「……あ、指定の時間だ」 「もっと唯人クンといたかったよ」 「俺も残念。まだご指名をいただければ幸いです」 上辺の、それでも極上の営業スマイルを貼り付けた。 客が出ていく。一般サラリーマンと話していたさっきの客は収入も一般そこそこらしく、あまり高いコースを選ばない。 俺としては楽な客だった。 性格は受け付けないけど、いちいち文句を言っていたら始まらない。人の性癖なんて見るもんじゃない。 これで今日の指名分は終了。 あとはシャワーを浴びて、寮に帰るだけだ。 一通りの片付けはスタッフに任せ、シャワールームへと入る。 中のものを掻き出しているときが一番面倒臭い。 熱いお湯で身体を一気に流し、丁寧にマッサージをしていく。 全てを洗い流し、霞がかった場所から出た。 一気に体感温度が下がる。 「今日の指名分終わったから。上がります」 「おー、お疲れ」 直樹さんに挨拶をして、まだ生乾きの髪の毛をタオルで擦りながら、店から出ていこうとした。 すると、扉の奥に人影が見える。 少し待ってみても相手が入ってくる気配はない。 (誰だ……?) ここは裏口だから男娼とスタッフくらいしか出入りしない。 待っているんだから、入ってくればいいのに。 相手にだって俺の影は見えているはずだ。 そう思いながらも扉を開けた。 最初に目に入ってきたのは真っ黒な靴。そしてポリエステル製の学生ズボン。 「……なんで?」 心の中で思ったそのままが口に出ていた。 また漆黒の瞳が俺を貫く。 有宮伊織の瞳が、数週間に対峙したときと変わらぬまま。 「伊織? お前なんでここに……!?」 呆然と立ち尽くす俺の後ろで、直樹さんがカウンターから俺の気持ちと全く同じ言葉をあげた。 全くの予想外の出来事に頭が上手く作動しない。 (この前来た時は、伊織は個人ルームに……) 「……相変わらず、ここにいるんだな」 直樹さんを無視して伊織は俺に軽蔑の眼差しを向けたままだ。 ──甘かった。 あれで終わったと。 あのときは、急なことすぎて正常な判断をしていなかった。 思えば一方的すぎだったんだ。 伊織がたまたま俺が男娼をしているを知って、たまたま部屋に入ってきた。 そんなこと、あるはずがない。 体育館裏で会った日、全てを聞いておくべきだったかもと思った。 それも真剣な思いじゃなかった。 謎は謎のまま、伊織のことは終わりと思っていたから。 偶然なんかじゃない。 数日前、恐らく店の目を盗んで個人ルームまで入ってきたであろう伊織が、今は堂々と俺の前に現れている。 →# [ 12/70 ] 小説top |