心だけで繋ぎ止めておくには脆すぎる関係で、だからといって身体を繋げられるほど強くも出来なかった。

 綻びは間もなくやって来た。



「ねえ正幸、セックスしたい?」

 口端に漏れた俺の唾液を光志が舐めとった。

「……どうしたんだ? いつもはそんなこと言わないじゃないか」
「うん、なんでだろうね」
「……これを一枚はいだら」

 彼のワイシャツを下からめくり上げて、そのまま止まる。

「もう身体を繋げられる」
「……うん」
「お前は拒まない」
「……うん」
「でも、そのとき心は繋がらなくなっている」
「……そうだね」

 心を繋ぐための行為なのに、酷い矛盾だった。

「どうして俺がセックス出来ないか聞かないの?」
「……聞かない」

 ここでも多分、間違えた。
 聞いていれば良かったんだ。お陰で今も知れないままだ。

 聞いていれば。
 光志の支えになれたかもしれない。
 もしかしたらあなたとなら、なんて思ってもらえることが出来たかもしれない。

「……話したくなったら、話してくれ」
「うん、分かった」


 俺のそれは思いやりでも優しさでもなかった。都合よくそれらに当て嵌まったとして、決して綺麗なものになりはしない。

 俺は光志にとんでもないことをしていた。その罪悪感からか、どうしても光志を抱く気にはなれなかったのだ。

 その数週間後、俺は光志から別れを告げられた。

 物分かりがいい男のふりをした、酷い男だ。例え光志が知らなくたって。



 物分かりのいいところは嫌いだった。
 ではどこが好きだったのだ?

“物分かりのいい”は少なくともそのときまでは俺にとって一番の長所だったのだ。

「じゃあ最後に、俺からも聞いていい?」

 好き、の部分は述べてもらえず。
 代わりにされた同じ質問。

 俺のこと、好きだった?


「……ああ、好きだったよ」

 本心だった。好き“だった“。

 そこでようやく、俺は最早光志へ恋愛感情を抱いていないことに気付いた。
 確かに甘い時間はあったはずなのだ。光志だって俺を好いていてくれたはずなのだ。俺だって光志を……。

 溺れたのは遥か昔で。
 息苦しくなり、想いは死んだ。

「……ごめんな」
「俺の方こそ、ごめん」

 光志に謝られる必要なんてなかったのだ。
 身体の繋がりなどなくても永遠に彼を愛していられる。そう思っていたのは、事実だったのに。

「ばいばい、正幸」

 彼に本当に必要だったのは、俺のような物分かりのいい男でなく、彼を丸ごと受け止めるような、もしくは彼丸ごとを魅了するような存在だった。

 心の繋がりだけではいられない、身体の最奥から身体を求めたい、と思わせるような。


 恋愛によくある現象。
“失ってから、初めてその大切さを知る”
 俺は見事にその現象に嵌まってしまった。あれだけ愛していたのに。



 新たに出来た好きな人というのは、恐らく光志にとって唯一無二の人間なのだろう。

 そう思うと、今度はそのような人物に興味が湧いて出た。
 俺では叶えられなかった“光志の隣”という立場を望まれる存在。

 だがそれを知るのもほぼ諦めていた。
 俺が光志に会う手段など、もう残されていなかったのだから。


 しかし偶然の巡り会わせか、俺は光志を再度見かけることになった。
 偶然だろうが何だろうがあの巡り会わせには感謝しておくべきだろうと、今になっては思う。

 蛇足でも、俺は知れた。

 新緑が芽生える季節、街中、光志は隣に人を引き連れて歩いていた。
 車の中より確認しただけだから、隣にいた人物をじっくりは目に出来なかった。
 それでも、俺が本名も知らない少年だというのは分かった。

 むしろ目をとられたのは、隣にいた少年でなく、少年と話していた光志の顔だ。
 穏やかで、少年を慈しむような表情。

 あのような顔を、俺では作れなかった。

 本当に大切なのだ。
 本当に愛しているのだ。

 純粋に、その少年が羨ましかった。
 彼の名前は、何というのだろう。
 所詮俺に知る権利など、ないのだが。




 ああ、しかし本当に全く皮肉なものだ。

 まさか光志の好きな人が、俺がかつて光志の代わりに抱いていた少年だなんて。



「……唯人、か?」

 珍しく深夜までの残業を免れた真夏の週末、帰りの道を徐行していると、ちょうど見慣れた顔があった。

 驚いて轢かれても文句は言えないだろう。誰もいない場所、街頭の奥で一人うずくまっている少年は、光志の恋人であるはずの彼で。

 俺たちが店の外で会話をするのは、これが初めてだ。

 最近は忙しくてあまり向かっていなかったから、会うの自体も久しぶりになる。
 最後に行ったのは──恋人にフられ、捨てきれずにいた光志との写真を見せたときか。


「──喜瀬さん……?」

 俺の声に反応してやつれた顔を上げた唯人は誰が見ても辛いことがあったのだろうと分かるくらいで。

「何してるんだい、こんなところで」
「……喜瀬さん……」

 ごめんなさい、ごめんなさいと。

 俺と光志の関係を既に知っている唯人はまたうなだれてしまった。


 ──俺は光志と付き合っているとき、二つの大罪を犯していた。

 一つは女性とも関係を持ってしまったこと。前後関係で言うと光志と付き合う方が先だった。

 そしてもう一つは、ずっと通っていた店に通うのを続けたこと。 それは──多分光志も気付いていた。気付いていながら、黙っていた。



「唯人」というはけ口を振り切れなかった。

 俺は実に駄目な人間で、この間女の方にも別れを告げられた。
 それで正解なのだと思う。許されるべきではない。



 しかしそんな下らない人間である俺のことはもうどうでもいいのだ。

 今は、唯人がどうしてこんな場所にいて、一体彼に何があったのか。

 聞くべきだろう。
 今度という今度は機会を逃さぬよう。
 何せ俺はまだ光志を鮮明に思い出せる。


 浮気相手がいても。

 はけ口があっても。



 それでも俺は、彼を愛していた。









 side.喜瀬



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