きみの、いき  参





 * * *




 お互いの誕生日を確かめ合ったあのデートをして以来、光志さんは俺へ随分素直な感情をぶつけてくれるようになった。
 そのたびに俺が少しだけ困った顔をするのを光志さんは気付いていたのだろうか。

 好きだよ、とか。愛してる、とか。
 そういうストレートな言葉は少なかったけれど、動作の一つ一つでそう囁かれているような。
 気恥ずかしい思いもするけれど、どこか温かくて。

 それは今日も変わらなかった。


 2時になってちょうど噴水から水が盛大に湧きあがるのを見ていると、光志さんがやって来た。

「バイト、お疲れ」
「ああ。少し張り切ってやったら、余計に疲れた」
「張り切って?」
「唯に会えると思って」

 息がつまりそうになる。そんなふうに言われると、俺はどう反応していいのか分からない。

「今日はどうしたんだ? 用事?」
「あ……いや、えっと、それは口実で…」

 お客さんに恋人のように接してくれとリクエストされたことは何度もある。演技なんていくらでもしてきた。
 それなのに、実際光志さんの前で上手く喋れないのはどうしてだろう。

 考えれば当たり前だ。光志さんは客じゃなくて、恋人なのだから。
 本物の、恋人だ。偽物なんて、割り切れるはずもない。

「……会いたくなった、だけ」

 会いたい。
 気持ちは本物だった。

 それに気付いてまた心臓辺りが痛む。

「唯、口実って言っちゃったら意味ないと思うんだけど」
「あ」
「……あんまり可愛い真似、しないでくれ」

 光志さんは優しく微笑むとほら、と手を差し出してくる。
 俺は少し躊躇ってから光志さんの手を握った。

「……可愛く、ない」
「はいはい。でもちょうどよかった。俺も唯に話さなきゃいけないと思っていたんだ」
「何を?」

 光志さんは俺の手を握る力を強くする。

 次の言葉を紡ぐのを憶しているのがそこを通して俺へも響いてきた。

「……唯、これからホテル、行ける?」

 真昼の二時。

 俺は光志さんと初めてホテルへ行くことになった。

 何も言わなくても。

 俺の肌を見たら、それが通常でないことくらい、分かってしまうだろう。





「……前の恋人のときは、来れなかったんだ」

 カードキーを差し込み、小さな部屋に入ると自動で灯りがついた。
 眩しすぎず、ああ ここはそういうことをするとこなんだとしみじみ実感させられてしまう。

「…だって、前の人とは俺より長く……」
「ああ。半年以上は付き合ってたな。でも結局、無理だった。…一時期は、ちゃんと想い合っていたんだけどな」
 
 恋愛によくある現象も、俺は経験したことない。
 気持ちが高ぶり、それが冷めてしまうことなど、まだ。


「今日ここに来たのは、俺のことをもっと知ってほしいと思ったんだ」

 光志さんは一息つく暇もなく、服を脱ぎ始めた。
 俺も脱がなきゃいけないのか、と緊張が走ったのも束の間、光志さんの上半身に釘付けになってしまう。

「な……それ……」
「ごめんな、唯」

 露わになった光志さんの腹部には、火傷の痕のような痣が染みついていた。

「本当に、こんなの今更言うことじゃないって分かっている。だけど唯には、もう隠せないから」

 隠しごとが出来る距離感じゃない。
 こんなに近づきすぎて初めて、俺は失敗したのだと痛感した。

「俺は母親……今はもう、絶縁しているけど、その女の人に暴力を与えられていた。いわゆるDVってやつだ」

 重たい過去のはずなのに、あくまでなんてことないように語るのは光志さんの配慮だろう。

 痛みや憐れみは浮かんでこなくて。

 ただ純粋に、悲しかった。

 この人の肌に誰かの悪意が在る。

 悲しくて、しかたがない。

「幸いなことに、暴力は幼少期のごく僅かな期間で終わったよ。親父が、終わらせてくれたんだ。両親は離婚して、母とは絶縁。だから今更別に痛みも何もない身体だけど、残念ながら、俺は性交に恐怖を覚える身体になった」



 今まで光志さんが俺と身体を結ばなかった理由。

『結ばなかった』じゃなくて『結べなかった』

 じわりと汗がにじんだ拳を解く。

「まあこれが、今まで唯とセックス出来なかった理由。そういう雰囲気になったことはなかったけど、疑われたら嫌だと思ってさ。……こんな不良品でも、唯はまだ俺の傍にいてくれるか?」

「……不良品、とか、言わないでよ…。光志さんは、全然、悪くない」

「…唯は、優しいんだな」

 やめて。
 俺なんか、全然優しくない。
 俺は、俺は──。

「でもさ、今日ここに来たのは、俺なりに覚悟をしてきたつもりなんだ」

 光志さんが手招きして俺を引き寄せる。光志さんの前へ立つと、光志さんは俺の腰へ腕を回してきた。

「…唯だったら、大丈夫だと思うんだ」

 言わなきゃ。
 俺は、ウリをしてる。
 昨日も喜瀬さんに抱かれた。

 言わなきゃ、いけないのに。

 どうして俺はこんなに弱いんだ。
 口を開くことさえ、叶わない。

 俺が事実を告げたら、光志さんは俺を軽蔑して、離れていってしまう。


 やだ、よ。

 どうしよう、光志さん。

 俺、光志さんから、離れたくない。

 昨日伊織にさえ、言えなかったくせに。




 あなたのことが。






 言えないのに。


 離れることも、出来ないんだ──。


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