* * *


 翌日、そしてそのまた翌日も唯は学校へ来なかった。
 
 その次の日になると今度は俺が学校を休むようになり、一週間以上が経過した水曜日になってようやく、俺は唯を見つけた。それも、チラリと遠目に見かけただけだ。

 だから友達の横にいる唯がやつれているように思えたのが、はたして事実だったのか、はたまた俺の思い過ごしだったのかは分からない。

 なんとなく、本当を知りたくなかった。


 それからの梅雨の時期、俺は自分の予想外にも忙しい日々を過ごすハメになった。

 名前も経歴もない人間が飾った雑誌の表紙。
 何も情報が公表されないのが逆に好奇心を煽ったのか、読者からの反響が大きかったらしい。

 いつの間にか始めて数ヶ月の仕事にスケジュールが増え始め、いくつもの俺が撮影された。

 芸名、なんてものをいい加減つけてくれと頼まれたが、適当な偽名も思い浮かばず、だからといって本名も使いたくなかった。俺は有宮という苗字が嫌いだ。親父や兄貴と同じだから。

 とにもかくにも今週中までに決めてくれと事務所から頼まれ、それでも気乗りしないまま、俺は学校に登校していた。
 何かと周囲の声がうるさいけど、構うこともない。

 一日を終え、玄関に行くとちょうど唯と鉢合わせになった。あ、と思ったときには俺はもう声を出していた。



「痩せた」
「……あれ、伊織?」

 俺に気付いていなかったのか、声に顔を上げた唯は瞳をしばたたく。

「……これから、仕事か?」
「……学校ではその話、やめて」

 人目を気にするようにきょろきょろと目を踊らせ、ひそめた声で唯は言う。
 ただその声にも表情にも張りがなく、俺はたまらず腕を掴んだ。

「……? い、おり?」

 突然にまるで反応出来ない唯は酷く無防備で、初対面の警戒心ばりばりの様子はどこにもない。

「これから、仕事か?」
「……夜から、だけど」

 それだけ聞ければ充分だ。
 あとは理由なんかいらない。


 玄関を飛び出して、人気のないところに唯を連れていく。

「伊織っ、ちょっと…」
「何だ」
「どこ行くんだよっ、手、離せって」

 途中で腕を強く振り払われ、離してしまう。
 別に無視も出来たけど、その腕があまりにも細く、折れてしまうんじゃないかと思って咄嗟にダメージをなくしていた。

「人に聞かれたら困るんだろ」
「だから、何なの、いきなり」
「前置きが必要か」
「そ、そうじゃなくて。今まで話しかけもしてこなかったのに……」

 思えばあの日店で最後に唯へ触れてから一ヶ月近くが経つ。



「そうか。傍にいた方がよかったな」
「……!」

 ぐっと声を詰まられた唯が戸惑うのがありありと分かる。
 隠しているつもりでも、無駄だ。むしろ俺に何かを隠そうをすること自体がイラつく。

「別に……話しかけてほしかったってワケじゃない」

「だから、俺の前では嘘つくな」

「……もう、大丈夫だよ」

「嘘つけ」

「本当に!」

 叫ぶまではいかないまでも、声を荒げた唯の手の平は痛いくらいに握られていた。

「…本当に、本当」

 ──全然、大丈夫って顔してねえ。

 やつれた顔も。
 泣き顔も。

 全部、兄貴が作ったもので。

「俺はもう、大丈夫だから」


 梅雨の季節。
 晴れ渡ることのない空が続く、どんよりとした天気の中。

 俺は初めてそいつの、笑顔を見た。



 花だ。
 いまにも枯れてしまいそうな、白い花。
 雪のように、声もなく溶けていく。
 想像以上に脆くて。
 想像以上に、掻き乱される。


 自分の知らなかった感情が、心の内で吹き荒れる。

 ただ一人、橋本唯という人間によって。
 そいつの表情仕草、一つ一つで、いとも簡単に。


 





 side伊織.



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