臨也が池袋にやってきて、それを俺が追い払う。
もはや習慣となっているこの追い駆けっこにも、こうなるだけの理由があった。
15で出会ったあいつは最初からムカつく奴だった。
ただそれだけで、俺たちの仲はこじれるだけこじれてこうなった。この世の何がどう変わったって、もうこれだけは変わらない。あいつは敵だ。
今日まで俺はその事実を疑うという発想もなかった。


昼の休憩時間にばったり出くわした臨也を追いかけて、まだ営業が始まっていない居酒屋の詰まった雑居ビルを駆け上がって、そして俺はその屋上から落ちた。
掴んだ手すりがぐにゃりと曲がって体重移動をしくじった。
宙に投げ出された体が落ちる。振り向いた臨也の顔が遠くなる。
また逃がしちまう。そう舌打ちしながら衝撃に身構えるが、いつまで経っても地面にぶつからなかった。こんなに高いビルだっただろうか。やや焦りながら落下の先を見ると、そこにはなにもなかった。

昼間、池袋の路地裏、の、はずなのに目の前に広がるのは真っ暗、闇だ。それは前だけじゃなく自分の周りを一瞬で包んだ。
セルティの影でもない。ブラックホールみたいな漆黒に吸い込まれ、俺は意識を失った。



気がついたら路地裏に倒れていた。
ガバリと起き上がり辺りを見回すがもうノミ蟲の気配はなかった。
あわてて携帯をポケットから引っ張り出すが、液晶にひびが入っていて電源も付かない。やっちまったと頭を掻きながら、アスファルトの上に転がっていた体で伸びをする。どうやら怪我はなかったみたいだ。服も破れていない。ラッキーだ。
まだ昼休み中だろうか。もし過ぎているなら仕事をすっぽかしたことをトムさんに詫びなければならない。
また迷惑をかけてしまうかもしれないと自己嫌悪を覚えつつ、ふと気がつくと、目の前に子どもがいた。
いつからいたんだと少し驚く。小学生らしいその子どもはしゃがんでいて膝に自分の顎を乗せて俺をじっと見ていた。
「あー…と、今何時か分かるか?」
とりあえず話しかけると、そいつはほっそい腕につけたおもちゃみたいなデジタル時計に目を落とし、俺をまた見上げた。
「もうすぐ12時半」
「おーサンキュな」
とりあえず自分のポケットに手をやり財布を確認するが普通にあった。
時間もそんなに経ってない。
どうやら遅刻せずに戻れそうだとほっとするが、あのノミ蟲のせいでビルから落ちたじゃねーか。クソ、仕事が終わったら殴りに行こうか。
グラグラと腹の底で煮えて込み上げる怒りに俺が肩を震わせていると、俺に時間を教えてくれたその子どもはぴょんと跳ねるように立ち上がり、クリクリとしたでかい目で俺を見上げてきた。
「ねぇ、なんで道の真ん中で寝てたの?おじさん変質者?」
可愛い顔をしてなにを聞いてくるんだとコメカミがビキリとなる。だいたいおじさんってなんだ。俺まだ24だぞ。
いや待て相手は子どもだ。いくらなんでもキレない。たぶん。
「ただ転んだだけだ。変質者じゃねーよ」
「なーんだ。じゃあ変質者知らない?この辺に出たって噂聞いたから見に来たんだ」
「知らねぇって。それよりおまえ学校はいいのか?まさかさぼりじゃねぇだろうな」
子ども特有の細くフワフワとした黒髪が小さい頭を包むように短く切りそろえられていて、静雄でも知っている有名な子どもブランドのロゴがついた黒いパーカーに短パン、汚れていない小さな靴。その小奇麗な格好がこの繁華街の路地裏には場違いに見えた。
しかし子どもらしくないしぐさでそのガキは鼻で笑った。
「何言ってんのおじさん、今日土曜日だよ」
「はぁ?」
俺の記憶では確か今日はまだ金曜である。さぼりだな。俺はそう結論を導き出しそのガキのフードをむんずと掴んだ。
「とりあえず交番行くか」
「え?なんで?」
きょとんと見上げられても困る。そんな嘘に引っ掛かる奴がいるか。
「え?ちょ、ちょっとちょっと!やめてよ引っ張らないでよ!」
ガキは引き摺られないようちょこちょこと足を動かして歩き出した俺についてきたが、急に思いっきり俺の足を蹴った。
が、当然俺には効かない。蹴った瞬間ガキはピッと小鳥みたいな悲鳴を上げて自分の爪先を抑えてぴょんぴょん跳ねた。
ちょっとその有様がおもしろかったのでこっそり笑ったつもりがバレたのだろう。真っ赤な顔で睨みつけられた。
「やっぱ変質者だったんだ!」
「だーかーらー、違うって言って…」
突然バチンッと乾いた音がして手が痺れた。ついフードから手を離してしまうが、なんだかこの感触には覚えがある。
「…スタンガン?」
見下ろした先でガキが手にしているのは、形は違えどいつか茜にも押し付けられたことのあるスタンガンだった。
こっちの方が威力は弱いようだったが、同時に臨也にハメられたことを思い出して不機嫌になる。
「うっそ、気絶しないとか」
ガキは目を丸くしてそう言って、ダッシュで逃げていった。
「なんっか妙な感じがしてたんだけどよぉ、分かった。あのガキ、ノミ蟲にそっくりなんだ」
ビキビキと額に青筋が浮かぶ。
「逃がさねぇぞクソガキが…」
そうだ、ノミ蟲の前にミニノミ蟲をおしおきをしよう。
この時俺はもう仕事のことも忘れていて、ターゲットを変えた鬼ごっこに意識を持っていかれていた。


