低く遮ると相手の肩が一度怯えるように跳ねた。 ばか。 最後の最後で、俺なんかを選ぶなんて。 騙したのに。 騙しきれなかった。 「……お前には、もう俺なんて必要ねえよ」 また悲痛な顔して必死で首を横に振る。 「そんな、こと…」 「───でも、俺にはお前が必要だ」 この表情も涙も、全部俺を想って。 唯が何か言う前に、その身体を強く抱きしめた。 駄目だ。もう手放せない。また振り払うなんて真似する気力なんてない。 「必要なんだ。お前が……お前がいないと、俺は」 笑うことさえ、叶わない。 唯の言葉が夢でもいい。でもこれだけはダメだ。俺だけのものだ。 「…俺を、好きになれ……」 今まで決して返事のなかった気持ちの吐露に、今度はそれが返る。笑いを帯びた、艶やかな声で。 「……ふ、馬鹿だなあ」 馬鹿に、馬鹿と言われた。 「もう、なってる。とっくに。……だから、伊織も」 頭の両側面を手で包まれる。俺も同じように唯の肩の上に手を置いた。 追っていたのは、俺の方だったのに。 こいつは俺を好きだと言う。俺が傍にいてほしいという。俺に好きになってほしいという。 「……後悔しないか? 苦しくならないか?」 「……苦しくなったら、伊織が、いき、くれるんだろ」 「…そうだな」 それは。 多分、究極の愛なんじゃないか。 「…………ん」 もっと欲しくなってしまうから、触れるだけのキスをした。表面に一瞬ぶつかるだけなのに、それまでのどんな口付けよりも甘く、熱い。 俺はこいつを捕え、こいつに捕えられた。 * * * * 「……伊織、直樹さんに俺を慰めるよう頼まれたのって」 冷えた身体を温めるために入らせた風呂からあがって来た唯が、髪の毛から滴り落ちる水滴を床に散らした。タオルで束を掬いあげる。 「嘘だよ。もう分かってるんだろ」 冷静に考えれば親父を毛嫌いしている俺がそんなこと頼まれるはずがない。 あのときの自分がどれだけ余裕がなかったかが窺える。 「そう。うん、分かってたけど、確認したかったから。あと、……伊織の給料、俺の方に回ってきてるって」 「!? ……くそ、あいつ…言うなって言ったのに」 拗ねた顔は予想した通りだった。 「何でそんなことしてんの。俺に何も言わずに……」 「お前、誰かに頼るの苦手だし、誰かに力を借りるのも嫌いだろ」 「分かってんなら、どうして」 「俺がそうしたかったんだよ。それ以上の理由があるか」 机の前のイスに腰掛けた唯をこちらへ来いと促した。吊り上げていた唇が元通りになる。 「……ごめん。怒りたいわけじゃないんだ」 隣に座った唯の腰に腕をかけて引き寄せた。胸に埋められた場所から吐き出されたいきの熱を感じる。 →# [ 62/70 ] 小説top |