「オレ、チフユが好き」

想いを伝えたのならば、あとは彼女の返事を待つだけ。それだけのはずなのに、この時間がやけに長く、苦しく感じた。

オレの胸元にいるチフユは驚いたように目を丸く見開いている。その表情だけではチフユの気持ちを読み解くことができない。オレの気持ちを知ったチフユは嫌がるだろうか。困るだろうか。それともーー
僅かばかりの期待を込めてじっと彼女の顔を見るとチフユは合わさっていた視線を逸らした。その顔は曇った面持ちで、やっぱり嫌だったかと落胆する。
チフユがオレのことを好きだと言ってくれたのは随分と前のことだ。もしかしたらその間に心変わりをしてしまったのかもしれない。さらに言えば、オレはチフユにひどい態度を取ってしまった。だからどんな結果になろうとも、受け入れる術しかなかった。

「…でも、カカシには彼女がいるじゃない」

ポツリと白い息と共にチフユの唇から落ちた言葉は予想つかないものだった。オレを見つめるチフユの表情は依然として暗く、俯いたまま。
ーー彼女、ねぇ。病室で告白された時にもチフユの口から出た「彼女」という単語を頭で呟きながら思考を巡らせる。
オレとチフユの共通する異性といえば紅。しかし紅とアスマは恋仲だ。もちろんチフユはそれを知っている。そもそも紅とは年は違えど、腐れ縁の幼なじみみたいなものだ。男勝りの性格もあるせいか異性として意識したことはない。
だとしたらチフユが口にする「彼女」とは一体ーー?出来るだけ思いつく限りの記憶を辿っていると、ふとくノ一がオレの部屋に訪れたことを思い出した。そういえば彼女に風呂を貸したあの日、来客が訪れた。対応した彼女は新聞屋だと言っていたが、なんとなく様子が変だった。
もしあの時にチフユが部屋に訪れていたとしたら?別れを告げた腹いせに彼女が嘘を吐いたとしたら?くノ一は気が強い女だ、十分にありうる。

「もしかして…」

オレの独り言を聞き漏らさずにいたチフユが「え?」と、疑問を持った顔で訊ねる。

「チフユ、前から思っていたけど、何か勘違いしてない?オレの部屋にいたのは彼女じゃないよ」
「嘘。だってあの彼女、髪が濡れていたよ?」

間髪入れず、はっきりした声で返すチフユは意外と疑い深い。
…もしかして、チフユは妬いているのだろうか、こんなオレに。
チフユの思い悩んだ顔を見て、胸に湧き上がるのはチフユがオレにやきもちを妬いている優越感と、チフユの気持ちを知れた深い安堵。少なからず、チフユの中にはまだオレがいる。僅かばかりの希望の光が差して、ほっとしたオレは躊躇うことなく声を上げて笑った。
チフユは眉間に皺を寄せて、オレを睨みつける。鋭い目を向けるチフユの表情は明らかに怒気が入り混じっていた。これ以上笑い続けるとさすがにマズい。察したオレは、慌てて「違うよ」と否定の言葉を述べた。

「あれは任務中に汚れたから風呂を貸したの。彼女、自宅の風呂が壊れているからって言うから」

これは事実だ。風呂が壊れて困っているとしつこくせがむ彼女に痺れを切らしたオレは風呂を貸した。だが本当は、部屋に上がらせた理由はそれだけではなかった。
『身体だけの関係を終わらせよう』彼女にそう告げるため、オレは部屋に入れた。理由はどうあれチフユに勘違いをさせてしまった事実は変わらない。
チフユは「本当?」と窮した顔でオレに訊ねる。オレは強く頷くと「本当」とはっきり答えた。

「…じゃあ、なんで病院で告白したときに断ったの?」

それでもチフユはなかなかオレを信じてくれない。それもそのはずだ。今までちゃんと口に出して自分のホントの気持ちを伝えていなかったのだから。
オレは固く目を閉じるとチフユから好きだと言われたあの日を思い出した。
あの日、ようやく互いの気持ちが通じ合えた気がしたオレはとても嬉しかった。しかし、浮かれた心は直ぐにふっと影が差す。オレはもう二度と、大切だと思う者を失いたくなかった。そして同時に、苛虐で非道な行為をしてきた自分をチフユには知られて欲しくなかった。結局は利己心で自分本位の塊だ、オレは。チフユがどんな思いで、どれだけの勇気を出してオレに告白したのか何一つ気持ちを考えようとしなかった。オレはずっとチフユから背けて、見て見ぬフリをしてきたんだ。

