臨也のマンションに着いたのは9時前だった。
ゼエゼエ息を吐きながら3回ほど部屋番号を押し間違えて、ようやく部屋に通されると、出てきたのはあくびを噛み殺し目をこする臨也だった。
「あー、ごめん、今寝起き…」
俺がまず何を言おうかと焦って口をパクパクさせてる間に臨也はそう言って、スリッパを引きずりながら部屋の中に戻っていった。
「…顔洗ってくる」
「お、おう」
俺の来訪で起こされたらしい臨也はユラユラ歩いて洗面台へと消え、俺は詰めていた息を吐いた。
もしかしてあいつ、自分が誕生日だったってことに気付いてないのか?
ドキドキしていた胸を撫で下ろし、コーヒーでも、いや朝飯でも作ってやるかと思って勝手知ったるキッチンへとむかう。
冷蔵庫の中を覗いて、それからマグカップを取り出そうとして、気がついた。
あれ?俺のが、ない。
交際記念だと言って、付き合い始めた時に臨也が用意してくれたおそろいのマグカップがいつもの場所に見当たらない。
キョロとその辺を見回して、ギクリと体をすくめた。
キッチンの隅の床にある、妙に小洒落たチリ取りの中のバラバラの破片に見覚えがありすぎる。
じーっと見据えてみるが、どう見てもそれは粉砕済みの俺のマグカップだった。
これはもしかして臨也の怒りの表れか?
俺のマグカップをぶち割るほどか?
ドクドクとまた心臓がうるさくなってくる。
俺が固まっているとパタパタとスリッパの音が戻ってきた。
「シズちゃん?コーヒーならついでに俺のも入れてよ」
振り返ると臨也が笑顔で、そして首をかしげて俺を見て、チリ取りを見下ろした。
「あ、それ昨日手滑らせて落としちゃった。ごめんね」
そう言って臨也は戸棚から別のコップを出して俺の前に差し出した。笑顔で。
はっきり言って普通に怒られるよりも恐い!
俺は耐え切れず臨也に向かってほとんど直角に頭を下げた。
「ほんっとーにすまん!!」
「わっびっくりした」
危うく頭突きしそうになったところを臨也が避ける。
俺は臨也の肩を掴み、そこに額を押し付けた。
「ごめんマジでごめん!!おまえの誕生日祝うの、俺、わ、わ、わすっ…」
やばいうっかり泣きそう。
「俺、忘れてて…」
語尾が消え入るように小さくなってしまった。
肩に押し付けた顔を上げられない。
臨也は黙ったままで、いつものように俺の背に腕を回してはくれなかった。
「……やっぱ忘れてたんだ」
しばらくして臨也がぽつりとつぶやく。
「そんな気はしてたし、実際そうだったんだ。予想通り、だね」
俺にではなくどこか別へ話しかけるみたいに臨也は言った。
「別にいいんだよ。この年で誕生日なんて普通わざわざ祝わないし。そもそもシズちゃんがそんなの覚えてる方がおかしいんだから」
「い、臨也…」
顔を上げて臨也と目を合わすと、臨也はにっこりと笑った。
俺はギクリと体を強張らせてしまう。
貼り付けただけの薄っぺらい笑い方だった。そんな顔を、俺が臨也にさせてしまった。
俺は慌ててまた頭を下げる。
「悪い臨也、今からでいいか?今からおまえの誕生日、祝わせてくれ」
「別にいいよ。たかが誕生日」
「いや、でも」
「じゃあ来年覚えてたらでいいから」
臨也はそう言って俺の背ではなく、俺との間に手を入れて俺の体を突き放そうとした。
俺はとっさにそれを阻止するように手に力を加える。
「良くない!俺はおまえの誕生日を祝いたい!」
「忘れてたのに?」
ハハッと臨也の喉から乾いた笑いがこぼれた。
「シズちゃんにとっては忘れる程度の重要度ひっく〜いイベントだもの。気にしないでよ」
「ち、違う!」
「違わないよぉ。昨日シズちゃんお休みだったんだって?だけど俺の誕生日なんかより優先することがあったんでしょ?じゃあしょうがないよね」
昨日、一日部屋掃除して洗濯して買い物して普通に過ごしてしまった罪悪感がずしっと心に重くのしかかる。
俺は首を振ってへこみそうになる心を奮い立たせ、臨也を抱き締めた。
「違うんだって!俺は、忘れてたんじゃなくて!」
だんだん以前の黒さを思い出したように険を含みだす言葉を聞きたくなくて、俺の声も大きくなっていく。
「知らなかったんだ!おまえの誕生日!」
「…は?」
ああ、呆れられる。そうだよ、俺は自分の誕生日にテンション上がりすぎて、うっかり臨也の誕生日がいつなのか聞き忘れてたんだよ!
臨也の顔見て聞かなきゃと思い出す度に、嬉しい気持ちまで思い出しちまって、いちゃいちゃすんのに夢中になってまた聞くの忘れて、こいつと会う時はいつも幸せでいっぱいだからそのうち聞かなきゃいけないことすら忘れてたんだ。
だから今日新羅の電話で初めてこいつの誕生日を俺は知った。
我ながら間抜けすぎて恥ずかしい。
カァと赤くなってしまう俺に、しかし臨也の声は冷たかった。
「はぁ?なにそれ、忘れられるより最悪なんですけど」
「うっ」
「知りたいとも思わなかったんだね俺の誕生日なんか。そうだよねいくら便利なオナホでも製造日までは興味ないよね常識!」
「オッ、オナ!?なんつーこと言ってんだテメェッ」
「大丈夫大丈夫心配しないで、別に君が最悪でも責めるつもりはないから。都合のいい便器でいいので付き合ってくださいって言ったのは俺だもん」
「べっ…、そいつは初耳だがなぁ、そういうことを言うなとはいつも言ってるよなぁ!?」
時々臨也はギャグで言ってんのか?というほどの自虐に走ることがある。
俺はそれが大嫌いだ。それがギャグじゃなくて本気で言ってるような気がすることがあるからだ。
ちなみに交際のきっかけは臨也を追い詰めた時に、見逃してくれたら抱かれてもいいと言われ、俺がそれに付き合ってる奴しか抱かねぇと答えたら、じゃあ付き合おう→付き合うには好き合ってねぇと→じゃあ好き→じゃあ付き合う、というなんだかよく分からない流れだった。
だがきっかけはどうあれ今俺たちは付き合っている。
そしてこんな俺だって自分の恋人を大切にしたいという気持ちはおおいにあるのだ。
交際を始めてからは臨也が俺のことをちゃんと大切にしてくれているのと同じように。
だから、
「誕生日聞かなかったのは悪かった!聞き忘れた俺が悪い!おまえといるといつも俺いっぱいいっぱいで、それどころじゃねーんだよ!」
「あらまあ素敵な言い訳」
「言い訳じゃねーし!なぁ、どうしたら許してくれんだ?俺どうしたらいい?」
「それすら自分で考えるのは面倒なんだ。君の気持ちは分かったからもういいよ」
ああ言えばこう言う!全然もうよくねーだろが!
でもどうしたらいいんだ?
俺には腕の中から逃れようと身をよじる臨也を離さないでいることしかできない。
「ねぇなんなの?俺がもういいって言ってるんだよ?シズちゃんこそどうして欲しいの?」
「…祝いたい」
「それもいらないって言ってるじゃないか。過ぎた誕生日をおざなりに祝わってもらっても嬉しくない。ああ、シズちゃんがそれで自己満足したいだけなら付き合ってあげてもいいけどね」
普通のナイフは刺さらないのに、臨也の言葉のナイフはグサグサと俺に突き刺さる。
でも先にナイフを臨也の心に刺したのは俺なのだ。
「…もっと怒れよ」
「は…?」
「俺のこと、もっと怒ってくれ!」
「………」
それで臨也の気が済むのなら、そう思って言ったのに、臨也は黙ってしまった。
俺の腕の中で強張っていた体から、ゆるゆると力が抜けていく。
「…怒ってないよ」
臨也の腕がダラリと垂れた。
「最初から、怒ってなんかないよ。…ただ…ちょっと…悲しかっただけ」
消え入りそうな声がして、頭の中が真っ白になった。
何も言えなくなって、俺は喉を震わせた。
「…シズちゃん?それはちょっと、ずるくない?」
ふふ、と臨也は笑う。
「なんでシズちゃんが泣くんだよ。泣きたいのはこっちだっつーの」
ポンポンと背中を叩かれて、目に溜まっていた涙がぶわっとこぼれた。
まったくその通りだ。
俺は臨也からいろんなものを貰ってきた。なのに俺はそれを返すことも満足にできなくて、あげくにこいつを悲しませた。
俺がのんきに過ごした昨日一日、こいつは一体どんな気持ちで過ごしていたのだろうか。
付き合い始めてから初めての誕生日だったのに、不安だっただろう。腹が立っただろう。哀しかっただろう。
「…ごめんな、ほんとに、ごめん」
「いいから離してシズちゃん。その顔写メりたいからさ。ねぇ」
密着した臨也からは忍び笑いが響いてくる。
それが無性に悲しくて、でも撮られるわけにはいかないので俺は涙が止まるまで臨也を離しはしなかった。




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