いつになったら元の世界へ戻れるのか、分からないまま朝になった。
帰る家がないので公園の遊具の中で野宿して、公衆便所の手洗いで顔を洗い、コンビニでおにぎりを買った。
買い物前にあらためて財布の中を確認して、金の製造年を調べ使えるものをより分けてみたら、元から少ない所持金がさらに限られてしまった。
昨日ほいほいとガキどもにジュースを奢ってしまったのを今更後悔する。
このまましばらく戻れないならバイトでも探さなきゃいけないだろうと、俺はおにぎり程度では満たせなかった空腹を抱えて公園のベンチで一服していた。
「あー!昨日のおじさんだ!」
そう言いながら駆けて来るのはリュックを背負ったミニノミ蟲だった。
ミニノミ蟲は昨日と同じく俺の隣のベンチにピョンと飛び乗って座った。
「おじさん暇人なの?それとも今日もストーカー頑張ってるの?」
「オイコラ誰がストーカーだ」
「だって俺の名前知ってたじゃん。学年も。やっぱりおじさんが変質者なんでしょ?俺みたいな美少年が好きなの?」
「誰がテメェなんか…って自分で言うか美少年って」
「俺みたいな美少年は変質者に狙われやすいってみんな言ってたよ。でも変質者って本当にいるのかな。クラスでも見たって子いるのに、この俺がまだ見たことないなんておかしいよね。って思って探してたんだ。でも変質者がおじさんみたいなのって予想外だったなぁ」
「だから変質者じゃねーっつうの」
「犯人ってさ、俺じゃないってみんな言うんだよね」
ミニノミ蟲は勝手なことをほざきながら、いそいそとリュックから弁当箱と水筒を取り出した。
「俺今日はここでお昼ご飯食べるんだ。ここで静雄と待ち合わせしてるから。静雄はお家でお昼ご飯食べてくるって言ってたけど、俺は今家に誰もいないから自分で作って持ってきたの。あ、こんなこと変質者には言っちゃいけないんだった。ま、いっか」
ミニノミ蟲はなにが楽しいのかペラペラと喋りながら、用意周到におしぼりまで出してきて手を拭くと、自分でジャーンと言いながら弁当を開いた。
「見て見て、初めて作ったにしてはうまくない?俺きっと才能あるよ」
弁当箱の中には小さなおにぎりがコロコロと入っていた。他におかずなど入ってないが、そのおにぎりはちんまりとして可愛くて、ところどころ不恰好で、それを小さな手で頑張って握っている姿を思わず想像させた。
「おう、すげぇな」
「ほんと!じゃあおじさんにも少し分けてあげる」
屈託なく差し出されて俺はちょっと照れてしまった。これがあのノミ蟲だったら確実に何か盛っているだろうと疑うが、こいつはまだ10才のガキだ。
「美少年が握ったおにぎりなんてプレミア物でしょ。味わって食べてね」
「…いただきます」
やっぱりノミ蟲だなこいつ…思いながら小粒なおにぎりを摘み取る。
ぽいと口に放り込んでもぐもぐと咀嚼すると、ソーセージの味が広がった。
「…うまい」
「とーぜん!」
ニパっと笑ったミニノミ蟲は自分もおにぎりを口に入れてブラブラと足を揺らした。
また弁当を差し出してくるので遠慮なく摘むと、今度の中身はプチトマトだった。
ちょっとこれは具にするにはどうだよ…と思ったが、それでも悪気があるわけではないだろうから黙って飲み込む。
「…あいつ…静雄もここにくるのか?」
「うん!1時に待ち合わせたから、丁度あと1時間くらいあるけどね。昨日あれから色々話して楽しかった!だから今日も約束したんだ。ね、おじさん、ホントに静雄の親戚じゃないの?生き別れの兄とかでこっそり様子見てたとかじゃないの?」
「あー、まぁ、似たようなもんだ」
「やっぱり!ホントそっくりだもん!でも変質者がお兄さんなんて静雄かわいそう…」
「テメェそろそろブッ飛ばすぞ」
笑顔でゲンコツを作って見せると、ミニノミ蟲はぷうと頬を膨らませたが口は閉じた。
もぐもぐとおにぎりを食べている間だけだったが。
「ねぇ、おじさんの名前なんていうの?」
「名前…」
「名前ないの?あ、静雄には内緒なんだったら秘密の話にしといてあげるよ」
「あー…、羽島…」
「はねじま?」
まさか正直に名乗るわけにもいかず、かといって気の利いた偽名が浮かぶはずもなく、俺は幽の芸名を名乗らせてもらった。
この時代ではまだデビューしてねーし、いいよな?
「羽島のおじさんね。うん、わかった。今度から何かあった時は羽島のおじさんがやりましたって言うね」
「オイいい加減おじさんっつうのをやめろ」
ミニノミ蟲は弁当の半分ほどを食べて、残りは俺に押し付けてきた。
腹の減っていた俺は特に文句を言わず頂戴する。ハムとうずらの卵とチーズが入っていた。
ただ丸く握り締めただけのおにぎりは、具以外に味はないし、そこにあったものを詰め込んだだけだろうと窺えたが、逆にそれが素朴であのノミ蟲が作ったとは思えない温かみを感じた。
俺自身、誰かの手作りを食べたのが久しぶりだったから、余計にそう感じただけかもしれないが。
「ご馳走さん。うまかった」
俺がそう言って空の弁当箱を返すと、ミニノミ蟲は少し驚いた顔をして、それから満面の笑みになった。
「おじさん普段あまりいいもの食べてないでしょ!だってこれ本当はあんまりおいしくないもん。だからおじさんにあげたのに。でもね!こっちは絶対おいしいよ!プリン!昨日静雄がプリン好きだって言ってたからさっきデパ地下行って買ってきたんだ!保冷剤も入っているから3時のおやつに食べるんだ!」
ミニノミ蟲はそう言ってリュックからごそごそと紙の箱を出して俺に見せた。しかしすぐに大事そうにしまいこむ。
「これはおじさんの分はないからね!ざーんねん!あげないからね!」
リュックを抱き締めてさっと俺から見えないように体をひねるミニノミ蟲に俺は「とらねーよ」とツッコミを入れた。
タバコを吸いたくなったが我慢だ。別にノミ蟲を気にしてじゃない。もう本数が残り少ないからな。