ミニノミ蟲は思ったよりしぶとかった。
足の速さではコンパスの差だけこちらに分があるはずなのに、自分の体の小ささを利用してこっちが入っていけないような隙間に逃げ込んだり隠れたりとすばしっこい。昔のアニメのトムとジェリーじゃあるまいし、何をやってるんだ俺は。
そう思いつつ、追いかけっこをしながら俺は大きくなっていく違和感に戸惑っていた。
ミニノミ蟲を追い詰めるのに時間がかかったのもこのせいだ。
そう、ここは俺の知っている池袋じゃなかった。
知らない店、行き止まり、あるはずのものがない街並みに頭が混乱する。
仕事のことだって思い出したのだが、事務所の前を通り過ぎたはずなのに、そこに事務所はなかった。
昼飯を食べたファーストフード店も、露西亜寿司もなかった。
まるで不思議の国のアリスだ。今俺の目に映る確かなものは逃げていくミニノミ蟲だけである。
そのミニノミ蟲もようやく体力が尽きたのか、フラフラと公園へと入っていくのが見えた。
その公園の入り口にやってきて、俺は呆然とした。
そこには覚えがあった。
ガキの頃に幽とよく遊びに来た公園だ。もう何年も前にマンションが立つとかでなくなってしまったが、思い出の公園だった。
遊具も俺の記憶どおりのものがある。
これはどういうことだ。俺はタイムスリップでもしちまったのか?
混乱していると俺のお気に入りだった遊具にミニノミ蟲が隠れるのが見えたので、足音を殺して近付き手を突っ込んだ。
「わっ」
猫を捕まえるみたいに服を掴んで持ち上げると、バタバタとガキが暴れる。
「離せ変質者!誰か助けて!」
まさか、いや、まさかな。
起きたまま夢でも見てるってのか、でも、見れば見るほどこのガキは臨也に似ていた。
まるでそのままあいつを縮めたような容姿をしている。
俺はごくりと喉を鳴らした。
「…い、ざや…?」
何を馬鹿なことを口走ってるんだろう俺は。これが臨也なわけがない。
だってあいつは俺と同い年だぞ。
なのに、なんで、
「なんで俺の名前…」
ぎょっとした顔でガキが漏らした言葉に俺は一瞬気が遠くなった。
が、気を失っている場合じゃなかった。

「大人が子ども相手になにやってんだぁあああああああ!!!」

空気が唸る音と共に視界の端から現れたのは標識だった。
それが俺の後頭部に直撃する。
グシャっと金属がひしゃげる音が耳元で鳴って、グラリと体が傾くが倒れるほどではない。
しかしその隙にミニノミ蟲が俺の手から落ちて地面に転がった。
嫌な予感がこれでもかとするが、振り向く以外の選択肢が思い浮かばない。

見覚えがあり過ぎるやつがへこんだ標識を手に立っていた。

ガキの頃の俺だった。




戻る
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -