恋愛感情はどこから沸いて来る。好きと普通の境界線はどこだ。 一緒にいたいと思ったとき? 相手を知りたいと思ったとき? 相手に触れたいと思ったとき? なら俺は、その全部を。 「過ぎてるんだよ、唯。もう俺は唯から逃げない」 逃げて生きてきたことに後悔なんてしてこなかった。 光志さんの落ち着いた声は俺の内へ変に波紋をよせてくる。 シンプルなデザインの皿に乗って出て来た焼き鳥は、はつに砂肝、皮、ももとバリエーションに富んでいた。丸ごと一匹を光志さんと俺で食べてしまうみたいだ。 試しにレバーを一かけら食べてみると、青臭さがなくまろやかな感触が広がった。 「ど?」 「レバーにしては、美味しい」 「レバー嫌いなんだ? じゃあ残りは食うよ」 「どうぞ」 俺の嫌いなものは大抵光志さんの好きな食べ物だった。 「……光志さんは、どこに住んでるの」 「ん? 今は大学の寮だよ。一年で追い出される可能性大だけど」 「生まれたところは? 血液型とか、星座とか……」 プロフィールに書ける、光志さんのそういう部分を知る必要なんてない。 知ったところでどうでもない、中学生の女の子が占いとかをして喜ぶようなことを、それでも頭の中にいれておきたかった。 そうすれば、光志さんのいないところでも、光志さんとは違う誰かに触れられているときも、彼の何かが俺の片隅に存在している。 唐突に聞く俺へ特に言及はせず、光志さんはただ柔和な笑みを浮かべ静かに答えはじめる。 「生まれた場所は下町の方。血液型はABで、星座はしし座だよ」 「しし座……」 「8月生まれなんだ」 「俺と、一緒だ」 顔もろくに覚えていない親が、俺に与えた数少ない記号。 名前と誕生日に血液型、たったそれだけ。 「唯もしし座なんだ? 誕生日はいつ?」 今までどこか一定の距離を保って接してきてくれたのは光志さんの気遣いだ。 俺がそういうバリアを崩せないのを、ちゃんと理解して。 そして少しでも近づこうとしたら、近づいてきてくれる。二つ並んだ振り子のように。 でもだからこそ、俺はこの人から離れなくちゃいけないんじゃないか。 「8月5日……」 そう答えたときに浮かんだ、驚きの中に喜びが見え隠れする光志さんの表情を、俺はきっと忘れない。脳裏に光志さんの姿が焼き付く瞬間だった。 「……同じだ」 “同じ”と“違う”が一つ一つ積み重なっていき。 同じところを喜び合って、違うところを認め合い。 「俺も、8月5日生まれ」 そうして俺たちは少しずつ前に進んでいくのかもしれない。 光志さんと俺の同じが、一つ積もった。 「……すごい、ぐうぜん」 「なんか嬉しいな」 (喜んでくれるんだ) 俺と誕生日が一緒で笑ってくれる。 「それだったら、お祝いとか同時に出来るな」 「……あと、三ヵ月だね」 「じゃあその日は、またこうやって会おう」 「……うん」 そのときも俺は、今と変わらず見ず知らずの年上の男に抱かれているだろう。 それでも止まらない。未来の約束を拒めない。本当は拒まなくちゃいけない。 ハマる前に抜け出さなければ、泥なんて落とせないわけないんだ。 ああ、分かっているのに。 もう足を深く突っ込み過ぎてしまったのかな。 ずるずると、もっと奥に引きずりこまれていく。 「俺が生まれたのは昼の2時くらいらしいけど、そっちは?」 「詳しくは知らないけど……多分夜だったと、思う。7とか8時とか」 「じゃあその間だな。5日の17時に、公園の噴水前、集合な」 「気が早いよ」 光志さんは既にグラスを空にしていたけど、酔っ払っている勢いで交わす約束というわけじゃなさそうだった。 食事の上で、食べ物をつまみに会話をするのは初めてだ。 いつだって食べることが中心だったのが今は単なる会話の引き立て役になり下がっているのに、こちらの方が普段よりも格段に味気があって美味だった。 「プレゼント、ちゃんと用意しておく」 「どんなの? 何か俺の方がしょぼかったら、やだな」 「それ聞くか」 何が楽しいのか、光志さんは肩を揺らせうーんそうだなあとわざとらしく声をあげた。 そこでまた店員が新しいグラスを持ってくる。 にごり酒、という光志さんの呟きと共に椀に並々と黒の液体が注ぎ込まれていった。俺は墨汁を思い出す。 先が見えないまさしく真黒の液体はなんとなく口に入れたくない。 「飲んでみな」 「え……」 「一口、だけ」 じゃなきゃオレンジジュースにする? と言われてしまえば飲むしかない。 まるで飲み物に見えない墨汁。服に溢さないよう恐る恐る舌にのせた。でもあまり味がしなくて、今度は思いきって流し込む。 「……すっきりしてる」 「だろ? 意外と謙虚な味するんだ。見た目通りにはいかないんだよ。みんな。見ただけじゃ、分からない」 そのとき俺の中には何故か伊織が浮かんだ。 「……給料三か月分って、リーマンとか職についてなきゃ言えないよな」 「?」 「そんな高いやつは用意できないけど」 光志さんの言いたいことを察した俺は手のひらを前に出して横へ振る。 「や、さすがに、それは……」 光志さんならきっとシンプルでセンスのいい、なおかつ俺に似合うものを選ぶだろう。例えそれがいくらであったって。 「俺が渡したいんだ。唯はただはめてくれればいい」 「……それじゃ、俺も用意するしかないじゃん」 「はは、そういうつもりじゃないよ。俺はもっと何か、唯が昔から使ってたやつとかがいいな。そうだなあ、目ざまし時計とか、カップとか」 俺が昔から使っていたやつ。 6年前にほぼそれまで使っていたものは捨ててきた。というか、捨てざるを得なかった。 店の寮生活を始めた当初からずっと使っているものならいくらでもある。 「……そんなのでいいの?」 「そんなのなんかじゃないよ」 充分そんなのに値すると思う。 けど光志さんが望むものだった。 →# [ 18/70 ] 小説top |