でも、今度はお前を離したくない。

オレから離れようとするチフユの体をこれでもかというくらい、強く抱き締めた。チフユは押さえつけられて余程苦しいのかオレの腕の中で争い、抵抗する。それでもこの小さな体を手放したくなかった。
どこにも行って欲しくない。離してやるもんか。オレの目の届くところにずっといてよ。

「ちょっと、カカシ。いい加減にして「チフユを失うのが怖かったんだ」

大切だと気付くと、みんな消えてしまうんだ。

オレの頭に浮かぶのは失った人達の顔。その顔は笑っている顔ではなく皆、悲しんだ顔だった。オレにはもうあの人達がどんな風に、どんな笑い声を上げて笑っていたのか、それすらも思い出せなかった。
そして気が付けば、いつの間にか自分自身も笑うことを忘れ、上っ面だけの笑みを貼り付けるようになった。それがどんなに寂しいこと、悲しいことだなんて、そんな気持ち、とうの昔に捨て去った。そうやって一人で生きることが、自分にとって楽な道だった。

ーーそう思っていたはずだったのに。

チフユと出会ってから、自分の生き方に違和感を覚えるようになっていた。
隣室から微かに聞こえる生活音。寒空の下で交わした会話と吐く息の白さ。春の日差しのような彼女の柔い声。ずっと一人きりで生きてきたはずだったのに、お前に出会ってからは一人でいることが怖くなってしまったんだ。今ではチフユとの日常、一つでも欠けてしまうのが恐ろしくて堪らない。

「だから、チフユはいなくならないで」

きっと、チフユの目にはひどく情けない男が映っているだろう。余裕なんてもうない。ただ、自分との約束を交わして欲しかった。
合わさっているチフユの瞳は出会った頃と変わらない、ひとつの濁りもない澄み切った色だ。吸い込まれそうになるが、このままチフユと一つになれるのならそれも良いかもしれない。そんなくだらない思想を頭の中で並べた。
背中に回されたチフユの腕の力がより一層、強くなった。それは、チフユがオレを受け入れてくれた証拠だった。
チフユは硬い表情を浮かべながら何も言わず、スッとオレの口布を下げた。震える冷たい指先が、晒された頬に当たって擽ったく感じる。
チフユは真っ直ぐオレを見つめると結んでいた唇を静かに開いた。チフユの吐く吐息が一瞬にして夜気に混じり合いながら消えてゆく。

「私はここにいるよ。これから先もずっとカカシのそばにいるって約束する」

静かに、だけどはっきりと強く言い放った言葉は初めて交わしたチフユとの「約束」だった。チフユの瞳に灯る暖色の光と同様、オレの胸にも温かみのある色を差す。それはもう自分は一人ではないのだと、チフユが言ってくれているような気がした。
チフユはそっと、触れるようなキスを唇に落とした。柔らかなその感触は以前、自分が彼女に口づけをした日を思い出した。あの時は衝動に駆られ一方的な気持ちだったが、今は違う。チフユからの口づけに、ようやく気持ちが一つになれた気がした。

「私、カカシが好き」

そう言って、微笑むチフユの背後にはチカチカと星屑が輝いて見える。それはベランダで見たいつかの夜空のようで、懐かしく思えた。

「オレも」

乾いた冷気が鼻を通り喉の奥がジン、と痛む。一人でいる寂しさを寒さで突きつけられるこの季節はやはり苦手だ。けど、チフユが側にいてくれるのなら、この季節も悪くないのかもしれない。

「…寒いね。部屋に上がる?」

寒いねだなんて、ただの口実だった。ホントはチフユともっと一緒にいたい。チフユの気持ちをもっと深く知りたい。そう思ったから彼女の手を取った。微かに震えるこの手は寒いのか、それともオレが怖いのか。不安を感じたが、チフユが小さく頷いたので安堵した。


手を引き、部屋に招き入れるとチフユは「お邪魔します」と頭を下げて靴を抜ぐ。自室に彼女がいるのはなんていうか、違和感を感じる。ホントはリビングに通して温かい茶でも出した方がいいのだろう。そう思うのだが、今のオレには余裕など残っていない。早くチフユとの気持ちを確かめ合いたかった。

