* * *


 誕生日といっても特にすることなんてない。
 誰かがケーキを用意してくれるでもないし、そもそも俺の誕生日を知っている人なんて片手でおさまるくらいだ。

 午前中はずっと寝ていて、午後になって目が覚めても頭や身体は重たいまま。

 ずっと。
 ずっとあの日交わした言葉を、思い返していた。

『俺が生まれたのは昼の2時くらいらしいけど、そっちは?』

『詳しくは知らないけど……多分夜だったと、思う。7とか8時とか』

『じゃあその間だな。5日の17時に、公園の噴水前、集合な』

 あのとき、どんな気持ちで光志さんは約束をしたんだろう。
 やっぱり心の中では俺を笑っていたのかな。

 あんな約束をしてしまったから、いつまでたっても残っているんだ。

 だから。
 今日でもう、終わりにする。
 光志さんのいない公園で、馬鹿だな俺、未練たらたらじゃんって笑って、それで最後。
 もう、考えない。

 約束の時間通りに行くのは、あまりにも惨めでやり切れない気持ちがあるから、わざと遅れて行くことにした。

 訪れるのは随分久しぶりで、懐かしい匂いに雰囲気、目の前に広がる光景にやっぱり来ない方がよかったと少しばかり後悔する。
 だけどきっと、俺には必要なことだ。
 


 午後7時。遊んでいる子供はいない。数組のカップルが仲睦まじく寄り添い合っているだけ。

 小さな公園の小さな噴水が、区切りのいい時間になって湧きあがる。
 その前で、俺は立ち止まった。
 もちろん俺の知っている人はいない。

 告白されたのも、それを受け入れたのも、デートの待ち合わせも、いつもここだった。

 立っていると思いだす。あの時間、あの空間、あの笑顔に声。

 どうして俺は今ここにいるんだろう。
 彼はもういない。
 本当の彼はどこにいるんだろう。
 俺が最初から出会っていなかった、有宮光志さんは。


 ──Ifの世界など考えたらキリがないけど。

 例えば俺が、ウリなんかしてなくて普通の高校生で。

 たまたま伊織と知り合って、それから伊織の兄さんとして、光志さんに出会っていたら。

 何かが違っていたのか。

 ──ねえ、光志さん。

 そんな現実、有り得ないって分かっていても、想像してしまうんだ。

 どれだけ虚しい行為かなんて知っていても。



 だけど、俺が恋したのはまぎれもなく高野光志さんで。嘘でも付き合ってくれた、数ヶ月間傍にいてくれた彼が、俺は好きだった。



 好きだったんだ。



 傍にいるだけで、温かくて。
 ずっと灰色に暗かった世界が煌いて。

 抱きしめ合うだけで今まで味わったこともない嬉しさを感じて、ただ無意味に涙が出そうになって。

 世界を光志さんで失うことになってもいいと思うくらいには恋だった。

 さようなら、高野光志さん。

 こんな俺を笑って下さい。演技をしていたあなたに本気で恋をしてしまった、馬鹿な俺を。

 いきなりやってきた終わりをいつまでも受け止め切れていなかったけど。
 今ならもう大丈夫な気がする。

 湧き上がる噴水の勢いが終息していく。
 噴水の傍らにある木製ベンチへ向かった。

 そこで持ってきた袋から物を取り出す。

 俺が使っていたものなんてなんの価値もないと思っていたけど、あの時の彼はそれが欲しいんだと言った。
 目覚まし時計にカップ。
 目覚まし時計は電池を入れたまま。カップはさすがにしっかり洗って拭いてきたけれど。

 全部、馬鹿正直に持ってきた。

 出来れば誰も構わないようなところに置いておこう。ベンチの下とか。

 そう思って、俺はベンチの下へ、プレゼントを忍び込ませようとした。

 そこで、その場にあるはずのないものを目にする。

 ──嘘だ……。


 ベンチの下、暗い場所。

 誰も気付かないような場所に、それはあった。



 小さな正方形の包み箱。リボンが巻かれて、その先にくっついているタブにあるのは俺の名前。

 “For.YUI”と、直筆で。


『プレゼント、ちゃんと用意しておく』

『……給料三か月分って、リーマンとか職についてなきゃ言えないよな。そんな高いやつは用意できないけど』

 出会いは嘘。
 誕生日は本当。

 じゃあ、あれは?

 俺は震える指で先にあるものを手にしていた。
 大きさと様相からいっても、俺の考えは多分間違っていない。

 紛れも無い、彼から俺への、誕生日プレゼント。

「な……んで……」

 俺がまだ光志さんを好きなのは。

 嘘だと言われても尚、彼の人柄に惹かれていたからだ。

「唯……?」

 そのとき、後ろからかかった声。
 忘れるはずがない、一年以上聞き続けてきた、穏やかな声は俺の身体と同じように震えていた。

「…………ど、して……」

 もう今は夜の7時。彼がいるはずがないのに。

「どうして、はこっちだよ……」

 光志さんが、俺の背後から回って前に現れた。

「待って!」


 反射的に立ち上がった俺の腕を光志さんが掴む。
 体温を感じた。夢じゃない。本当に彼だ。

「……離してよ」

 なんで、今更。
 これ以上俺を混乱させないでくれ。

「……それ、見つけだんだな……」

 光志さんは俺の手から包みを引き抜く。

 思わず、彼の顔へ目をやった。
 暗くて明瞭には見えなかったけど、最後に見たときより痩せたように思えた。

「……」
「…………」

 水面に街頭の明かりが揺れる。
 言葉はない。何を言える状態じゃなかった。光志さんは俺の腕を握ったままだ。



「離して……」

「……嫌だ」

「逃げない、から」

 言葉を信じるか信じないか数秒躊躇ったみたいだけれど、結果的に俺は縛りから解放された。
 強い力で握られていたから彼の手の形が残った。

「……ごめん、まさかいるとは思わなかったから、少し、動転してるみたいだ」

 そんなの、俺だって同じだ。

「どうして、いるの?」

 俺のことなんか、もうどうでもいいじゃないか。昔騙した相手なんて。

「……これ、回収しに来たんだ」

 包みを前に出した光志さんは切なそうにそれを見つめた。

「朝、これを置いていったんだ。もしかしたら唯が夕方ここに来て、見つけてくれるかもなんて考えていた。夜また来て、これがあったら、もう俺は唯を諦めようとしていたんだよ」

 諦める?

 諦めるもなにも、最初からあなたは。

「けど、いた。本人がいた。はは……やっぱり、無理だ。俺は忘れなくて正解らしい」

 光志さんは手の平で顔一面を覆い、上を向く。釣られて俺も上を見上げた。
 月が、綺麗に出ている。

「わ……忘れるって、最初から嘘だったんでしょ? 直樹さんに、言われたから……」

「……ごめんな、唯。いくら謝っても許されないって思っているけど……悪かった。辛い思いさせて、嘘ついてごめん」

 懺悔が滲む中、彼は続ける。

「最初は確かに、遊びでやっていたよ。親父に言われたからなるべく優しくしたし、それを嘘の気持ちでやっていた。……でも、すぐにそんな感覚は消えたよ。……付き合ってから、俺の言動に嘘なんて一つもなかった」



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