「……いらっしゃいま…………せ……」

 やがて部屋の扉を開けた「お客様」に言葉が詰まったけれど、すぐ持ち直してマニュアル通りの台詞を紡いた。

「──ご指名、ありがとうございます」

 なんで、どうして。
 すぐに浮かんできた疑問は打ち消されていく。最終的に残った感情をかき集めたら、胸の奥で何かがぎゅっと引き締まる音がした。

「……久しぶり、唯」

 そうやって言われた瞬間、店の中だというのに俺は“唯人”じゃなくなっていた。

「……光志さん?」
「名前も確認しなきゃいけないほどか。大分だな」

 そうじゃなくて。
 俺はあの日、突き放したはずだ。この人がもう俺を追わないように。

「待って、唯。話する前に、そこ座ってもいいかな?」

 混乱している俺が言いたいことなんて手にとるように分かるのだろう。
 俺が何も考えないまま頷くと、彼はベッドに俺から少し離れて座った。

「……髪の毛伸びたな」
「……適当に切ってもらってるから、わかんない」
「伸びたよ。顔つきも、少し大人っぽくなった」

 彼は変わってない。喋り方も笑い方も、出会ったときと同じ。

「……少し顔色悪い?」
「そんなこと…ないと思う」

 働き詰めで疲れてはいるけどいつも乗り切ってきた。
 そんなことより光志さんが来店したことの方がよっぽど問題だ。



「ちょっと待ってて」

 彼は座ったばかりだというのに立ち上がりシャワールームに入っていく。
 中から微かな水音が聞こえる。
 彼は片手に濡れたハンカチを持って出て来た。

「すこしじっとしてろ」

 俺の額に冷えたそれを当てて、やさしく汗を拭う。

 かつても、よくこんなふうにしてくれた。

 体調が優れないときは、どんなに隠そうとしても見破って、言葉では踏み入らないくせに態度で気遣ってくれる。

 ──変わってない。懐かしい。

「……どうしてここが分かったの」
「親父が経営してる店っていうから割と簡単に見つかった。ホームページに、唯の写真載ってるから」

 今日は直樹さんは店に入っていない。
 わざわざその日を選んだのかは、俺の知るところではないだろう。

「…………もう会いたくないって、言わなかった?」

 彼の腕を掴んでそっと自分の身体から離した。

「俺が唯の嘘、見抜けないと思うか?」
「……」
「……唯が本音じゃなくても、俺は本音言うよ」

 光志さんは真顔で応じる。

「それでも会いたかった。橋本唯は、そんなこと言われたくらいで、諦めきれる相手じゃない」

 彼がたたんだハンカチがサイドテーブルに置かれた。

「逃げられてから、あれが唯の答えだって忘れようとした。……でも忘れられなかった。唯の気持ちが落ち着くまで待とうって思って…それで、待った。待って、待って…待ちくたびれた」

 どんなに拒絶したって、俺の壁なんか簡単に破ってしまうんだ。
 彼の一言一言が、俺の世界を変えていく。


「離れて痛感したよ。俺は唯じゃなきゃダメだ。辛い顔して自分を傷付けるお前をもうこれ以上放っておけない」

 光志さんの指が肩に触れて、当時のことが一気に蘇っていく。

 生きることに意味を見出だせなかった俺に人を好きになることを教えてくれた。この人ともっと一緒にいたい、触れたいって初めて思った。

「俺は唯を……愛したい」

 あの時間は、嘘じゃなかった。

「いきなり最後の答えがほしいわけじゃない。けど唯……これだけ教えて。あのとき…唯は俺を、好きだった?」

 突き放しても、どこまでも追い掛けてきてくれる人。太陽と月じゃない。地球と月だ。

 俺を本気で好きでいてくれる人。


『好きに、正解も、間違いもねえ。ストッパーなんかかける必要ない』


 伊織の声が、こだました。

『本当に大事なものを、見失ってはいけないよ』

 彼を失った喜瀬さんの声。


 光志さんは、間違いなく俺の初恋の相手だ。

 問い掛けに、頷く。

「嫌ってない……。本当は憎んでなんかない…。す、き……」

 最後はほぼ勝手に口からこぼれたように打ち明けていた。

 言ってから顔を上げると、光志さんの柔らかい笑顔がある。

「唯……」

 抱きしめられ、額に熱い唇が落ちる。後頭部を支える彼の大きな手。

「好きだよ、好き……唯、愛してる」

 想いが、際限なく溢れて。
 俺はただ、光志さんの腕の中にあった。

 自分にとって大切な人の一番が、自分だったら。
 ずっと望んでいた言葉。焦がれていた想いに存在。

「光志さん……」

 そうして抱き合って、キスして、存在を確かめて。
 時間終了のタイマーが鳴ると名残惜しそうに光志さんの熱が身体から離れていく。

「……今日はいきなり来てごめん。また、今度はここ以外で会おう」
「…うん」
「携帯の番号は…変わってないよな。俺の登録する?」

 光志さんは携帯を広げたが、俺は首を横に振った。

「光志さんも変わってないなら…もうあるから」

 別れても消してない。削除のボタンはどうしても押せなかった。

「そっか。良かった。じゃあまた連絡するよ」

 最後にもう一度首筋に口吸いされる。

「唯、もう、親父も何も関係ないよ。あのときも本気だったけど、今はもっと本気。身体のこととかいろいろあるけど、俺はもうそれを負い目に思ってないよ。だから唯も……覚悟しててな」

