* * * *



「──……い、おい、聞いてたか? 唯」
「……ん、……なに?」
「何じゃねえよ、爆睡しやがって」

教室が騒がしい。もうホームルームは終わったのか。

寝るつもりはなかったのにいつの間にか首を下げてしまっていたらしい。
益岡が隣で小突いてきて、それにまだ夢心地で返事をしたら、柄悪く舌うちを返された。

教室の空気は澄んでいて、春風が窓から吹き入っていた。寝るには最適の環境だ。
昨日のこともあって、今日の眠気はピークに達していた。むしろ今日登校できた自分が不思議だった。

仕事関係で学校をサボるのはしてはいけないと分かっていても、月に1回は必ずある。

「お前今の状況把握してねえだろ」
「ああ。……えっと、今の時間何やってた?」
「図書委員」
「は?」
「だから、唯は図書委員に決定しました。めでたしめでたし」

感動のない拍手を送られて、黒板に目を移す。羅列された委員会名の下に、それぞれクラスメイトの名前があった。
図書委員の下にはしっかりと書かれている俺の名前。

「……誰か俺、起こした?」
「担任は放置。俺が一回呼んだけど起きないから勝手に決定」

益岡のこの上なく端的な説明に思わずため息をついてしまった。

4月下旬。
そうか、今は今年の委員会決めをしてたんだ。
委員会数は少ないからどこにも所属しない生徒もいる。
去年はその立場だったし、今年も狙っていたつもりだったけど……そもそも委員会決めのことすら忘れていた。
「益岡……拒否しとけよ……」
「俺のせいかよっ。大体こんなときに寝てるお前が悪い。あ、知らないだろうから教えとくけど、放課後委員会だから」
「はいはい……」

(これから誰かに代わってって頼んでも無駄骨になることは分かってるし……)

「益岡」
「嫌だ」
「だよな」

こいつはこれだ。
委員会なんて活動自体は少ないし、放送とか清掃とかに回されなかっただけマシだと思うことにしよう。

そう、無理やりに自分を納得させたのが、3時間目の終わりだった。



「……ないだろ」

図書館に集まる図書委員。クラス順に座れと出された指示。
つい出してしまった本音は、本人にもしっかりと聞き取れていた。

「何がないんだよ」

食いつかれると思っていなかったから不意の返事に虚を突かれてしまった。

「いや……何でもない……」

そう答える意外にどうすればいいんだ。

俺は黙って、彼の隣に座った。
そういえばクラスは隣同士。
頭がいいとか、その他もろもろの噂がまかり通ってる。

心の内で叫ばずにはいられない。

(こいつがいるとか。何で図書委員だよ!?)

知らず動揺する俺の隣で、昨晩寮に来たばかりの伊織は平然とその場にいた。



図書委員長が説明を始めるけど全く頭に入って来なかった。
ぐらぐら揺れている自分にまた動転する。それだけ伊織のことを意識しているといえばそれまでだった。

こいつは俺にこれからどうしたいのか。もう関わって来ないつもりなのか。
視えなく、暗闇に包まれているから、余計に不安になって、頭から離れない。

「おい」
「な、に?」
「プリント、回ってきてる」
「あっ……」

慌てて自分の前に来ていたプリントを伊織に回した。彼の長い指が白い紙の上を滑る。
一瞬指と指とが触れあうかもなんて思ったけど、そんなことは全くなく、プリントは二人の間を渡った。

変だ。一つ一つの動作が、やけにゆっくり感じる。

改めて確認する目は睫毛が長く、吸いこまれてしまいそうなそれだった。

(直樹さんの、息子……)

そうだ、直樹さんの目もたまに吸いこまれそうになる。
同じ、だ。

「……直樹さんの苗字は、有宮なの」
「……知らないのか」
「全然」
「なんだよ。言わなきゃよかった」

失敗したとでもいうばかりに伊織は肩をすくめた。

「それじゃあ、本の整理をしてもらいます」

委員長が言って、周りの委員たちも席を立って本棚へと向かっていく。俺もそれに続いた。


前を行く伊織の背中に呟く。

「俺、直樹さんに子供がいたことも知らないよ」
「……あの人のこと、何も知らないのか?」

まるで探り探りのような会話。
言葉が紡がれる度に違和感を覚えた。伊織とこんな会話をすることなんて無いと思っていた。

「知らないんだ。何も。知りたいとも、思わなかった」
「自分を拾った人を? なのに着いていったのか」
「関係ないんだよ、誰がどうとか。人間であることに、変わりはないんだから」
「……」

人間不信であるなら、その人を知らなきゃいい。
だけど伊織みたいに自分が全く知らない未知の人と接触すると、不安になる。

(何だ、それ)

また俺は俺が分からない。

伊織と肩を並べて、適当に本を整えた。


「仕事、止めるつもりはねえの」
「ないよ」

お前に汚いって、言われても。

そこだけは、即答していた。

「ふーん、そう」

最初から俺の仕事に拒否丸出しだった伊織の反応が、思ったよりも薄くて拍子抜けする。伊織の顔を見るけど、相変わらず感情が読めなかった。


「何だよ」
「あ、いや……」
「別にお前が仕事続けても、俺が辛いわけじゃねえし」

今度こそまじまじと伊織を凝視した。
辛いって、どういうことだ?
今の俺が辛そうに見えるのか? まさか。

ぐるぐると思考が巡ったけれど、出て来た言葉はまったくそぐわないものだった。

「……お前って、やめろよ。名前あるんだから」
「ああ」

伊織の口角が上がった。

「唯人、だっけ」

周囲のざわめきが、何も聞こえなくなった。
艶めかしい唇から耳打ちで吹き込まれた名前。それはこの場で使ってはならないもの。

「っ……」

カッと顔が熱くなるのが分かる。動揺するな、振り回されては負けだ。思うのに、伊織に呼ばれることは特別で。

「…学校でその名前、使うなよ」

情けないことに、そう弱々しく言うのが精一杯だった。

「どっちでもいいっていったのはそっちだろ。“お前”が嫌っつったのも、そっち」
「……、も、いいよ、お前で」

いちいち名前を呼ばれるくらいで取り乱してしまうなら、その方がマシだよ。
伊織の目がこちらを向いている。
鋭い目が、顔に穴を開けんばかりに。

「……やっぱやめた」

何を、と俺が口にする前に。
伊織は、本を棚に入れた俺の手に、自分の手を被せた。

「!?」
「お前、俺を好きになれ」

小声で、そう。

「………………は?」

俺が言葉を出せたときには、伊織はもう俺の横にいなかった。






「きみの、いき」壱 了


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