「……しがらみが、多すぎるな」

 呆れられたのかもしれない、支離滅裂な俺の言葉に、喜瀬さんは静かに言った。

「難しく考えすぎだ、どっちも」

 結局何がしたいのか、言いたいのか、自分でも分からない。拒んで、そしてまた想い続ける堂々巡り。

「……光志が好き、他に優先すべき感情があるのか?」

 一瞬頷きかけたけど、すぐ否定した。顔はあげられないままだ。

「だったらそれでいいじゃないか。受け入れれば、いいんだ。このままじゃ光志が可愛そうすぎる。唯人、君もだ。今、とても辛いんじゃないか?」

「何で……」

「こんな中年のところに簡単に上がり込むくらいだからな」

 ぴりぴりと、胸が悲鳴をあげて、嗄れた。

「……嘘つくのって、辛いんですね。…光志さんはどうだったのかな。……こんなふうに、辛かったのかな」

 嫌いじゃないのに。こんなに好きなのに。
 そのまま言葉に出来ない自分も嫌いだ。そうやって矛盾している今も。

「お互い同じだけ、傷付いている。だからもう、癒していい。縋り付いていいじゃないか。何がいけないんだ」

「……──喜瀬さんは、俺を恨んでないんですか?」

 今度はちゃんと顔をあげて聞いた。

 彼と光志さんの間にあった時間を、未来を、奪った。
 本来なら、俺が光志さんの恋人だと知った時点で彼は俺のところに乗り込んできてもいいくらいなんだ。


「どうして……俺と光志さんの仲を取り持とうとするんですか?」

 いきなりの自分への話題に戸惑ったのか、喜瀬さんは少し顔をしかめたけど、それは自嘲気味な諦めた笑いに変わっていた。

「確かに……知ったときは驚いたし、恨んだかもしれない。でも、もういいんだ」

「大人、ですね」

 俺だったらきっと割り切れない。

「大人なんかじゃないさ。唯人が悪いわけじゃない。ああ、それから……逆に関わっていたのが唯人だから、納得出来たっていうのもあるな」

「俺だから?」

「魅力的なんだよ。だから俺は君の常連なんだ。こうやって怪しい誘いにも疑わず来てくれるし、変に媚びを売ることもしない。店で他を抱いたりもっと別の場所に行ったこともあるけど、いつだって等身大できてくれるのは、君だけだった。……唯人のそういうところに、きっと光志も惹かれたんだろう」

 もしかして、俺は今褒められているのか。
 そんなふうに思われているなんて全然思わなかった。

「でもやっぱり、俺は若い頃から誰にでも抱かれてるし、“唯人”です」

「ウリをしていたら付き合ってはいけないなんて法律があるのか? そんな価値観、君たちには無用だと思うが。結局自分で縛っているだけさ」


 これは前に誰かにも言われた気がする。
 ……伊織だ。俺は恋してもいいんだって、言ってくれたのは。

 だから、まだ好きだで。

「唯人、時間は無限にはないんだ。極論で言うと、誰がいつ死ぬとも分からない。俺は……もう逃した」

 俺も、多分逃した。
 伸ばしてくれた手、振り払って、拒絶したから。

「本当に大事なものを、見失ってはいけないよ」

 そうやって教えてくれる喜瀬さんはやっぱり大人で、この人が数あるウリの中で俺を選び続けてくれて良かったと思った。
 俺は“唯人“を演じていたつもりで、別の人間になりきれていなかった。


 これで最後にしよう。

 ウリをしてる自分を、悲観的に見るのはもう……やめだ。
 唯人もちゃんと俺だから。

「俺はこの仕事を……大人になったら、やめるつもりですけど……今の自分、嫌いになりたくない。自分を、好きになりたいです」

「……自分を愛せるから、他人を愛せる。思うだけでも、立派な進歩だ」

 生まれてから、18年。俺はようやく俺を認める気になれた。
 一人、大切な人を失って。

「光志はセックス出来ない。君はセックスしなければならない。……どっちもどっちだな」

 月と太陽みたいな、対極。
 今更追いつけない。


 もっと、違う出会いが出来ていたらな。

「光志じゃなくてもよかったと言うが、光志だから、そこまで揺さぶられるんじゃないのか」

「……はい」

 彼の人柄は、他の誰かが変わりになんてなれない。そんな簡単なことも、あの場では解らなかったんだ。

 喜瀬さんが二本目のタバコに火をつけた。

「ああ…でも、これで俺も光志を忘れられそうだよ」

「やっぱり……忘れてなかったんですね」

「もう半年以上経つけどな……ま、人生にしては短い方だ」

 彼は立ちあがり、背広の例の場所から写真を取り出す。
 俺が以前見せてもらったものと同じ、光志さんの写真。

 その端へ、タバコの火を移した。

「あ……」
「さよなら、だ」

 じわじわと、火は紙を塵にしていく。全てが消えたとき、俺の中の光志さんもいつかこんなふうに消えてなくなるのかなと思っていた。

「ずっと、こうしなきゃと思っていたんだよ。君の前だから出来た。感謝しなければな」

「俺の方こそ……今日は、ありがとうございました。これで、お邪魔したいと思います」

「ああ」

 玄関に向かって靴を履いていると、喜瀬さんが後ろから腕を首に絡めてきた。

「……って、俺が何もしないで帰すと思うかい?」

「──したい、ですか」

「冗談だよ」

「っ……!」

 振り返れば唇を塞がれ、舌を入れられた。そのまま数秒、長いキスをして喜瀬さんは俺から離れていく。

「これだけで、充分だ。今の俺には」

「……またいつでも、いらして下さい。俺は……いますから」

 何度だって、抱かれるよ。
 それも含めて俺だから。

 全部ちゃんと受け入れて、前を見て歩いていくんだ。

 そうして、俺は、光志さんと共に一つ歳を重ねた。
 暑い熱い、夏の熟れた日、変わらぬ想いを抱いたまま。








 side.唯



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