きみの、いき 終 * * * 「んんっ……あ、はぁ」 「……かたすぎ。もっと力抜けよ」 「だっ、て」 伊織に触られるところ全てが過敏に反応してどうしようもなくなる。 でも最後までは、しない。 気持ちを伝えあってからも、伊織が俺の中に入ることはない。 言葉にはないけど、俺が答えを出すのを待っているんじゃないかとは思う。 それでもまだ、もう少しだけ、と。 踏みとどまってしまうのは、ただのエゴか。 伊織に本音をぶつけてから一カ月が経過した。 先走りすぎだったクリスマスモードも堂に入り、イブは眼前。それでも鳴らない携帯に溜息を吐いた。 「直樹さん、俺明後日は…」 「仕事いれてないぞ」 言う前にカレンダーを見せられてそうだよねとまた息を吐く。 あの日俺が下した決断に、直樹さんはただ「あいつを見つけたんだな」と言った。 実際のところ、嘘を見破ったのは確かだけど、伊織を見つけたとはまだ思ってない。 付き合いだして余計に分からなくなるばかりだけど、それでも感じる情念には見新しさを覚えた。 クリスマスに、恋人同士は当然一緒にいるものだろうと思っているのは俺だけなのか。 いや、直樹さんも仕事開けてくれているということは俺だけではないはずだ。 だけど伊織から連絡は来ない。 「……仕事、かな」 伊織の仕事はクリスマスだから、と融通がきくものではない。 それとも、イベントごとに執着しているのは俺だけなんだろうか。そうだとすると非常に恥ずかしい。 イブ当日に伊織の教室に行ってみたけど、彼の姿はなく、ただ空席があるだけだった。 やっぱり仕事か。 それでも連絡くらいはしてくれてもいいんじゃないのか。 ……こんな小さなことで不安に思うなんて、馬鹿みたいだ。 でも、付き合ってからも付き合う前とやっていることはほぼ変わらない。 そもそも慰めのときの方が触れ合っていた頻度も高かった気がする。 順序を間違ったのだとつくづく思い知らされた。 そんな日々をぼんやり過ごしていたら一カ月が過ぎてたなんて、笑い話だ。俺は何も前進していない。 男子校となるとさすがにいろんなタイプに分類される。 彼女とデートでどこか気分の高揚しているグループに、反対に落ち込むグループ。 いないけれど落胆を表には出さないグループとか。 慰み会は毎年催されているけど、当然俺が出席したことはない。 「唯ちゃーん、今年は誰と過ごすのっ?」 「テンション高い。誰とも過ごさないよ」 「あ、やっぱ会には参加しないかー。一回くらいは付き合えよー」 益岡は彼女がいるくせにそんなこと言って顰蹙をかっている。こんなところが多いくせに人望が厚いのは結構に謎だ。 内心、誰とも過ごさないと言っている自分に苛々していた。いっそ恋人と過ごすと堂々に言えたらいいのだけど。 そんなことしたらもちろん深く追求されるに決まっているし、実際過ごす予定なんてどこにもない。 「あっそれから唯、耳より情報があるんだけど」 「ごめん、今日はもう帰る」 果ては結局まっすぐ寮に帰るだけなんだ。放課後の掃除に使っていた箒を益岡に押しつけて昇降口をくぐった。 あえて雑踏のある街中の道を選んで独り歩いていると、制服を来た女子高生二人組が甲高い声を出していた。 「ねえ、あれ見た?」 「あれって?」 「LOOKだよ。今月号、伊織の特集なんだって」 「え、本当?! 発売日今日だったよね。買いに行かなきゃ」 心臓が締め付けられたような気がして思わず足を止めた。 ……伊織の特集……。 気にならないわけがない。 益岡が言っていた耳より情報はもしかして、これか。でも特集というだけで耳より情報とまではいかないだろう。 テレビも新聞も、とにかく情報ルートが少ない俺は毎月伊織が載っているLOOKが今日発売ということも知らなかった。 「今日のエンタメでやってたんだよ。“笑わないモデル”の──初公開笑顔! 絶対見なきゃ!」 女子高生二人組のその最後の言葉をかろうじて後ろに聞いた。 最寄りのコンビニに走って、陳列棚を必死で探すけど目当ての雑誌はない。売り切れ、だ。もう一軒回ったけど、そこにもなかった。仕方ないから寮から少し離れた大型の書店に訪れたところで、ようやく伊織と対面した。