きみの、いき  X




 * * *

 私情を仕事に持ち込むのはいけない。最悪だ。
 ……分かってはいても俺は完璧人間じゃねえし多分自分で思うほど大人でない。気持ちのコントロールも出来ないのだから。

 笑おう、笑おう。
 呪文のように駆け巡る意識。意識すればするほどその表情は奥深くに入り込み、決して出て来はしない。

「どうしたの、表情固いよ。もっと自然に」

 特に今日は何度も注意を出される。もう何回目のそれだと自分に言い聞かせる。
 もっと自然に、とは言われるが自然にしたらどんな表情を出すか分かったものじゃない。

「ちょっと待って。伊織、来て」

 姿勢のとりかた、呼吸の仕方、とにかく一から全て教えられてきた指導者に撮影途中で呼びとめられた。トレーナーも出来ながら現場指揮もしている俺にとってはとんでもない人物だ。

「表情、作ろうとしているでしょ」
「…いけないですか」
「今日はもう諦めなさい。コンプセントも変更しましょう」
「え?」

 突然の言葉に周りのスタッフも少しざわめいた。

「そんなことして……いけないんじゃ」
「元より明るい題材じゃないから大丈夫。似たようなものだわ。意識を変えるだけ。伊織、……もう届かない、誰かを想う気持ちで窓の外を見つめなさい」
「!? それは……自然に、ですか」
「もちろん。自然のあなたで」

 
 少し戸惑ったが、なるほどそれなら今の「自然」にマッチしていた。

「セットはそのままだし、出来るわね」
「…はい」

 その言葉を機に再度撮影に戻る。
 もう届かない、誰か。
 一人しかいない。ただ一人、唯一の人間。もう兄貴の元へ行ってしまったあいつ。俺が突き放したあいつ。


 昨日、学校で見た。昼休みのことだ。相手は気付いていなかったから、俺はあいつを見た。あいつが気付いているときはあいつが俺を見るから俺は見ない。

 あいつの視線の先には、俺たちがずっと一緒に昼食を取っていた場所があった。その時の切なそうな顔に、激しい眩暈が襲った。

 ──もう、届かないんだ。

 感情の波が揺れ動き、それがぴたりと静止したところで目をだんだんと開いていく。
 遠くでぼやけるカメラ音。強い光も周囲の音も何もかもが遠い。ただ心の中にあいつが立っているだけ。

「はい、OKです。画像チェックします」

 声がかかって深い意識の底から呼び戻された。はっと顔を上げると周囲は思ったより静かで、視線は自分に当てられている。何回かあったことだがここまでは珍しかった。

「……あの、俺どうでしたか」
「そこで見てきなさい」

 トレーナーに聞くと画像チェックしている場を指された。
 様々なアングルから撮られている自分が一クリックごとに現れていく。

「……ひっでえ顔」

 本当に、いきが詰まる。
 自分でもそう思うほど、酷い顔だった。

 ここまで自然体の顔をカメラの前で見せれたのはかつてない。どんな表情であれ。

「ほら、やっぱり自然が一番なのよ」

 得意そうに横で言うトレーナーの言うことは間違ってない。嘘くささが抜けて、自分でも今日の顔が一番まともだと思ったからだ。

 そのあとも何パターンかを撮影し、スムーズに日程が終了した。予定よりも早めに仕事を終わらせた俺は家へ直帰する。寄り道するような気分でない。


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