唯の部屋から出て、そのままエントランスを抜け出ようとすると、親父が裏口の方面を指した。
 無視しようという考えは親父の片手にあるものを見て止まり、心で舌打ちして親父の背中に着いていく。

「何だよ、まだ何か文句言いてえのか」
「お前が唯のことをどうして知ってるんだ」
「だから、兄貴とアンタの会話を聞いてたからだよ」

 この前も問われた内容に嫌々する。頼りない照明の灯りでまだ助かった。これで顔がはっきり見えていたら余計にたまらない。

「いつから、知ってた?」
「最初から」

 最初から、アンタたちは爪が甘かったんだ。
 唸りを上げるように険しい表情をする親父の顔がうっすら映る。

「今日、唯に全部知られた」
「らしいな」
「……教えたのか。約束したはずだ、この件に関しては何もしないって」
「約束じゃなくて契約だろ。交換条件ありの。俺は何もしてねえよ。唯が突き止めた事実だ」

 兄貴が有宮直樹の息子だってこと。
 俺が兄貴の義弟だってこと。
 俺は何も言ってない。

「…まあいい。それとこれは何なんだ」

 親父は右手に携えもっていた雑誌を前に差し出す。俺“らしき”顔が表紙の、雑誌。


「何だって、だからそれで交換条件にしたんだろ。先月、あんたも契約書にサインしたじゃねえか」

 この店への二度目の訪問で、唯の寮室から帰宅した後、家で親父と交わした契約。

 俺が唯と兄貴のことに関して箝口令をしかれる代わりに、親父は俺が出した書類に同意のサインをすることと、あともう一つの条件を飲む。

「あの時のはこれだったのか……だからって、こんなに大々的になるなんて聞いてないぞ」

 聞いてない、じゃなくて聞いてこなかったんだ。
 どうせ事務所との契約書にだってロクに目も通さずサインしたんだろ。この目で見ていたんだから、分かる。

 息子の言うことやることに、たいした疑問も興味も持たない。

「これからも活動、続けるのか」
「当たり前だ。文句言う筋合いはない」

 カメラマンの指示通り、事務所の言われる通り、表情を作って人格を形成するのは吐き気がするほど嫌だけど、これほど稼げる“バイト”もない。

 親父は俺を睨みつけ、それでも数秒後には溜息をついて渋々と頭を振った。これも予想通りだ。

 駄目だというクセに、結局は自分の考えを放棄する。

「……お前が決めたことなら、文句は言わない。ほどほどにやれ」
「物分かりのいい親面はいいんだよ」

 関心もない。興味もない。俺のことなんて、どうでもいい。
 結局、本音はそこなんだ。



「……今日はもう遅い。早く家に帰れ」

 こんなときだけ子供扱いするところも。

 何でこの男は俺がイラつくことばかりするのだろう。誰か答えをくれ。

「……兄貴は今どこにいる」

「光志? 普通に自宅だろう。何でそんなこと」

「これから会いに行く」

「!? どういうつもりだ」

「騙した張本人の顔も拝んでおきたくてね」

 理解できないとでも言いたげな目だけど、それ、息子に向ける感情じゃないぜ。

 自然に込み上げてきた笑いを隠すこともしないまま、俺は親父を残して店を去った。
 また来るだろう。親父に会うためなんかじゃなく。



 光志のいるアパートの一室には幸いというべきかまだ電気が点いていた。
 もう日が回ろうとしている。

(まだあいつは、寝ているのか)

 指名時間も消費しきらないまま残してきた相手のことを考えている自分がバカらしくて、頭の中から押し出した。
 インターホンを押すと不快なまでの明るい音が反響する。

「…伊織?」

 直接会うのは兄貴があの居心地の悪い家から出て行って以来だった。

「どうしたんだ、こんな時間に」
「たまには兄弟の親睦でも深めようと思って」
「…冗談、言えるようになったんだな」

 相変わらずの物腰柔らかい喋り方に、諭すような目つき。

「……人を傷つけて、今夜はさぞかしいい気分だろ」

 言えば、虚を突かれた顔。ああ、快感だ。

「そうか…。伊織は知ってたんだったな。もしかして、唯に教えたのも伊織?」

「…だったら?」

「ありがとう」

 俺の顔を見ないまま、兄貴は身体を中へ翻す。

「……入りな。立ち話もあれだし」

 部屋は整然としていて、実家にいたときと何も変わっていなかった。

 われ知らず、兄貴がまだ家にいたときのことを思い出していた。

 二つに仕切られた部屋のスペースを侵害するなんて真似は、お互いに一回もなかった。
 特別な会話もない。俺から話しかけたことも滅多にない。

 ないことづくし。
 そういう、義兄だ。
 でも親父も知らない俺のことを知っている。

 ソファーを勧められたけど、座るような気分じゃなかった。

「どういうつもりだよ」

 礼を言われるようなことした覚えはない。

「唯に知られなきゃ、このままずるずるいってただろうからね」

 兄貴の口から出るその名は変に馴染んでいて、正直耳にしてあまり心地いいものじゃなかった。

「…言い訳はしないよ。俺は親父に言われたようにした、ただの操り人形だ」

「何でこんなワケのわかんねえ頼み飲んだんだよ」

 親父に信奉するにしても、あんまりだ。

 少なくとも、人の感情を弄ぶような性格はしていない。
 いい意味でも悪い意味でも、長所でも短所でもない。とにかく兄貴はそういうのを嫌う。それだけは、俺でも知っていた。


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