今まで彼女がいなかったわけじゃないけど、思えばそれは全部本気の交際じゃなかったし、どれも一ヶ月すらもたない短い付き合いだった。
だからシズちゃんとの付き合いが俺には初めての本気で、こんなに長続きしたことないから、もう嫁みたいなもんだなんて言われたって、ふいにどうしていいか初心者みたく分からなくなったりするんだ。


池袋での仕事から戻ってくると、ちょうど幽君が来ていると言うので、俺は迎えを我慢して一人で山を登った。
ゼイゼイ息を吐きながらただいまと家に入っても出迎えのキスもなく、シズちゃんはおかえりと言ってチラリとこっちを見ただけで弟との話しに夢中だ。
ぶっちゃけるとその時俺はシズちゃんに甘えたかった。情報屋の仕事はだいぶ減らしているものの、今回つまらない仕事が重なって少しうんざりしてたから癒されたかったのだ。
しかもその日は丁度俺がこの山にやってきて1年という記念日でもあった。
まぁ俺も忘れてて、当日になって気付いたから急いで戻って来たんだけどね。
そんなことシズちゃんは気付いてないだろうけど、一応記念日だし、おそろいのストラップとか買ってきたりしてさ。わざわざ言うほどのことじゃないからさりげなく渡して、俺の自己満足だけどこっそりお祝いしちゃおうなんて、俺はこの時少々舞い上がっていたわけだ。
とはいえ売れっ子芸能人の幽君がここに来ることは滅多にないから、たまの兄弟水入らずを邪魔するのも、自分より弟優先されてムカつくのも嫌だから、ぐっと我慢して大人しく自室に引っ込んだ。
幽君が帰るまで我慢、我慢。
普段素直に甘えることなんてできない俺だけど、たまにはいいかななんて思いながら、俺は大人しくその時を待っていた。
まずはキスしてー、それからぎゅっと抱きついてー、シズちゃんの匂い嗅いでーって、これはちょっと変態くさいかな。でもシズちゃんの匂い結構好きなんだよね。それから色々話したい。一晩一緒にいないだけで、話したいことがもうたくさんできている。
あれ聞いてもらって、これ話してもらって、なんて考えていたらいつの間にかうとうとしていて、リビングからのシズちゃんの呼び声で目が覚めた。
うたたねでしょぼつく目を擦りながらリビングに行くと、幽君はもう帰ってしまったようでいなかった。
だから、ようやく俺の番が来たとウキウキしながらシズちゃんの背に飛びつこうとしたら、寸前でクルッと振り向いたシズちゃんはこう言った。
「DVD見るからプロジェクター出してくれ」
俺は思わず固まった。
シズちゃんの手元には何かのディスクがあり、いそいそとホームシアターの準備をしている。
恐らく幽君出演のドラマか映画のDVDだろう。持ってきてもらって早速それを見る気なのだ。
スクリーンとのピント合わせは俺の方がうまいから呼んだんだろうけど、映画を見始めたらシズちゃんは黙ってそれに集中しちゃうし、俺の話なんかろくに聞いてくれなくなる。つまり今から数時間は俺の話を聞く気はないということだ。
昨日から俺いなかったのに、さっきまで我慢してたのに、もう弟は帰っちゃったのに、まだこっちを見てくれないわけ?
自分でも驚くぐらい俺はガックリきていた。軽く裏切られた気分だった。
そんな俺に気付かず機嫌よさそうにスクリーンを降ろしてその前でクッション抱えて映画を見る気満々のシズちゃんに、ものすごい温度差を感じて俺は急に恥ずかしくなって、悲しくなって、それから腹が立った。
どんな時でもシズちゃんはマイペース。それにしたって空気読まなさ過ぎだろ!同棲一周年記念日にすることがそれ!?
「シズちゃんのバカ!このブラコンホモ野郎!!」
俺はシズちゃんの背中に手にしていたストラップを投げつけた。投げられそうなものがそれしかなかったからだけど、本当はナイフでも投げつけたかった。それから俺はシズちゃんの反応を待たずに入り口にかけていたコートを掴んで外に飛び出した。
「臨也?いきなりなんだ…ってオイコラ!!」
後ろからしたシズちゃんの声を無視して、壁に立てかけていたマウンテンボードを掴んで斜面へと走る。
「待てよ!おい臨也!!」
ボードに乗ると一気に加速してシズちゃんの声が聞こえなくなる。
自分でもなんでこうしたのか分からない。
構ってもらえないからって家出とか、幼稚すぎる自分がもう分からない。
でも我慢できなかった。
「シズちゃんの馬鹿アホ鈍感!!」
叫びながら山を滑り降り、家から遠く離れた所で岩でボードが跳ね上がり体が宙に投げ出される。
俺は華麗に着地したがボードは替わりに大破したからそのまま車まで走って、それから高速をブッ飛ばして池袋にとんぼ返りした。


池袋に戻った俺を波江は呆れた顔で出迎えた。
「そんなことで戻ってきたの?馬鹿なの?」
俺が愚痴をこぼすと波江は冷徹な一言で繊細な俺のハートを抉った。
「そんなこと言ってもあいつのブラコンは異常だよ。気持ち悪いよ」
「ブラコンの何が悪いのかしら」
俺に付き合って酒をあおりながら波江の目は冷ややかだ。あ、これ相談相手を確実に失敗した。
「な、波江さんはいいんだよ?だけどさ、シズちゃんは駄目じゃない?俺というものがありながらあの態度…」
「あんた、あの平和島静雄が虐待もせずまともに付き合ってくれてることにまず感謝しなさいよ。殺されてもしょうがないってのに面倒まで見てもらってるくせに」
「ちょっと待ってそれは言いすぎじゃないかなぁ!元々の迷惑かけられ度は絶対俺の方が上だからね!?俺がシズちゃんにした嫌がらせより俺がこうむった被害の方が絶対でかいからね!?被害総額見たらドン引きするレベルだけどそれを許した俺こそ感謝されたいくらいだからね!?」
思い出したらムカついてきたじゃないか。
「シズちゃんなんて公共物破壊しまくりの池袋の迷惑野郎だったくせに運だけで勝ち逃げしてさ、俺なんて一番の被害者なのに!」
「仮にそれが事実だとしてもあんたにだけは言われたくないでしょうね」
「…あとさ、だいたいシズちゃん調子良過ぎだから。俺から動かなきゃ連絡のひとつもよこさなかったくせに、都合のいい時だけ俺のこと好きにしてさ…」
自分で口にして、ハッとしてしまった。これまでの1年を思い出してみる。あれ…?俺って本当にただ都合がいいだけの人間だったんじゃ…。
「都合がいいと思ってもらってるならいいじゃない」
「いや、俺どんだけ卑屈でいなきゃいけないわけ?」
慰められたいのに確実に人選ミスをした俺は、もはやヤケ酒を飲んで不貞寝するしかなかった。