ふと、本当にこれはあのノミ蟲なのだろうかと俺は思った。
同じ言葉をあいつが言ったら間違いなくキレると思うのに、まだちっこいガキがピーチク言っている分にはたいして腹が立たない。
これは本当に小さいからというのが理由だろうか。
もしかしたらここは、単純に過去の世界というわけではないかもしれない。
これはノミ蟲だけど、あのノミ蟲じゃなくて、別の世界のノミ蟲のガキの頃じゃないか?なんだかややこしいけどな。

ミニノミ蟲はどうやらミニ俺が来るまで、俺で暇つぶしをすることに決めたようだ。
ミニノミ蟲は人の名前を聞いていながら俺をまだおじさんと呼んだ。何故かと聞くと、そう呼んだ方が俺が嫌そうな顔をするからだと。
やっぱりこれはノミ蟲だ。間違いない。
だとすると何故俺はキレないでいられるのだろうか。
初めてノミ蟲と出会った頃より、俺も大人になったからだろうか。
あの頃俺は世界のほとんどが自分の敵だと思っていた。その最たる者がノミ蟲だ。
今でもそれはたいして変わらないが、色んな奴と出会って、友達になって、身内って奴が血の繋がりだけじゃないんだと知った。
今の俺には家族以外にも大切な繋がりがいくつかある。
でも今それを手に入れるまでは色んなものを拒絶してきた。その最たる者だってノミ蟲なのだ。