 それに対して言葉を返す前に、彼は出て行ってしまった。

 セックス出来ないのに対して悩んだ時期だってあるだろう。でも光志さんは全部乗り越えて俺の所に来たんだ。
 逃げれない。彼からまた目を逸らすことなんて、多分俺自身が許さない。

 ──もう一度、ちゃんと向き合おう。

 出会いから間違って、そのあともさんざん間違ってきた俺たちだけど……彼がそんなものものともせず越えて来てくれるから。
 こんな出会い方でもまだ、一緒にいられる。

 外に出たらものすごい暴風雨で、安物の傘を広げたら瞬きする間に金具が折れてしまった。使い物にならない傘に眉を潜めて、濡れながら寮に戻った。





 * * * *




 光志さんからの誘いは予想よりも早く来た。
 付き合っていた当時はハイペースで連絡してくる彼ではなかったけど、それは彼なりの気遣いだったのかもしれない。
 覚悟しててな、と最後の囁きを思い起こした。

「あ、いたいた、唯」

 電車から降りて改札口を抜けると迎えにきた光志さんが手を上げる。

「じゃ行こうか」
「どこ行くの?」
「あれ、話してなかったっけ。俺の家」

 そうは言うけれど多分とぼけてるだけだ。光志さんの家は場所だけ聞いて行ったことはない。

「新作のゲームとかDVDとか、どうせなら唯と一緒がいいなって。嫌だった?」
「いや、いいけど」

 てっきり出掛けるつもりで来た。
 でもこれなら待ち合わせがあの公園じゃなかったのもなんとなく頷ける。

「何で一人暮らし始めたの? 実家と離れてないよね?」
「あれ、実家の場所知ってるんだ」
「あ……まあ」

 そうだ、あのとき俺は光志さんの部屋で……伊織の過去を聞いて、それから触られた。
 言葉に詰まったけど光志さんはさして気にする様子もなく。

「んー、とりあえず親と少し離れて暮らしてみたかった……ていうか、伊織と親父に2人暮らしさせたかった。あ、弟は、知ってるよな」
「うん」



 急に伊織の名前が出てきて、頭の中の彼の姿と被り少しだけぐらついた。

「クラス一緒か?」

「ううん、隣のクラス」

「そっか…。まあ、俺は唯も知っての通り親父とは普通に良好だけど、あいつは違う。俺がいなくなったら少しはそれも緩和されるかと思ってさ」

 仲の悪い兄弟かもしれないって思って来たけど、光志さんは充分伊織を思ってる。
 簡単な言葉の中にいろんな思いが詰まってるのを俺はもう知っている。

「そうだな…少し実家に帰ってみようかな。傘壊れたし」

「傘?」

「いや、こっちの話」

 光志さんは何か思案しているように笑った。

「──割と複雑な家庭環境で、特に伊織にはマイナス面が強かっただろうけど、多分少しずつ直ってく気がする。あいつも最近少し変ったみたいだし」

「そうなんだ」

「……唯に家族のこと、ここまで深く話せる日が来るなんて思わなかったな。確かに俺は盲目的で唯には理解出来ないところもあるかもしれないけど、親父がいなかったら唯には会えなかった。そう考えると、やっぱり俺は親父を通して唯と出会えてよかったよ」



 こうやって、彼の肯定的な考え方は俺をも救ってくれる。過去のことに逃げもせず、彼なりに考えて接してくれる。
 価値観が違うからこそ、一緒にいて新たな世界を広げていけるんだと思った。

「そろそろだよ」

 指し示した先には光志さんの住むアパート。実家とは異なりいたって普通のアパートだ。


 促されるままに部屋の中に入る。家具は多くないけど少なくもない。

「暮らしやすそうな部屋」

「はは、何それ」

 何か的外れなことを言っただろうか。

「お茶用意するからそこ座ってて」

「あ、うん」

 ソファーに腰掛けるとテレビの大きな液晶が目の前にくる。

「でっか…」

「テレビには少し拘りあるからね」

「こんな大きなの見るの初めてかも。画面つけていい?」

「いいよ。そこにリモコン立ててあるから」

 そもそもテレビというものが寮室にないから、少し興奮しながらスイッチを押し、光った画面にくぎ付けになってると、後ろから光志さんの笑い声が聞こえて来る。

「唯って相当面白い」

「え、変?」

「や、見てて飽きなくていいよ。ゲームとかしたことある?」


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