記念日を最悪な一晩で終えて、さて今度はどこへ行こうかと考えた時、普段なら新羅かドタチンの所へでも行くのだが、シズちゃんとの仲を知っている奴らの所へ行くのはよけいな傷を抉りそうで嫌だった。
で、やってきたのは部下A宅だ。
俺の今の居住地がシズちゃんちで、しかもそういう仲であると知っているのはほんの一握りだ。言わなくて済むところには言っていない。それが例え部下であってもだ。
「というわけで正臣君お世話になるよ」
「なにが、というわけで、だー!!」
自分の家のようにくつろぐ俺に、ギャンギャンわめいている正臣君。沙樹ちゃんはにこやかに笑っている。
「誰がここの保証人になってると思ってるのかなぁ。パトロンには不本意だろうがごまを擦るものだよ正臣君。分かったらアイス買ってきて。ダッシュで」
「パシリか!いきなり来て傍若無人すぎるわ!なんなんすか!?今度は何企んでんすか!!」
沙樹ちゃんを庇うように俺を威嚇する正臣君がなんだか眩しくて、俺はソファーの背に首を倒し、天井を見上げて溜息を吐いた。
これが本来の恋人の姿か。いいねぇ。なんの障害もなく、素直に好き合っていられる関係って。俺たちなんて障害だらけだからね。今まで持っていたのが不思議なくらい。
「別に何も企んでないよ。ラブラブな君らをちょっとからかいに来ただけだから」
「は?今更何を…羨ましいんすか?」
「そうだよ。羨ましくて妬ましいから邪魔してんの」
俺がでんと真ん中に座って一人で占領している二人掛けのラブソファーさえ羨ましい対象だ。すっかりリア充になっちゃって。
「ホント、羨ましい…」
「いやそんなこと正直に言われても困るんですけど」
しみじみ言った俺に、本当に困ったように正臣君は頭をかいていた。
すると沙樹ちゃんがすすっと俺の後ろに寄ってきて、耳元でこそりと言った。
「臨也さん、もしかして恋してますか?」
「どうしてそう思うの?」
唐突な問いに思わず吹き出しそうになるのを堪えて振り返ると、彼女は目を細めて微笑みながら俺の顔をじっと見ていた。
「女の勘です。というか臨也さん雰囲気変わったから。…あの、もしも何かあったら私でよければ話してください。今までは私の悩み事聞いてもらってたから」
たぶん彼女の勘は当たっている。
人を愛することにかけては俺は誰にも負けないけれど、恋をすることにかけては残念ながら俺は初心者で彼女にはとても勝てない。
シズちゃんに腹が立つのも悲しいのも俺が恋をしてるからだ。
俺はにが笑いを噛み殺して肩をすくめてみせた。
「沙樹ちゃんはいいこだね。でも大丈夫だよ。今から正臣君がアイス買ってきてくれるから」
財布からお札を出して正臣君に差し出すと、
「いや行かねーし!沙樹とあんたを二人っきりにさせるわけねーだろ!?」
なんて叫びながら手を払おうとしたので逆に手首を掴んで捻りを加えた。
ぐんと床に近付いた正臣君の首と体に足をかけて腕ひしぎ十字固めを極めると早々にタップされる。
「ギブギブギブ!!」
「俺恋人いるから彼女には手を出さないよ」
「え!臨也さん恋人いるんですか?」
「うん、一応」
「どんな人ですか?」
「えーとね、ひ・み・つ」
「何和やかに話してんだ!?ちょ、マジ離してくんないっすかね!!」
「アイス買ってくるなら離してあげるよ」
「クソォオオオオ!!」
結局正臣君はアイスを買いに出掛けた。うん、俺もまだまだいけるみたい。でもちょっと疲れたな。
「…臨也さん」
少し心配そうな沙樹ちゃんに俺はゆるく笑い返す。
顔に出るくらい余裕がないのかと思うと情けない。人を本当に好きになるとこうなるんだ。辛いなぁ。


正臣君は本当にダッシュで買ってきたのかすぐに帰ってきた。
そして俺たちを見て、ボトリとアイスの入った袋を床に落とした。
「なにやってんだおまえらああああ!!」
「何って、耳掃除だよ」
「いつも正臣君してもらってるんだって?いやーお暑いねーヒューヒュー」
膝枕してもらってる俺を見て、おもしろいぐらい正臣君は動揺していた。
俺もおもしろい顔を見れて満足だ。
「でも臨也さん耳キレイだからつまんない」
「自分でちゃんと掃除してるからね」
「臨也さんの恋人さんはしてくれないんですか?」
「やったことないなぁ。こんな急所晒すの勇気いるでしょ」
「よし沙樹!ブスッといけ!やっちまえ!」
「うーん、少しは嫌がってくれたらいいんだけど、こんな無防備になられると逆にやりにくいよ」
苦笑する沙樹ちゃんに、嫌がるのがいいなんてこの子Sだな、と俺は思った。
でも人肌に触れて少しは癒されたかも、と俺がガルガル唸る正臣君を人事みたいに眺めていると、その茶髪の後ろに金髪が見えた気がした。
しぱしぱ瞬きをして見返すが、幻覚じゃ、ない?

「いぃ〜ざぁ〜やぁ〜くぅ〜ん?」

地を這うような声が部屋に響き、俺はビキンと背筋が凍った。
ここにいるはずのないつなぎ姿に金髪の男が、よりにもよって女の子に膝枕されている俺を、ビキビキに青筋を浮かべて見下ろしていた。




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