それはなんの前兆もなく起こった。
お気に入りのカップが割れたり靴の紐が切れたり黒猫が前を横切ったりすることもなく始まったいつものシズちゃんとの追いかけっこ。
いつものように迫りくる悪鬼から華麗に逃れる俺カッコイーはずだった。
狭い路地裏で振りかぶった標識がつっかえて、武器をパンチに切り替えたシズちゃんの脇をすり抜けて、さよならバイバイまた明日!となるはずだった。
だけど俺がサヨナラしたのは何事もなく訪れるはずの、俺の明日にだった。


ふりかぶったシズちゃんのパンチを楽勝で避ける。
はずが、ズルンと足が滑った。
後で知ったけどなんとバナナの皮でだ。
路地裏に入った時にシズちゃんが投げたポリバケツから飛び出した生ゴミだと思う。
本当に腹立たしいなあこの俺がバナナの皮ですべってこけるとか、お笑いのネタでも今時ないよねシズちゃん死ね!
滑った瞬間は当然余裕もなにもぶっ飛んで、避けられない!防御!間に合わない!がコンマ0000001秒の間に頭の中を駆け巡ったが当然体はついてこない。眼前に迫る凶器、激痛、そしてゴウッという強風が鼓膜にハウリングして、一瞬暗転、そして覚醒。
全身の血液が沸騰したかのような恐怖が背筋を駆け上って、視界が開けた途端ドッと汗が浮いた。
俺まだ立ってる。助かった!
安堵、それから一瞬でも恐怖に全身をのっとられた自分を思い出して腹が立ち、そんな目に合わせたシズちゃんに一発は返さないと気がすまなくなって、目的を逃走から反撃へとスイッチした俺は振り返る。
ところが、振り返った先のシズちゃんは俺に背を向けて固まっていた。
パンチを避けられてすぐさま怒鳴りながら俺に向かってくるシズちゃんを想定していた俺も固まる。
「…シズちゃん?」
シズちゃんは拳を突き出したままの格好からジワジワと体を起こし、無言で、俺にではなくそのまま前に向かって歩き出した。
なになにどうしたの?
ぽかんとして意味不明なシズちゃんの行動を俺は見守る。
シズちゃんはそのまま路地の突き当たり、ビール瓶やらゴミ袋が散乱したところで足を止めた。
そしてそこに佇んだまま動かない。
俺は首をかしげながら恐る恐るその後姿に近づき、シズちゃんの目線の先を覗き込んだ。
そのゴミ袋の山からにょっと突き出ているのは人間の足だった。
なによ行き倒れ?
お優しいシズちゃんの野郎は喧嘩の最中にこれを見つけて、で?何、助けようっての?
薄暗いそこで、目をこらそうとさらに前に乗り出すと、シズちゃんはもそもそとタバコを取り出し火をつけた。
その明かりに照らされた行き倒れに俺は目を見張る。
飛び散った血、開いた瞳孔、どうやら死体のようだ。
わお、もしかしてこれシズちゃん第一発見者?
今日ここに死体があがる情報は入ってないから残念、俺は無関係だ。
「…臨也」
ぼそりとシズちゃんが呟くので、喧嘩はおしまいかと俺も気軽にシズちゃんの背後に近づいた。
「なーにシズちゃん」
答えると、バッと音がする勢いでシズちゃんが振り返った。
その口からポロリとタバコが落ちる。
何驚いてんだと俺まで驚いた。
シズちゃんは俺と死体を何度か見返し心底驚いた顔で言った。
「臨也が二人…?」
ん?今なんて?
落としたタバコも拾わずシズちゃんが指差す先にはゴミに埋もれた死体の顔。
あらためてもう一度見たそれは、どこかで見たことのある顔だった。
というか、いつもなら鏡の向こうにあるはずの顔だった。
「あれ?」
俺もそれを指差してシズちゃんの顔と死体を何度も見返す。
「これ俺?」
聞くとシズちゃんがこくりと頷いた。
そうかなるほど、確かにそこに倒れているのは眉目秀麗が黒い服を着た俺だった。
それが頭から盛大に血まみれになって死んでいる。
二人してぽかんとした顔を見合わせ、首をかしげた。
しばしの沈黙の後、シズちゃんはおもむろに死体の俺に手を伸ばした。
胸倉を掴んで持ち上げ、ゆさゆさと揺らす。
揺すられた死体の頭からは血とかその他もろもろがダバダバとこぼれ落ちた。
見たところ側頭部にパンチ一発でコンクリに激突破裂ってとこか。即死だな。
「おい起きろ」
シズちゃんにはこのグロ映像が見えてないのだろうか、ペチペチと死体の頬を叩いて無茶を言う。
「いや起きられないでしょ死体は」
「…やっぱこれ死んでんのか」
「みたいだね」
さて、ここに俺の死体があるということは、今突っ立っているこの俺は一体なんだろうか。
検証すべく死体をゆさゆさしているシズちゃんの背後に回りこみ、思いっきりその後頭部に回し蹴りを入れてみる。
結果、足はシズちゃんをすり抜け俺はくるくると回った。
なにこれおもしろい。
今度は手をシズちゃんに突っ込んでみるが手ごたえは全くなかった。
まるでそこにシズちゃんがいないみたいだ。
いや、いないのは、俺の方、か。
「シズちゃん俺、幽霊になっちゃった」
「マジか」
つまりシズちゃんのパンチを避けそこなった俺はついにシズちゃんに殺された。
なんというあっけなさ。
そうか、俺死んだのか。
唐突過ぎて、実感がわかないなあ。
「おい、まだ間に合うかもしんねえ。戻れ臨也」
「はあ?」
「さっさとこれに戻れ」
首をかしげる俺にシズちゃんは死体を指差す。
「何言ってんのやだよ」
「なんでだよ」
「無理無理それ脳ミソとかはみ出ちゃってるじゃん。ゾンビじゃあるまいし戻ったところで生き返らないよ」
むしろソレが生き返っても困る。
覆水盆に返らず、脳ミソのこぼれたソレなどもはや俺ではない。
ハハッと笑うと、シズちゃんはそうか、と頷いてゆっくりと俺の死体を地面に下ろすとその場に座り込み、新しいタバコに火をつけた。
「…おまえ死んだってのに落ち着いてんな」
「いや?驚いてるよ?だって死んだのなんて初めてだし。そう言うシズちゃんも初めての殺人にしちゃ落ち着いてるね」
「…別に、落ち着いてねえし」
「てかもっと喜んだら?やっと俺を殺せたね。おめでとう」
パチパチと拍手をしてやると、シズちゃんはキュッと眉をひそめた。
「思ったより嬉しくねえな」
「え?これで喜んでもらえなかったら俺死に損じゃない?なんで?」
「分かんね。なんでだ?」
顎に手をやり首をひねるシズちゃんに、俺も首をかしげた。
「なんだよ、殺人罪のひとつやふたつ、俺を殺した代償なんだから甘んじて受けるとしてさ、とりあえず喜んどけば?シズちゃんらしくないなあ」
「ああ、そういえば…そうだよな」
シズちゃんは急に立ち上がって俺の死体を持ち上げた。
「ちょっとそれどうするの」
「自首する」
「はあ?」
俺は目をパチクリさせてシズちゃんを見上げた。
なにその潔さ。
俺を殺しておきながら動揺もなければ笑いもしない。
俺の死をそんなに軽く扱ってもらっちゃ困る。というか腹立たしいな!これだからシズちゃんは!
「待ったストップそんなの許さないよ俺」
「はあ?なんでだよ」
「俺はね、まだ死ぬわけにはいかないの。自首なんてされたら困るんだよ」
「いや、困るっておまえ、もう死んでるし」
「そうだけどさ、まだやり残したことあるし、今シズちゃんに自首されて俺が死んだって公表されたら都合が悪いんだってば」
「テメェの都合なんか知るか。俺は俺の責任を取る」
「待てって!」
俺の死体をかついで歩き出そうとするシズちゃんの前に回りこみ俺は両手を広げた。
が、シズちゃんはそんな俺の体をスカッと通り抜けてしまった。
不便だな幽霊って!
シズちゃんはシズちゃんで、俺を突き飛ばしたつもりがすり抜けたので驚いて振り返った。
足を止めるのには成功したのでとりあえず良しとする。
俺はニタリと笑みを浮かべてシズちゃんの顔を覗き込んだ。
「自首なんてしていーのかなあ。家族、特に弟君はどーなんのかなあ。ねえシーズちゃん」
ぐっとシズちゃんの顔がこわばる。
俺はニヨニヨ笑ってシズちゃんの周りをスキップした。
「ねえ!殺人犯の弟だなんて、アイドルなのに世間ではどう扱われちゃうのかなあ?君は刑務所入って罪をつぐなったつもりになってスッキリするかもしれないけどさあ。弟君の人生はこれからまっさかさまかもしれないねえ!かわいそーだなあ!かわいそーだなあ!」
「テメェ…」
「あれあれ〜?殺人犯がなんで被害者の俺にキレてんの〜?てかさ、罪をつぐないたいなら俺につぐなってよ。つぐなわないってんならずっと取り憑いてやるからね俺。わ〜幽霊って便利!よ〜し俺張り切っちゃうぞう!24時間見守ってあげる!シズちゃん何日オナニー我慢でっきるかな!」
「ぶっ殺す!!」
「残念!もう死んでる!!」
高らかに言い放つとシズちゃんは口をパクパクさせてついにガクッと膝をついた。
俺の完全勝利である。
俺は感激に打ち震えながらガッツポーズを繰り出した。
いっぺん死んでみるのも意外に悪くない。


陥落したシズちゃんに命じて俺の死体はとりあえずゴミ袋につめた。
使えない体はゴミだ。問題ない。
どうやら幽霊になった俺が見えているのは今のところシズちゃんだけだった。
通行人は俺がちょっかいをかけても気付かず俺の体を通り抜けていく。
なので池袋の自動喧嘩人形と新宿の情報屋が一緒に歩いていても騒ぎにはならず、街はいつも通りの賑やかさと無関心でもってゴミ袋に入った死体をかつぐシズちゃんをスルーした。
「で、どうすんだ」
「まずは死体を片付けないとねえ。死体遺棄といえばやっぱ樹海かな。とりあえずトランク買おっか」
「樹海なんかどこにあんだよ」
「富士山のふもとだけど?」
「は?おま、どこまで行く気だ!」
「大丈夫、まだこの時間なら電車もバスもあるよ。せっかくなんだから楽しもうよ」
ウキウキしている俺をシズちゃんがあきれたような顔で見下ろしてくる。
そりゃあ死体の処分なんて手間をかければここでもできるし、金をかければ本職が簡単に跡形もなくしてくれるだろう。
でもそれじゃ面白くないじゃないか。
せっかくの死体なのでシズちゃんには色々経験してもらおう。
小さなトランクに俺の死体をぎゅっと詰めこみ、俺とシズちゃんは富士の樹海へ向かうことに決めた。


それから俺は死体処分の旅への道すがら、死体から回収した携帯電話で波江に電話させてメッセージを伝えた。
本当はメールで事務的に指示したかったが、シズちゃんのあまりの入力の遅さにイラついて、俺の言う言葉を復唱させることでなんとか伝えられた。
俺のパソコンのパスワードと、あらかじめ用意していた俺の遺言フォルダの場所を。
俺の携帯で、俺じゃない奴からの指示に波江は訝しんでいたが、優秀な秘書なので与えられた命令でだいたいは察するだろう。
定期的に更新している俺の遺言書には、波江含む俺の部下や信者への今後の寄る辺先の斡旋や、俺の資産の振り分けなどが記載されている。
それに従うかどうかは波江にまかせよう。
保有データの削除だけでなく遺言を見るように伝えたのは、これでも彼女のことを気に入っていたからだ。
変態だけど波江はいい女だったよ、うん。
そんな彼女にサヨナラは言わず、わけあって雲隠れさせてもらうとだけ伝えて電話を切った。
ただ、一度手に入れた首を手放すのは惜しかったかな。
でももう死んでしまったならしょうがない。
あれは俺が死ぬ前に必要なものだった。
俺は死ぬのが恐かった。死ぬことで俺の存在が消えてしまうことが恐かったから死神と言われるデュラハンの首にその先を見出そうと思っていた。
ところが実際死んでしまったが俺は依然としてここにいるし、存在している。
なんとも拍子抜けだ。
まあいっか、という気分で次の連絡先をシズちゃんに伝えようとしてはたと気付く。
もう特にないな。
仕事なんてやりかけで放り出しても困るのは俺じゃないし、これまで連絡も取ってない家族に今更伝えたいことはない。
数少ない友人に…も、やっぱないな。
俺は死んでしまったがここにいる。なら何を伝えなきゃいけないというんだ?
未練だと思っていたことも、よく考えたらそうでもないと気付いてしまった。
いっそ俺が死んだと教えてどんな反応が返ってくるかの方が気になってくる。
とはいえ強引に自首を諦めさせた手前、やっぱ死んだって言ってもいい?なんてさすがに言い辛い。
というか、バナナの皮ですべってシズちゃんに殺されたとか恥ずかし過ぎるし、これでいいか。
「おい、次はどこにかけりゃいーんだ?」
「あ、うん、もういいや」
電話を手にしたシズちゃんを見上げる。
ここにいるのがシズちゃんじゃなければ、俺はシズちゃんに何かを伝えたいと思っただろうか。




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