気付けば、視界は憎しみばかりになっていて。 俺はとことん、憎んできた。親父も兄貴もあの女も、自分も、この世界も。 憎むことで、別の感情を消していた。 「お前にはもうお前を支えようとする人がいる。……俺が本当はその立場になってやらなきゃいけなかったんだよな」 親父の顔を、物凄く久しぶりにちゃんと見た。 年月は経ち、親父はいつの間にか俺の想像以上に年老いていた。 親父の告白は続く。 「それでも俺を“親父”と呼んでくれるお前に、何も出来なかった。光志ばかり見ていたら、お前は俺を憎しみの目で見るようになっていた。だから、深く入り込めなかった。無関心を貫くように、心がけていた」 「……心がけるも何も、あんたは心の底から俺のことなんてどうでもいいんだろ」 「そんなことあるわけない」 親父は身を乗り出すように即答した。 「嘘吐け」 「嘘じゃないんだ、伊織。ずっと……ずっと、光志と同じようにお前が心配で、でもそんな態度を隠してきた。──お前のことがどうでもいいだなんて、一度も思ったことはない」 頭に隕石が落ちたように衝撃が走った。口の中にあった痺れが爪の先まで広がって、身体が上手く動かない。喉が、ひりひりする。 無関心じゃ、なかった? 俺が憎んだから、親父も離れた? ──それが本当だったとして。 「どうして今更、そんなこと言うんだよ。あんたが無関心でいたから、俺は……」 俺は今まであんたを憎み続けていられたのに。 「今更父親面するなって言われても仕方ないのは分かっている。でも、それでも俺はお前の親でいたい。もう遅くても、自分の子供の身体を心配したい。たわいのない会話をしたい。……親子でいたいんだ。子供が必要ない親も、親が必要ない子供も、いない。唯にこれを渡されて、ようやく目が覚めた」 もう一度、俺に頭を下げて。 それから信じられないことを言った。 「……あの女に暴力を受けているお前を見ていても、何も出来なかった。拒絶されるのから、ただ逃げていたんだ」 「! ちょっと待て、何で俺が殴られたって知ってんだ」 「ずっと昔から、そんなこと知っている」 「……兄貴が喋ったのか」 親父は何かを思い出すように苦い顔をした。 「やっぱり光志は知っていたか。安心しろ、光志はお前との約束は破らない」 「じゃあ、どうして……」 崩れていく。俺の中の、世界の色が。 「──親が、子供の異変に気付かないと思うか?」 そんな。 ──じゃあ俺は今まで何のためにあんたを憎んできたんだ。 「だったら……さっさと離婚すれば良かったじゃねえか」 「……伊織はそれを、望んでいたのか?」 親父の目は、まっすぐで。 逃れることなんて、出来なかった。 望んで、いなかった。 家族の「形」に、一番拘っていたのは、俺で。 「光志に離婚してくれと頼まれて、真っ先に浮かんできたのはお前の顔だった」 親父はそんな俺の感情全てを、知っていながら、知らないフリをし続けて。 「暴力から解放されるのと、家族の形を崩すのと、光志とお前が望んでいたものは違った」 光志を肩車する親父の斜め後ろから、2人の姿を見つめてきた。 それが普通だった。 いつしかそんな光景を憎むようになった。 そうでないと、その根底にあった感情が出てしまいそうだったから。 俺は──。 『だって、本当は伊織……』 『……本当は、直樹さんのこと、憎んでなんかないだろ?』 ずっと前に、消したはずの想い。 家族でいたいという気持ち。 出来ることなら、兄貴のようになりたいという気持ち。 そう思って、いた。 「伊織、もうお前に、あんな思いはさせたくないんだ……」 ───憎しみの根底にあったのは、いたってシンプルな感情。 そうか。 多分全てあいつは見抜いていた。 憎むことで閉じ込めてきた、認めてしまえば、とても軽い感情を。 “寂しい”という。 ただ、それだけのことだった。 「……もう身体の心配されるのは、親父の方だろ」 今更形を戻すなんてことは出来ない。 時間は取り戻せないし、過去はやり直せない。 「……ああ、本当に、そうだな」 年を取った。 俺は背が伸びた。 親父は老けた。 それでも親父の方がまだ大きかった。 憎む、という感情が。 俺の全てだったそれが。 いつしか、消えてなくなる気がした。 「……そういえば、光志に会ってないと言ったが、唯には会ったか?」 「唯に? 会ってねえけど」 夏休みに入ってから一度も会いには行っていない。 街で出くわすなんてことはまずあり得ないだろうから、会いたければ俺から行くしかないけど。 ──明日あたりに、会いに行くか。 唯はまだ、光志を忘れていない。見ていれば分かる。あいつは……どんどん、綺麗になっていく。 「そうか。やっぱり寮にいるのか……少し顔を出してみるか」 「? 何で今日に限ってそんなことするんだ?」 「今日は特別だ。唯も、今日が誕生日だ」 誕生日……。 唯が? 光志と同じ? そんなこと、お互いが知らないはずがない。 「……まだ光志と電話、繋がらねえのか」 「光志からは来てないな」 「…唯にかけてくれ」 俺はまだあいつのアドレスしか知らない。親父は俺に言われた通りに唯へ電話をかけ始めた。 →# [ 47/70 ] 小説top |