寝室に入ると薄いカーテンを透かして差し込む月明かりがぼんやりと部屋を照らしていた。柔い光を頼りにしながらチフユをベッドに横たわらせると、繋いでいたチフユの手を静かに離した。
一つに束ねられているチフユの髪を解くと、音もなくシーツの上に散らばった。微かに香るのはもう二度と嗅ぐことはできないと思っていたチフユの匂い。理性を保ちつつ、チフユのシャツに手を掛けると、ひとつずつ丁寧にボタンを外していった。
徐々にチフユの白い肌、首筋、鎖骨が露わになる。その白い首筋に唇を這わそうと屈んだ時、チフユと目が合った。
月影が映り込むチフユの瞳は少しだけ潤んでいる。泣いているのか?しばらく見つめ合っていたが、チフユは瞼を閉じるとオレから顔を背けた。その様子に不安が押し寄せる。
もしかして、チフユはオレを怖がっているだろうか。チフユの気持ちを汲もうともせず、一方的にここへ誘導して、抵抗しない彼女をいいことに、オレはいま服を剥いで彼女の皮膚に印を施そうとしている。これではまるで、あの男みたいではないか。

「オレもあいつと同じ事してるかな。…嫌じゃない?」

唇から零れた声はひどく情けないものだった。チフユはゆっくり瞼を開くと疑問を持った顔でオレを見た。「ここ」と、声には出さず、チフユの首筋を人差し指で当てればチフユは理解したのか、はっとした顔を浮かべた。

「…そんなことない」

首を横に振り、否定する割には涙を浮かべていて。未だ躊躇うオレにチフユはそっと頬に手を添えた。チフユの体温はオレよりも低い。

「だから、して」

月光に照らされ、ねだるチフユの顔付きは今まで見たことのない妖艶な姿に見えて、欲心を抑えることが出来なかったオレはチフユの薄い皮膚に吸いつく。ちゅ、とリップ音を鳴らして唇を離すと、白い肌の表面には赤色が散らばっていた。
キスマークをつけた後ろめたさ、背徳感と同時に独占欲が満たされる感覚に陥る。なんとなく彼女の体あちこちに赤い跡をつけたがるあの男の気持ちが理解できた気がした。
チフユは今、どんな顔をしているのだろうか。心配になり、視線を落としてチフユの顔を覗くと、はっと息を呑んだ。
眉をひそませながらオレを見つめるチフユは大粒の涙を流していて、表情はどことなく悲しげだった。

「やっぱり嫌だった?」

そう問い掛けるとチフユは首を横に振り、手で顔を覆った。

「違うの。嬉しくて涙が出てくるの…大の大人が恥ずかしいよね」

無理矢理に明るい口調で話すチフユが愛おしく思えて、もう彼女を二度と泣かせたくない、そう強く思った。
顔を覆っている手を払い除けると、驚いた表情をするチフユが見えた。止めどなく溢れる涙に唇で拭うと塩辛い味が口内に広がる。
瞼、鼻先、頬。滑るように自身の唇で触れると、最後にチフユの唇へ落とした。視界の隅に映ったのはぎゅっと強くシーツの布を握り締めるチフユの手。
『大丈夫』言葉を口にしない代わりにチフユの手を出来るだけ優しく解くと、自分の手を重ね合わせて指を絡めた。
チフユを見れば先ほど拭ったばかりなのにまた目から涙が溢れ出ている。その泣き顔を見て、ツンと鼻の奥が痛く、目の縁からは涙が滲み出た。
きっとこれはそう、貰い泣きだ。
チフユは嬉しくて涙が出ると言っていたが、オレもそうだ。チフユと気持ちが通じ合えたことが堪らなく嬉しかった。

「チフユ」

名を呼んだと同時に、重力に負けた涙がチフユの頬に落ちた。オレの涙に気付いたチフユは閉じていた瞼を開く。
また一つ、涙が零れ落ちると今度はチフユの涙と混じり合いながら溶けた。

「オレ、チフユが大切過ぎて怖い」

感情のままに吐き出せば、チフユの濡れた瞳が微かに震えた。きっと今、チフユはオレと同じことを考えている。大切だと、気付いてしまった先にあるものが怖い。一人で生きることに慣れてしまったオレ達は、人を愛する方法を知らない。見えないものを手探りで確かめるのは、とてつもなく不安で恐ろしい。

