震える俺の肩をどう解釈したのか、光志さんは一度俺から隙間を作り。

「……唯、焦らなくていい。嫌なら嫌って、ちゃんと言っていいんだ」
「い、や…とかじゃ、ない」

 今度は俺が身体を見せなければならない。

 あれ、今の俺の肌は、どうなっているんだっけ。

 よく確認して来なかった。
 痕とか傷、残ってるかな。
 この前の客は派手につけたし、昨日喜瀬さんだって激しい動きだったし──。


「……唯、お前が、愛しいよ。だからなるべく、大切にしたい」

 光志さんがふんわりと俺の頭を掻き撫でる。
 その動作が伊織のそれと似ていて、俺は目を見ひらいた。


『あいつは───』



 まだだ。
 まだ、俺には確認しなきゃいけないことが残っている。

「光志さん、シャワー…浴びてきて…」
「……うん」

 光志さんは携帯と財布をベッドサイドランプの元へ置いて、シャワールームへと入って行った。
 俺は深呼吸を一つ置いて、光志さんの携帯を開く。

 どうせこの後裸を見られて、光志さんは俺から離れていくだろう。
 なら、その前に。



 伊織の昨日の言葉が痛く頭に響いていた。彼が教えてくれた、半分。


「いいか、今度光志に会ったら、携帯を見てみろ」


 携帯の待ち受け画面には桜が咲いていた。今はもう散った、桜。

 所有者情報は暗証番号を入力しなければならなかったから、そこは通り越してメール画面に行く。
 するとそこにもロックがかけられていた。

(なんで、俺はこんなこと…。でも、あいつの言葉が本当なら…。……ごめん、光志さん……)

 謝りながら、電話帳を開く。

 ア行の何番目か。
 有宮伊織の、名前があった。
 登録名は伊織。呼び捨てで、そのまま。

「…え……?」

 グループ分け登録も、丁寧にされていた。



「携帯を見たら、所有者情報にメールを確認して、それから、電話帳を見てみろ。そして──」


 シャワールームからの音が耳に入って来る。遠くの音と心音が混じって、煩わしかった。


「そして、ナ行を確認してみろ。あいつなら、名前で登録してあるはずだ」


 伊織と同じグループ名で登録されている、その人の名前と、電話番号。

 俺は何も考えないまま、考えられないまま、汗ばんだ手で通話ボタンを押していた。



 発信中から呼出し中へ画面が切り替わり、数秒たって通話中になる。
 そこでようやく、俺は携帯を耳へあてた。

『もしもし? どうした光志、唯と何か──』

 光志さんが出てきたら、俺もシャワーを浴びて、肌を見られ、俺の仕事のことを言って。
 
 そして、光志さんは俺から離れていくだろう。

 なら、その前に。

 俺は彼の本名を知っておきたかった。


「あいつは……あいつの苗字は、高野じゃない」


 頭は変に、冷静だった。

「直樹、さん?」

 俺が通話相手の名前を呼ぶと、電話の奥で息を飲む音がした。

『その声……唯、か……?』

 伊織と直樹。
 登録された二つの名前。たった二人だけのグループ。
 グループ名は、家族。


 俺の動作が遅かったのか、簡単に流しただけの光志さんのシャワーが速かったのか、光志さんがシャワールームの扉を開ける音がした。

 自分の携帯を耳にあてている俺を見てどう思ったのだろう。
 光志さんは一瞬だけ厳しい表情で押し黙って、そして次には笑っていた。
 いつもの優しい微笑みだった。


「ああ……、バレちゃった?」




 光志さんは髪の毛から水を滴らせたまま俺へ近づいて、手から携帯を奪い取った。

「もしもし? ああ、親父? どうりで。もう、無理。繋がりバレたよ。……だから言ったんだ、いずれ綻びが来るって。今どこ? …ん? 職場? …ああ、分かった」

 直樹さんと通話し終えてから携帯をベッドに放り投げた。

「ちょっと無防備だったかな。んー、でも携帯いじられるとはなあ……。──さて、唯、どこから聞きたい?」

 どこから?
 最初から、光志さんは直樹さんの──。

「ああ、いきなりすぎて分かんないか。じゃあ一から説明してあげる。誤魔化すのも出来そうにないしね」

 口調はいつものそれと変わらないのに、光志さんはまるでさっきと別人のようだった。

「まず、俺の名前は有宮光志。唯も知っている有宮直樹の息子。で、俺は親父に頼まれて、唯と付き合い始めた。唯の写真、貰ってね」

 直樹さんに、頼まれて。

「ど、して…」

「まあ、そこらへんは親父に詳しく聞くといいよ。──最後まで親父もお前も教えてくれなかったけど、今なら言ってくれるかな? 唯と親父は、どういう繋がり?」

 視界が狭まっていく。光志さんの周りにあった明るい空気は、なくなってしまった。

「……俺は直樹さんの、店の従業員で、…ウリ、を」

「──ああ、やっぱり。少し予想してたけど。それで俺と付き合っていたんだ? いや別にいいよ? 俺も最初から、騙してたんだし、ちょうど前の恋人と別れようとしていたときだったし」



 止めをさすように、光志さんはたっぷり間を置いて。

「最初から俺たちに未来なんてなかったんだよ。ウソの、恋人ごっこだったんだから」

 出会いから、今までの彼の微笑みも、言葉も、気持ちすら。
 何が本当で何がウソだったのか。
 俺にはもう分からない。

「じゃ、俺はこれで。ばいばい、唯。結構楽しかったよ。もう会うこともないだろうけど。これから親父のところに行けってよ。職場にいるから、って」

 光志さんは俺が立ちつくす横で服を素早く着て、部屋から出ていこうとする。

「……誕生日、いつ?」

 扉が半開きしたところで、俺の情けない声が出ていた。
 光志さんは振り向くこともせず。

「誕生日? さあ…いつだろうね」

 ああ、きっと全部、マガイモノだったんだ。
 俺にふさわしいじゃないか。

「…ごめんなさい」

 俺は謝っていた。
 今まで隠してきたことに対する謝罪。


 光志さんは俺の言葉に一度だけ動きをやめて、それから静かに扉を閉まって出て行った。
 扉が彼の姿を俺から完全に遮断した。




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