特集、ロングインタビュー。煽りの文字に鼓動が鳴る。 表紙の伊織はいつもの伊織だった。こちらを真っすぐ見つめる真剣な顔。 早く、その先を開きたい。 焦燥している自分がみっともないなんて思う余裕もなかった。レジを通して、急いで寮室にひた走る。 放り投げた鞄もそのままに、ベッドの上へ座って目の前に購入したばかりの雑誌を置いた。伊織と目があう。 一頁目の伊織は、胸がしめつけられる表情をしていた。 窓の外の暗い風景を暗い室内から眺めるその流し目。諦めきった表情なのに、どこか激情が滲んでいる。紙面上のものとは思えない光景がそこにはあった。 これは……失恋したときのような、表情だ。 いや、ようではない。失恋した表情そのもの。 誰が見ても感じる切なさにいきが苦しくなる。橋本伊織が注目を浴びる全てが凝縮されていた。 その頁にしばし射抜かれて、それから次のページをめくる指は少し震えていた。見開きで伊織の顔アップ写真。表紙にあったような真剣なまなざし。これもドキリとさせるものだった。この号に載っている伊織は、前に見た橋本伊織とは違う。スタジオの空気感を完全に二次元の中へ再現していた。 インタビューは、次のページからはじまっていた。 『今まで謎のベールに包まれていた橋本伊織の笑顔がついに公開。おまけに初めてのインタビューに応じていただけました』 『Q:今回、笑顔を初公開ということですが、今まで笑顔を見せなかったのは何故ですか?』 『A:今まで上手いこと隠してきたんですけど、実は笑顔は今まで何度か撮影してきました。でもそれは公開できませんでした。あまりにぎこちなくて、未熟すぎる表情だったからです。だから見せなかったというよりは見せられなかった、不可能だったんです』 『Q:そうなんですか! てっきり事務所がわざとNG出しているのかと思っていました』 『A:NG出されていたことに違いはないですけどね』 『Q:では、今は笑顔が出せる、ということですね』 『A:はい。昨日撮影しましたが、大丈夫だったと思います。未だに自分の笑顔というのがよく分からないので、俺自身は見ていないんですけど』 『Q:ええっ!? まだご自分で確認なさってないんですか?』 『A:見るのが少し恥ずかしい、というのもあるので。拒否しました。普通ありえないらしいのですけど。でも周囲がOK出したので、本人の俺がチェックしなくてもいいかな、と』 『Q:珍しいですね…。そんなところがまた魅力なのかもしれません。では、何故今まで笑えなかったのに笑えたのですか?』 『A:ある人の存在があります。簡単に言えば、恋人ですね』 『Q:こ、これは爆弾発言ではないでしょうか。いいのですか!?』 『A:隠すつもりは毛頭ないです』 『Q:さすが、男前ですね! ではその恋人のお陰で笑えた、と?』 『A:まあ、そうですね。カメラのことは特に考えず、その人のことだけ考えていたらOKが出てました』 『Q:言葉を聞いているこちらが恥ずかしくなってきますが……恋人さんはこのインタビューもきっと読みますよね?』 『A:どうですかね。あまり仕事についてはお互いに踏み入っていないので。五分五分かな。100%だったらこんなこと答えてないです』 『Q:見られて困りますか(笑)』 『A:複雑ですね』 『Q:確かクリスマス発売だったと思いますが、一緒にいれば見られなくて済むんじゃないでしょうか』 『A:でも、会いに行ったとき既に見られていたら最悪ですね』 『Q:そうですね!そんな伊織さんを想像するのも面白いです。話がそれました。どんどん活躍の場が広がっている伊織さんですが、俳優業としての活動もウワサされています』 『A:笑顔が見せられないということでキャンセルしてきた仕事が一杯あります。今までそうしていた分だけ、来る仕事はなるべく多くこなしていければと思います』 『今後ますます注目される橋本伊織さん、謎に包まれたその断片を少しだけ明かそうと思ったらいきなり爆弾発言が出ました(笑)インタビューの続きは後半に』 また一枚捲ると、一枚目とはうってかわって。 橋本伊織の──伊織の笑顔が、視界前面に広がる。 →# [ 64/70 ] 小説top |