きみの、いき 四 * * * 好きだって、きっといつまでも認められなかったら俺はダメな自分のままだった。 いつまでも閉じ込めていたら、いつまでも塞いだままで。 伊織が、解放してくれた。認めてくれた。それだけで十分だ。 だから、俺はもう大丈夫。大丈夫なんだよ。 だってほら、今も伊織の前でちゃんと、笑えているだろ? 「俺はもう、大丈夫だから」 伊織が俺を見据える。 そんなふうにまじまじと見られると、緊張していまう。 伊織の目はいつだって本気で俺へぶつかってくる。 でも次には、俺はその瞳が迷うように揺れ動くのを目にしていた。 「……馬鹿」 一度離された腕をまた掴まれて、今度は吸い寄せるように抱きつかれていた。 「!? いお…!?」 「黙れ」 黙れって、こんな体勢外で取られて黙ってられるか。 「伊織、離してって」 伊織を見上げれば、今度は唇を奪われる。思わず周囲を見渡そうとするも、余計にキツく抱きしめられて無理だった。 部活動をしている野球部の声が遠くに聞こえているけど、姿は見えないはずだ。 「…んで、こんなことすんの」 「……こっちが聞きたい」 囁かれた言葉はハスキーに。 吸い込まれそうな目も、どこか落ち着く声も。 思ってみると、やっぱり兄弟だ。 脳裏に光志さんの姿が出て来る。 ダメだな。俺。 「ちょっと、本当、まずいから」 「誰も見てねえ」 「そういう問題じゃない」 「嫌か?」 別に嫌じゃない。 するっと出てきた答えに、自分で驚いた。そういえば、嫌悪感は全くない。 そもそも、一か月前くらいに寄りかかったのは俺の方からだった。あの時は本当に特殊だけど。 「……あ、また傷が、ある」 答えは声に出さず、代わりというわけでもないけど、至近距離になったことで見えた、伊織の首筋にあるそれへ言及していた。 また誰かと喧嘩でもしたのだろうか。 絆創膏は今日使ってしまい切らしていた。 「お前は本当…変なところで目ざといな」 「放置はよくないって」 下手すれば化膿する。 伊織の傷から、今度は光志さんに最後見せられた彼の腹部が連想された。 あの痕は間違いなく本物だった。 まてよ、そうすると──。 「い、伊織。ちょっと聞きたいんだけど」 「何だよ」 伊織が怪訝がり、抱きしめていた腕を解く。 とにかく異様な雰囲気から逃れたかったのかもしれない。聞いていいことがどうかも考えずに、俺は聞いていた。 「母親から暴力って、もしかして伊織も……?」 光志さんが暴力を受けていたというのなら、兄弟の伊織だってその場にいたら当然。 だから、ちょっとの傷なんかには無頓着なのかもしれない。 「なんでお前があの女を知って……。光志から聞いたのか」 「あ……ごめ…。ちょうど、最後の日に、肌見せられて」 「肌を?」 「あ、ああ」 食いつくように強く聞かれてたじろぐ。そんなにおかしなことを言ってるか? 「……俺のこと、知りたいか?」 「え?」 「ちょうどいい。来いよ、見せてやる」 伊織はその場から振り返るとそのまま早歩きで進んでいってしまう。慌ててその背中を追い掛ける。足元で砂が飛び散った。 「ちょ、伊織、来いってどこに」 「俺の家」 「へ? だから、今日は仕事……」 「だから言ってるんだよ。そんな状態で平気な顔して抱かれてんじゃねえ」 別に平気なのに。 もう一ヶ月くらい経つ。俺だっていつまでも引きずってるわけじゃない。そんな弱く在りたくない。 強い自分でいたい。強くなりたい。 見透かされているようで、悔しい。 「来いよ。今日は休め」 伊織のくせに、と心の内で何度も呟きながら、でも足を動かしている自分がいた。 伊織の家。 光志さんが数ヶ月前まで暮らしていた家、直樹さんが暮らしている家。 興味本位じゃないと言えば嘘になる。 もし、伊織も暴力を受けていたのだとしたら──直樹さんとの不仲な様子に、何か関係があるのか。 家族で、同じ場所に生活していて、衝突があったり仲に乱れがあったりするのはおかしなことじゃない。 でも、伊織と直樹さんのそれは違う。ただの家族喧嘩よりきっと酷い。 一度しか二人の会話を目にしていないけど、親子がするようではなかった。 一緒にいられるのに、生活しているのに。 嫌悪の感情で満ちているのは何だか落ち付かなかった。 もしかしたら自分に重ね合わせているのかもしれない。認めたく、ないけど。 有宮宅は意外にも店からそう離れていなかった。徒歩で15分といったところか。 光志さんのアパートは確か2駅挟んだところ辺りだけど、わざわざ引っ越す必要もない気がする。 彼は生まれたのが下町の方だと言っていたけど、引っ越したのか、彼の気まぐれな嘘だったのか。 「入れ」 「…これ、玄関?」 「そうだけど、何だよ」 異様にドアが大きい。ドアだけじゃなく、玄関自体の面積も広いし、何より家そのものが一般家庭にしては大きい。 「…直樹さんて、何の仕事してるの?」 「お前も知っての通りだよ」 伊織が笑っているから、嘘というか、はぐらかされたんだと思う。 中に入ってすぐ手前の階段を上らされる。 伊織の部屋は突き当たりにあって、その部屋もまた広かった。 でもよく見れば反対半分側に同じような家具がある。 「あいつと共同部屋だったんだよ。前は布で仕切られていたけどな」 なんだか意外だった。こんなに大きな家なのだから、別々にしていてもよさそうなのに。 伊織と光志さんは、仲よかったのかな。 今吐き捨てるように言う伊織の口調は酷いけど、兄弟なものは兄弟なわけで。 「……あ、仕事休むって連絡しなきゃ」 「誰にだ」 「直樹さんに」 「貸せ」 取り出した携帯を奪われてしまう。伊織は素早くボタン操作して、耳に携帯を当ててしまった。 「もしもし、俺だ。え? 何でって、一緒にいるからだよ。今日は出勤しねえよ。あん? うるせえな、理由なんて想像すれば分かるだろ」 一気に喋って、伊織は乱暴に通話をブツ切りする。 「滅茶苦茶だ…」 「風邪引いてるのに出勤しようとしている方が滅茶苦茶だ」 携帯を投げ返されるけど、咄嗟に反応が遅れる。カーペットの上に落としてしまった。 「何の、こと」 「熱どんくらいあんだよ」 「何で……」 勘付かれるような真似、してなかったはずだ。 「見れば分かるんだよ。なめんな。人の傷心配する前に自分の身体見ろ」 後半部はそっくり伊織にも返せたけど、まさか気付かれてるとは思ってなくて何も言い返せなかった。 「寝てろ」 ベッドに送り込まれるけど、伊織が部屋から出て行ってしまいそうな気がして、逆に伊織の腕をつかみ防ぐ。 →# [ 35/70 ] 小説top |