「幸せになれるよね、私達」

チフユの唇から弱々しく訊ねられるその質問に胸が痛くなった。絶対に幸せになれるよ。そう言えたらどんなに良いだろうか。
絶対なんて言える確証はないし、何しろ自信がない。では一体、自分は何をしたいのか。何を思いながらチフユと一緒に生きたいのか。考えても思い付くのはやはり、これしかなかった。


「幸せなりたい、一緒に」


そう、一緒に。チフユと手を繋ぎ、幸せを共に迎え入れれば何も恐れるものはない。オレは、チフユと二人で堂々と眩く光る明日を迎えてみたい。

「うん、そうだね」

チフユは強く頷くとまた一つ、涙を落とした。思えば、チフユはいつも泣くのを我慢していた。ベランダで朝焼けを見た日もそう。ホントは涙を流したいはずなのにチフユは背を向けて泣き顔を見せなかった。だからこれからは、チフユの悲しみにそっと寄り添ってあげたい。隠さない涙を拭ってやりたい。

「一緒に幸せになろう」

チフユの声はもう、躊躇いや迷いなどなかった。一緒に。その言葉を心の中で唱えて呑み込むと、行き詰まった感情が浄化するように思えた。
オレは強く頷きチフユの双眸をしっかりと捉える。チフユは今度こそ逸らさずしっかり見つめ返した。それは、二人の気持ちが一つになった合図だった。
どちらともなく顔を近付けるとチフユの甘い吐息が唇に触れた。高鳴る気持ちを抑えられず、チフユの唇を重ね合わせると柔い唇の感触が伝わった。角度を変えたり、確かめ合うキスをしばらくしていたが、それだけでは物足りなく思い、自身の舌をチフユの口内に割り入れた。チフユの口内はとても熱く、甘い味がした。だがこの味は嫌いではない。むしろ、もっと欲しくなった。
ようやく離した唇はどちらの唾液かも分からないほど濡れていて、拭うことさえ忘れるほど高揚した気持ちになっていた。
目の前にいるチフユはよほど苦しかったのか、途切れ途切れに肩で呼吸を繰り返している。申し訳ないなと思いながらも滅多に見られないチフユの火照った、色香を漂わせる顔を眺めた。
恥じらいながらオレを見つめるチフユの目は泣いたこともあってか、潤んでいる。薄い唇から漏れる息はやはり甘い。チフユを感じれば感じるほど、オレの中でチフユへの愛が深まってゆく。その目も、体も、髪も、チフユの全てを愛したいーー

「好きだよ、チフユ」

堪らず言葉を吐き出せばチフユは「私も」と笑い返した。オレはその笑みを見て、忘れていた大切な記憶を思い出した。

父さん、オビト、リン、先生、失った大切な人々の笑顔。それは皆、チフユと同じ、柔く穏やかな風が吹くように笑っていたんだ。
記憶が鮮明に蘇ったオレはたちまち嬉しくなり、頬を緩ませた。そう、今まさにオレは心の底から笑えた気がした。

ありがとう。チフユ。

伝え切れない感謝の気持ちを込めてチフユにまた一つ、キスを落とすと瞼を開けたチフユと必然的に目が合わさった。オレは肌蹴た白いシャツの中に手を入れて、下着の留め具に触れる。

「…いい?」

チフユの顔を確認すればチフユは微かに頷き「うん」と答えた。身動ぐチフユを怖がらせないようオレは手を握り、指を絡める。するとチフユもぎゅっとオレの手を握り返した。その手の温もりを感じながらオレは、チフユを二度と離さない、一緒に生きてゆく、そう胸に誓った。

「チフユ、ありがとう、ね」

オレ達の思い描く幸せは、一体どんなものなのか分からない。平穏な日々なんてそう長く続くわけないだろうし、これから先、悲しみに嘆き、途方に暮れる日だってあるだろう。けど、どんな苦しみに足掻きもがいてもチフユと共に足並み揃えて幸せな道を歩きたい。
そして、チフユと幸せな形を作り上げて生きてゆきたい。浅はかで軽忽な望みだけど、そう願ってしまうのは罪だろうか。
だけど、今だけは全て忘れさせて。今だけは幸せを感じさせて。

チフユの首筋から放つ、甘ったるい香りに包まれ、そんな願いを唱えながら目を閉じた。


永きに渡る幸福を





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