「何でもいいから、この状態から動けよ」 「状態……?」 伊織が俺に何をしたいのかが見えてこない。 ただの、同級生。 自分から接触を図らなければ、関わりを持つこともなかった。 「汚いって言っただろ。お前みたいな奴は」 「伊織」 「こんなところで働いて、何回も男に抱かれてっ、そんな人生送ってる手前が!」 「いい加減にしろ!」 直樹さんがカウンターから出てきて、伊織の腕を掴んだ。 こんなふうに怒鳴る直樹さんを初めて見て、むしろそっちの方に俺は気を取られた。 直樹さんと伊織は、知り合いなのか? 薄暗く狭い空間。天井の赤いライトが三人の顔だけをボンヤリと照らしていた。 「……離せよ」 「わけが分からんことばかりだが、ウチの従業員を卑下するな。こいつにだって、事情がある」 事情。 その単語に、過剰に反応してしまう。 「事情ってなんだよ」 やめて。やめろよ直樹さん。 そんな、言い訳みたいな。 「それは、」 「やめて」 噛みつく伊織に、直樹さんが俺のことを迂闊に喋ることはしないと思っていても、遮らずにはいられなかった。 「…やめて、直樹さん。すみません。プライベート持ち込んで」 「唯人、コイツは……」 「俺と同じ制服来てるでしょ。ごめんなさい。ちょっと、バレちゃったみたい。同級生なんだ。話なら後でするから」 「違うんだ、唯人。伊織は……」 「勝手に話進めてんじゃねえよ」 互いが互いの言葉を遮り、話がまとまらない。 この空気、苦手だ。 こういうときはいつも一歩引いてしまう。それが一番楽だと知っているから。 けれど、今は自分の意思を貫くしかない。 俺が持ち込んだ問題だ。 「外、出よう」 納得がいかなさそうな顔をしながらも、伊織が反抗することはなかった。 直樹さんもさっきの件がまずかったと思ったのか、伊織の腕から手を離す。 「伊織、後で覚えていろ」 結局伊織は一言も直樹さんに言葉を返さない。 この二人には、何かあるんだ? 深夜0時。 こんな怪しい通りに男二人なんて、それこそ勘違いされても仕方がない。 (さすがにこのまま帰れってわけには、行かないよな) 伊織を連れ店を出た俺はどうしたものかと思案した。 ここでは無理。 どこかファミレスで話すような雰囲気でもない。 いや、でも。 「……俺の部屋、来る?」 店の寮なんて誰かを呼べる場所じゃ絶対にないけれど、どのみち伊織に店のことはバレている。 もともとこのまま帰宅する予定だったんだ。 「お前の?」 「ああ」 伊織は一瞬何かを考えたようだったけど、すぐに頷いた その間で、少しだけ安心する。 同じ空気を吸うのも嫌ってくらいに思われているなら――。 それはそれで、仕方ないというのがポリシーだけど。 そういう生き方で、伊織はそれを否定してるけど。 「……」 「……」 店から寮までは徒歩3分。 その3分間が、もの凄く長く感じたのはこれが始めてだろう。 鈍く光る数々の店の蛍光灯。それが照らす道。 何度も何度も、歩いてきた道だ。 空気が重たい。 伊織がずっと俺の方を睨んでいるのが分かる。 益岡がしてた伊織の噂話を思い出した。 『頭が良く、親がヤクザとかで、スカウトを何度もされている』 あいつの噂話っていうのはいつだって適当で信用できるときの方が少ないが、伊織の雰囲気を見たら、納得出来てしまう気がした。 ボンヤリ思っているうちに、寮に着いた。 階段を上がり、2階へと行く。 そこでようやくだんまりだった伊織が言葉をあげた。 「唯人?」 「え? 何? ……あ」 名前を呼ばれたかと思い普通に返事をしてしまったけど、違った。 表札に書かれている名前は全て源氏名。 伊織はそれを読み上げただけだ。 「お前の名前は……」 「唯だよ。……いや、唯人でもどっちでもいいけど」 唯として、唯人として。 伊織にはそのどちらの生き方も見られている。 伊織がどっちの俺を俺として見ているのかといったら、きっと「唯人」の方だ。 そういえば、俺のルームへ入った伊織が一番最初に放ったのは唯という俺の名前だった。 「お前は、唯だろ。どっちでもよくねえよ」 ドアノブを開けた。後ろから伊織が俺を抜かして入っていく。 ……え? (なんだ、それ) 伊織が言ったことを理解できないまま、俺も数秒遅れて部屋の中へ入った。 (ていうか駄目だろ。勝手に入るなよ) 常識外れの行動に戸惑いを起こすも、見ると伊織の靴はきちんと揃えられていた。 →# [ 13/70 ] 小説top |