俺は嬉しそうにミニ俺を待っているノミ蟲に聞いた。
「おまえ、あいつと仲良くなってどうする気だ?なんで仲良くしようと思ったんだ」
「え?静雄のこと?」
「そうだ。あいつがあんな力持ってるからか?」
「もちろんだよ!静雄おもしろいじゃん!あんなおもしろいの俺初めて!絶対友達になりたいよ!」
目をキラキラさせて言うミニノミ蟲に俺は思わず顔を顰める。
「おまえもあの力目当てかよ…」
ぼそりと呟いた俺にミニノミ蟲がきょとんとした顔になる。なにが悪いのかまるで分かってない顔だった。
「友達ってよ、そういうんじゃねぇだろ。そうやってあいつの力を利用して、あいつ自身のことはどうでもいいのかよ」
俺の力を利用しようとする奴は、なにもノミ蟲だけじゃなかった。
学生の頃から俺を仲間に入れてケンカに勝とうとする奴、チームの見世物にしようとする奴だっていた。
それでもいいと思った時だってあった。だけど結局虚しいだけだ。あいつらは俺の力が必要であって、俺が必要なわけじゃなかったからだ。
「おもしろいって、何もおもしろかねぇよ。あいつはこんな力、おもしろいと思ったことねぇんだ。おもしろがってる奴と友達になんかなれるかよ」
「えー!そうかなぁ!?」
ミニノミ蟲が抗議するみたいに声を上げた。
「俺だったらおもしろいと思うのに!おじさんってば変なの!それに、おもしろくない奴と友達になりたいなんて思わないよ!おじさんはつまんない奴と友達になれるの?」
「……」
「もしも静雄がおもしろくないって言うなら、俺がおもしろくしたげるよ!絶対楽しいよ!静雄だって楽しい方がいいに決まってるじゃん!」
「だからそれは…、テメェにゃ分かんねぇよ!」
どうせおまえだって俺を利用してるだけのくせに、俺の力だけが目的なくせに…。
「なにそれ、なにそれ!おじさんなんかに静雄の何が分かんの?」
「分かんだよ!」
だってあいつは俺だ。俺が一番よく知ってる。自分のことだからだ。
「テメェじゃ駄目だ。あいつはテメェなんか…嫌いだ。嫌いなんだよ」
俺にナイフと敵意をむけるあいつが目に浮かぶ。
そうだ。最初からだ。最初から気に食わなかった。嫌いだった。
幼い心につけこまれた今だって、どうせすぐ嫌いになる。
だったらやっぱり今のうちに、こいつは俺から引き離しておくべきだ。
決心して握り締めた拳から顔を上げる。
そして臨也の顔を見てぎょっとした。臨也はこっちを睨んでいた。でかい目に涙をいっぱいに溜めて。
「…なんでおじさんはそういうこと言うの?」
ぐいっと細い腕で目の上をぬぐって臨也は声を震わせた。
「…静雄は遊びたいって言ってたもん。なのになんで俺じゃ駄目なの?一緒に楽しいことしたいって思っちゃ駄目なの?静雄、友達いないって言ってた。静雄が友達できないの、おじさんのせいなんじゃないの?」
臨也は涙がこぼれるところは見せなかった。キッと俺を睨んで立ち上がる。
「俺もアンタなんか嫌いだから!」
そう言って臨也は走って一番遠いベンチまで行ってそっぽを向いて座った。
俺は言葉を失ってただそれを見送った。
なにをやってんだ俺…ガキ相手に、泣かせて。
臨也の言葉で俺は胸を殴られたみたいに息苦しくなった。
友達ができないのは、俺のせい。
本当にそうかもしれない。
まだガキで何も知らない臨也は、俺のことを変質者だと言いつつも弁当まで食べさせてくれた。そいつにアンタなんか嫌いだと言わせたのは俺なのだ。
もしかして、何も分かってなかったのは俺なのか?
元の世界での臨也が俺に向ける悪意は、いつからが始まりだったのか。
なにも思い出せない。
あの頃、面倒だとすべてに目を閉じて受け入れず怒りに任せて拒絶していたのは俺だったのだから。
俺のせいか?いや、あいつが悪い。だってあいつは悪人だ。でも、でも…
ぐるぐると昔のことが頭をめぐる。今の臨也、高校生の頃、そしてガキの臨也。どこに本当がある?
めんどくせぇ!と、キレるのは簡単だ。今までもそうしてきた。
だけど、目に映るのは泣きそうなガキの臨也と、そこに重なる自分の泣きそうな顔だ。
俺は臨也なんかいらない。だけど、ここにいるガキの俺は?あいつは臨也と、友達になりたい、のか?

もんもんと考えているうちに1時が過ぎた。
しかしミニ俺は現れない。
30分過ぎて、1時間が過ぎて、遠くに居るミニノミ蟲はベンチで体育座りをして、顔をふせていた。
この時代、携帯電話なんて俺は持ってない。あいつもそうなのだろう。
時々腕時計を確認して、キョロキョロして、俺と目が合うとプイと顔をそむけながら、臨也はずっと待っていた。
俺もどうしていいか分からなくて、ミニ俺が来たら何かが分かる気がして、ただ一緒に待っていた。
長い時間が過ぎて、気がつくと臨也が目の前に立っていた。
顔を上げると紙の箱がずいっと差し出される。
「3時になっちゃったから、あげる」
ぐいぐいと押し付けられて受け取ったそれは、臨也が買ってきたプリンだ。
「ぬるくなっちゃうし、持って帰るの重いし…」
そう小さな声で言う臨也は目に見えてしょげかえっている。
あたりを見回すがあいつはまだこない。
「…もういらない」
そう言って臨也は走っていった。
公園の隅に戻るんじゃなく、公園を出て行く。
「おい…!」
引きとめようとして上げた手を、俺は降ろした。

これでいい。そのはずだ。
だってあれは臨也だし、友達なんかになれるはずないんだ。
手にしたプリンはまだひんやりとしていた。
あんなガキが生意気に、デパ地下で高いプリン買って、馬鹿じゃねーの。
俺が好きだって言ったから、俺を喜ばせようと小遣い出して、そんで…そんできっとこれを餌に俺に取り入ろうとしたんだ。俺を利用するために。
それを阻止してやった。それでいいじゃねぇか。
なのになんでこんなイラつくんだ俺はよぉ!
ミシリとプリンの箱に皺が寄る。
あいつに大事に抱えられていたはずのもの。
それに対して臨也が吐き捨てるように言った、もういらないという言葉が胸をえぐる。
それはプリンにか?それとも、俺か?

我慢できなくて立ち上がった時、公園の入り口に俺がいた。




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