知らない彼女とオレの視線が絡まる。鮮明にあの頃の記憶が蘇り、切なくなった。オレは記憶の蓋をするようにして静かに瞼を伏せた。

「はいどーぞ」

記入し終えたアンケート用紙を渡すと彼女は確認もせず、お礼の品を渡してオレの元から去ろうとした。

「待って」

咄嗟に彼女の背中を引き止めた。オレの声に反応した彼女はピタリと足を止める。

「柳井さん、だよね?」

彼女は振り向かない。焦燥に駆られて背筋に冷たい汗が流れる。

「もしかして違ったかな?似てた気がしたんだけど。…同じ中学の柳井さんに」

試すような言い方でもう一度、彼女を見た。どうか振り向いて肯定して欲しい。願いを込めながら、彼女の背中を見つめた。その背中の小ささは昔と変わらないままだった。

「…覚えてるよ。はたけくんだよね」

彼女はゆっくり振り返ると、困ったように微笑んだ。自信なさげな性格は昔と変わらないようだ。少しだけ安心すると、自然に笑みが溢れた。

「…良かった。まさかとは思ったけど本当に柳井さんだなんてね。驚いたよ」

覚えていてくれたことが嬉しくてつい饒舌になってしまう。彼女の澄んだ瞳はあの頃と変わらないままで、必要のないことまで話してしまいそうで怖かった。けど、こうしてせっかく何年ぶりかに巡り会えたのだから、ずっと胸の奥へ閉じ込めていた秘密を彼女に打ち明けたくて仕方なかった。

「…オレね、ずっと柳井さんに秘密にしてたことがあるの」

気付けば自然に気持ちが言葉へと変わっていた。彼女は驚いてオレの顔を見上げる。そういえば柳井さんってこんなに小さかったっけ。いや、オレの背が伸びたのか。時の流れに驚きつつも、オレは彼女の瞳から逃げずに言葉を続けた。

「けどね、今はまだ言えない。心の準備がまだ整っていなくてさ、ごめんね」

ここまで言ったのならあとは「君が好きだった」と告白するだけ。それだけのはずなのに言えなかった。彼女は首を小さく横に振る。彼女の優しさを見て、さらに苦しくなった。

「だから、秘密を知りたかったらあとで電話して」

大人になった今でもオレは逃げるのが得意なようだ。こうなることを見据えて電話番号を教えた自分に呆れて笑えた。居た堪れない気持ちでいると、「遅れてすみません」と、テンゾウの慌てた声が背後から聞こえた。丁度良いタイミングにホッとして、安堵の息を吐く。

「じゃあまたね」

手を振り、背中を向けると最後に見た彼女の顔はとても驚いた表情だった。柳井さんは電話番号を見てどう思っただろうか。迷惑だと思ったかな。オレを軽薄な男だと思ったかな。それとも、

「先輩、どうしたんですか?その顔」
「なにが」
「笑ってますよ」

彼女もオレと同じ気持ちだったらいいのに。

浮かれて泥濘


prevnext




×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -