樹海に着いた頃には日が暮れていた。
途中で買った懐中電灯の頼りない灯りで足元を照らしながら、シズちゃんはズンズン奥へと進んでいく。
こいつには恐いものなどないのか。
不気味な森の中を切り開いていくシズちゃんの後について行きながら、俺は鳥肌の立った腕をすった。
魂のみの状態になった俺は、自殺の名所でもあるここでちょっと気分が悪くなっていた。
他の幽霊に会ったりするんじゃないかと思っていたが、とりあえずまだ出会っていない。
日本では毎日何千人も人が死亡している。
そのうち俺みたいに幽霊になれるのは何人いるんだろうか。
死んでなお幽霊としてこの世に存在できた俺はもしかしてものすごくラッキーなのかもしれない。
「おい、どうする。この辺でいいか?」
「そうだね、その辺に埋めちゃおう」
これまた買ってきたスコップを取り出しシズちゃんが穴を掘る。
さすがの馬鹿力であっという間に俺の墓となる穴が出現した。
シズちゃんの背の高さまで深く掘られた穴に満足し、早いとこ土に還るよう死体をゴミ袋から出して穴に放り込むように言うと、シズちゃんはちょっとだけ俺の体を持ったまま動かなかった。
「どうしたの?」
「…別に」
もしかしてちょっと感慨に耽ってたりするのかとからかおうとしたら、わりとあっさり手を離して俺の体は穴に落とされた。
なんだかシュールだ。
自分の死体を覗き込みながら、それに土がかぶせられていくのを見守る。
黙々とスコップを振るうシズちゃんのすぐ隣で俺はその顔を見上げた。
名前の通りなんとも静かだね。
そういえば俺と一緒にいて切れないシズちゃん久しぶりだな。
俺の視線に気付いたシズちゃんが、手を止めなんだと首をかしげた。
俺はにっこり笑って言う。
「初めての共同作業だねシズちゃん!」
「おまえ何も手伝ってねーじゃねーか!」
舌打ちしながらも俺の指示通り穴を埋める作業を再開するシズちゃんに俺は笑いを止められなかった。
あのシズちゃんが初めて俺の言うことを聞いたのが、俺の死体隠しだなんて!
こんなにおもしろいことってあるか?いやないね!
「ねえねえシズちゃん!長年の念願が叶った気分ってどう?死体も無事始末できてこれで安心でしょ?誰に咎められることなく俺を殺せた君はまさにハッピーエンド!」
「そう言われると、そうかも、か?」
「そうだよ!もっと喜びなよ!殺す殺すってあんなに言ってたじゃん!ハハッ俺ついに殺されちゃった!」
ブハッとついにシズちゃんも吹き出した。
「テメ、殺されといてなんで笑ってんだよ!」
「や、だって、バナナの皮ですべって死んだんだよ?ウケない?ウケるだろ!」
「バナナってちょ、おま、だからあん時…ブハハハハッ」
シズちゃんが笑うのを見て、俺もさらに笑った。
誰もいない深い森の中、馬鹿みたいに笑う俺たちの笑い声が響く。
俺たちっていうか、実際響いているのはシズちゃんの声だけだろうと思うと、それがまたおかしかった。
「シズちゃん、ヤバい、ここまでの俺との会話って全部シズちゃんの独り言だよ!電車の中とか超見られてたし!ここまで来るバスの中でも結構喋ってたよね?うは!樹海に一人で来てブツブツ言ってるキチガイだよシズちゃん!」
「ハハハハッってテメーのせいだろ!どうしてくれんだよ!」
「絶対通報されてる!アハハハハッ」
池袋から出る前にバーテン服から目立たない服に着替えさせてはいるし、相当樹海の奥まで来てるけど、捜索されちゃ敵わない。
捜索されたかどうかは出て調べれば分かるし、万が一その捜索があった場合は見つけてもらわないといけないので、そろそろ行こうかと地面をならして俺の墓を後にする。
最後に二人で並んで墓標もない墓に手を合わせた。
それから顔を見合わせてまた吹き出して、笑い声を響かせながら森の中を歩き出した。
二人してなんともいえないテンションの高さだった。
シズちゃんと二人でこんなに笑うことなんて、たぶんもうないだろうなと思った。
だって俺死んじゃったからね。


あれ、と俺は足を止めた。
俺の死体が埋められた場所を振り返る。
俺は死んで、俺の体はあそこにあって、波江にはもう戻らないことを伝えた俺は、じゃあどこに帰ればいいんだろう。
俺の居場所はもうない。だって俺はどこにもいない。ここにはいるけど存在しない。
それはつまり俺は自由だ。どこにでもいけるってことだ。
ああ楽しいなあ!俺はここから始まるんだ!
でも、待った。
俺はここにいるけど、俺がここにいることを誰が知っている?
もう俺の声は誰にも届かない。俺の手は何も掴めない。
それができる体はあの地面の下に置いてきてしまった。
ということは、大好きな人にはもう俺は干渉する事ができない。
死ぬってつまりそういうことだ。分かってる。
分かってる?
干渉はできなくても見ることはできる。それこそいくらでも!どこでも!
人間観察、大好きだ!
でも、あれ?観察しかできなくて、それから俺はどうしたらいいの?
「ねえシズちゃん」
どうしよう?と続けようとして、振り返ったそこにシズちゃんの姿がなくて俺はぽかんとした。
あ、はぐれた。
慌てて後を追うけど、立ち止まってからどれだけ物思いにふけっていたかも分からない。
少し走って、それからサーッと血の気が引いた。
死んでる俺に血の気があるのかは不明だが、俺の気分はまさにそれだった。
シズちゃんが手にしているはずの懐中電灯の灯りなど欠片も見出せない。
鬱蒼と茂った真っ暗な森の中をぐるりと見回すが、どっちから来たのか、どっちが北か南かも分からなかった。
けして俺は方向音痴ではない。ただこの森に入ってから奥に進むにつれ、どうにも感覚が鈍ってしまい、これが樹海の不思議かと思ったりしたから、平気でずんずん歩くシズちゃんを見失わないようにしないとと気を付けていたはずだったのに!
「おーいシズちゃんどこ!?シズちゃーん!!」
声を張り上げてみるが、返事はない。
あれ?もしかして俺、置いていかれた?
そうだよね、死体さえ始末したら俺って単なる邪魔者だしね。
いやいや、死ぬ前から邪魔者か。
不気味な森の中でポツンと一人、生きていたら発狂ものだけど俺もう死んでるし。
とりあえずどっちに行けばいいかも分からないながら俺は歩き出した。

真っ暗で、何も見えない。
さっきまで少しは夜目に慣れていたような気がしてたけど気のせいだったか。

星も見えない。障害物があるはずだったがすり抜けてしまうから、自分がどこを歩いているのかさえ認識できなくなってきた。

俺が歩いているのは地面か。いや地面なんてどこにあるんだ。

幽霊だから歩くのもおかしいな。

スーッと浮いていけばいいんだ。

なのに足は歩いているような気がする。

そうだ、気がするだけだ。

自分の足も、手すら見えない。

歩いてなんているのか?


俺はどこにいる?



俺はここにいる?




本当に、いる?













「臨也!!!」

ビリッと鼓膜に響く声に俺は目を開いた。
いつの間に目を閉じていたのかも分からないが、視界が開いたのでたぶん目を開いたのだろう。
目の前に、初めてみる表情のシズちゃんが立っていた。
ゼエゼエと息を荒くして、泥だらけだ。
シズちゃんのそんな焦ったような顔、本当に初めてだった。
びっくりして瞬きしていると、シズちゃんの手が俺に伸びてきて、でもスカッと空振った。
そんな自分の手を睨んでシズちゃんの顔が歪む。
「おま、アホかっ、樹海で迷子とかシャレになんねーだろーが!」
「え?ああ、ごめん」
怒鳴られてつい素直に謝ってしまった俺に、シズちゃんの眉間にさらに皺が寄る。
「おまえな、今…、おまえ…」
ぎゅうと手を握り締めて、それからシズちゃんは押し黙った。
その顔がまるで、泣くのを我慢しているようだったので、俺はテンパってしまった。
いやいや嘘嘘!ありえないだろ!
「え?何?ちょっとシズちゃん、なんなんだよっ、泣かないでよ!?」
「泣いてねえ!テメーが何なんだ!何消えかかってんだ!殺すぞ!!」
「はあ?消え…って」
消えかかっていた?俺が?
慌てて自分の体を見下ろすが、しっかりはっきり足まである。幽霊だけど。
「消えてねーし…」
呟くとギロッと睨みつけられた。
「消えてたんだよ!ほとんど透けてた!マジふざけんなテメエ!俺に黙って消えたら殺す!」
シズちゃんはまた俺に手を伸ばして、でもすり抜けて、本当に悔しそうに歯をギリギリ噛み締めた。
俺はもう驚きすぎて、そんなシズちゃんをただ見上げていた。
殺すと言われてももう死んでるし。
つうかなにその取り乱しよう。
俺を殺した時は平然としてたくせに。
本当にシズちゃんって訳分かんない。
転んだのかさっきまでなかった泥汚れにまみれて、息まで切らして、そうまでして俺を探してくれたの?
なんで?
あれ?
なにこれ?
じわじわと顔に熱が集まってくる。
俺もう死んでるのにおかしいな。
目頭まで熱くなってきた気がして俺はとっさにいつかの妹たちの顔を思い浮かべた。
それぞれがいかがわしいバイブやデジカメを手にした在りし日のあいつらを思い出したら頭の中がシラッと冴えた。
よし持ち直した偉いぞ俺!
俺は平常心を取り戻し、怒りに震えブチブチそこらに生えた樹木をちぎっているノーエコ野郎に声をかけた。
「池袋帰ろう、シズちゃん」


それから二人で並んで樹海を抜け出し帰路についた。
シズちゃんはなにかレーダーが搭載されているかのごとく方向感覚も無駄に良くてあっさり森を抜け、まるで当然のように俺を伴って東京に帰った。
もう朝になっていて、出勤に間に合わないと分かった時点でシズちゃんは上司に欠勤の連絡を入れた。
山手線に乗り、新宿を過ぎても俺は降りずついに池袋に到着してしまったが、シズちゃんは文句を言わなかった。
駅から出てスタスタ自分の家に向かって歩くシズちゃんに、なんと声をかけようか迷って俺が足を止めると、シズちゃんも立ち止まった。
ここまで来ても俺を置いていかないとは…。
俺は日の光の下、池袋の街にまるでふさわしくない泥だらけのシズちゃんをただ見つめる。
まだ駅前近くで人通りが多い。
みんなおかしな格好のシズちゃんを避けていくが、俺の体はすり抜けて歩いていく。
樹海から帰って来る間に俺は考えていた。
誰も俺を認識できないのに、どうしてシズちゃんだけは俺のことが見えるのか。
どうしてシズちゃんと離れた時に俺は消えそうになったのか。
あくまでも仮説だ。
幸か不幸か俺を殴り殺してしまったシズちゃんと、殺されてしまった俺の間にはなんらかの因果関係ができてしまい、本来なら死んで消えてしまうはずだった俺は、そこで生きているシズちゃんと同調してシズちゃんを通して存在を確保することができているのではないか。
シズちゃんのデタラメなスーパー生命力によって俺は存在を活かされている、なんて、これはそう、あくまでも、あくまでも仮説だが。
この俺がシズちゃんのおかげで存在しているなどと腹立たしいことこの上ない。それでも、霊感?なにそれおいしいの?というシズちゃんが、俺だけを認知しているからには俺の幽霊化と無関係とは言い難い。
ということは、このままシズちゃんと離れてしまっては、また俺は俺の存在を認識できなくなるかもしれない。
それは困る。かといってシズちゃんに何と言う?
一緒にいてください?
なにそれ死ねる!死んでるけど!
もんもんと考え込んでいると、シズちゃんはイライラし始めたのかツカツカ俺に歩み寄って至近距離で睨みつけてきた。
うわあ恐い顔。
俺が生きてたら速攻切り付けて逃げてる。
「おい言いたいことがあるならさっさと言え。いい加減家帰って寝てーんだよ」
そういえば徹夜だね。幽霊の俺は全然眠くないんだけど。
「あー、えーと、その」
「ああ!?なんだよ!!」
ちょっと何凄んでんの。
通りすがった人がシズちゃんを中心にワッと広がった。
いつものバーテン姿ではないが、一人で宙に向かって喧嘩売っているのが平和島静雄だと気付く人は気付いたらしい。
「まあまあ静まってシズちゃん静雄だけに。みんな俺が見えてないんだから、頭おかしい人だと思われるよ?」
「うるせえ!早く言えよ!」
「うんごめん特にない。どうぞ帰って寝てください」
睨みつけてくる目から視線をそらしてどうぞどうぞとシズちゃんの家の方を示すと、しばらく俺にガンを付けた後シズちゃんはまた歩き出した。
俺はほっと息を吐く。
とりあえず距離を取りつつシズちゃんのそばで様子をみよう。
せっかく自由になったのに、シズちゃんから離れられないんじゃ趣味の人間観察も満足にできないからね。
遠ざかる後姿を眺めながら、さて視界に入らないよう尾行するかと脇道に紛れ込もうとすると、シズちゃんが振り返った。
「なにやってんだ、さっさと来い!」
「え?」
呼ばれて固まる。
というか呼ばれた?
きょろきょろと見回し、それでもシズちゃんの視線が俺にあるので自分を指差し首を傾げると、シズちゃんは他に誰がいるんだとばかりに頷き、顎をしゃくった。
いやいやいや、犬か猫じゃあるまいし、イラッとくるなあ。
それ以上に何か熱いものが喉にこみ上げてきて苦しいけど。
俺はまたも立ち止まって待っているシズちゃんの方に歩きながら、新羅のうんざりするほど長いセルティ談義を思い出してそのこみ上げた何かを押し下げた。
よしまたなんとか凌いだぞGJ俺!
「なにさシズちゃん。取り憑かれたいのかこのドM」
「うるせえテメエみたいな悪霊を野放しにしておけねーんだよ俺は」
「へえそれはご立派。さすが池袋の番犬シズベロスだね」
「誰が番犬だ誰が。さっさと成仏しろノミ蟲幽霊」
俺はむずがゆくなるような生ぬるい応酬をシズちゃんとしながら隣を歩いた。
まさかこんな日が来るなんて!
死んでるんだから顔など赤くなってくれるなよ!
そう祈りながらチラッとシズちゃんの方を盗み見ると、耳まで赤くなってたので、思わず馬鹿じゃないの!?と吹き出してしまった。


こうして突然死んでしまった俺は、なんと俺を殺した殺人犯と一緒に生きていく、いや死んでいくことになってしまったのだった。
サヨナラ日常!



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