何枚かの給与明細は、一枚以外は全て伊織のものだった。
 それに気付いた俺がわけも分からずそれらを見つめていると、直樹さんは遠くを思い出すように語り始めた。


「伊織に、俺が光志に付き合うように頼んだと知られたとき、唯には余計なことを言うなと俺は伊織に言った。そしたら伊織は交換条件を持ちこんできた。一つはモデルの仕事を容認すること。……そしてもう一つは、その中の給料から、全額じゃないけどな……何割かを、唯の給料として使うことだ」

「……どうして…………」

 思い返してみれば、5月。
 突然跳ね上がった給料の金額に驚いたのは、そのときも記憶にあった。

「俺も伊織の真意は分からなかったけどな。……だけど、これが事実だ」

 俺が伊織にどうしてモデルの仕事を始めたのかと聞いた時。


『……親父から、早く離れるため。こういうのが、一番手っ取り早く稼げるだろ』


 ──あれは、伊織が、じゃなくて。

 俺、が?

 俺が早く、自立できるようにするために?
 仕事を辞めても、大丈夫なように?

 今更気付いた事実に、鼓動がむやみに早まった。

「……伊織は話してほしくなかったのかもしれない。どうしてだか分かるか?
「……いや」
「多分、お前が怒るのを予想してるからだ」
「……」

 ……事実憤りを感じていたから何も言えなかった。

「……でも俺は今話した。経営者としてじゃなく、純粋にあいつの父親として、お前に。……唯、今日はもう帰れ。帰って、ゆっくり休め。まだ遅くない」


 そうして、直樹さんに言われた通りに、帰宅してゆっくり休んだ。






「…休んでるこの一週間、ずっと伊織のこと考えてた。お金がどうとかじゃなくて……、そういうの、抜きにして…好きなんだ。裏からずっと支えてくれる伊織が、俺は好きなんだって……一番、大切なんだって気付いた。……あいつ、最後の最後で俺を突き放したんだ」

「突き放した?」

「うん。……多分わざと嘘ついて、嫌われるようなことして、俺がずっと好きだった光志さんのところ行けるように」

 好きになれって。

 ずっと囁いていてくれたのに、俺はいつまでもその言葉に背を向けたままで。

 でも本当は、そういう間も惹かれていっていた。
 あの存在に、全てを預けたいって思っていた。

「……どっちがより幸せに出来るか、か。そういうことね」

 光志さんは何か思い出すように小さく小さく声を出して。

「……完敗だな」

 瞳を閉じて首を緩慢に左右させた。力の抜け切った肩が少し下がっている。

「そうか……唯に真っすぐ愛してくれる人がいて良かった。──ああ、でも悔しいな、どうして繋ぎとめておけれなかったんだ」

 語尾を少しだけ乱し、空を見上げた彼の顔は光に包まれ見れなかった。
 空中に差し出した手が、何かを掴むように握られる。
 俺はもうそれ以上彼に近寄れなかった。


 この人を、好きになった。
 出会って、人の温もりを知らなかった俺に精いっぱい温かく接してくれた。微笑みかけてくれた。抱きしめてくれた。



「今までも恋みたいなものはあったけど、……もう少しで愛になれたものもきっとあったけど、断言できる。……唯、俺は多分初めて人を本気で好きになったんだ」

「……俺も」

 人を想うことの辛さに怖さ、不安。
 だけどそれ以上に触れあえたときの喜びや心の震え。
 確かに俺の初恋だった。

「俺も、初めてだった」

 出会いが違かったらなんて、もう言わないよ。
 俺たちはどんな出会い方でもきっと互いに恋をしたし、求めあって、傷つけあっていた。

「ありがとう、唯。……もう、行け。……多分、これ以上は無理だ」

「……はい」

 背筋をまっすぐ伸ばして光の中立っている光志さんに、これで本当にさよならなんだと唇をかみしめた。

 一回目の別れのときは、ごめんだったから。
 
「……ありがとう、光志さん」



 恋に、触れさせてくれて。


 噴水を、公園を、背後に置いて俺は走った。
 流れる風景。元来た道、何度も通った道を、心の中にいれながら置き去りに。

 夜道、月明かりの下、今日は晴れていた。





 本当のお前は何処にいるのかな?
 ずっと奥に隠れていて分からなかったけど。
 もう俺は見失いたくないんだ。

 たとえ報われなくても。
 突き放されたって拒絶されたって、それでも。

 なあ、今度もまた、俺の恋を認めてよ。













 side.唯


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